442  智弁対決

 関東は、2021年8月31日(火)の午後から広い範囲で雨となり、猛暑日とはもうおさらばですね。9月に入るとともに、全国的に秋の気配が感じられそうです。夏の主役である太平洋高気圧の勢力が弱まるため、北の寒気と南の暖気がせめぎあうことによってできる秋雨前線が本州に停滞するようになり、秋の長雨の季節に入ります。前線の南側は夏の名残の蒸し暑い空気、北側は初秋の涼しい空気で、前線の動き次第でコロコロ天気予報が変わることになりそうです。

■ 人体構造みたいな首都圏・・・人流減の困難さ
 新型コロナウイルス感染者数は首都圏で減り始めました。これだけニュースで大騒ぎしていれば当然ですが、お盆休みの頃の感染が現在の数値に反映しているわけですから、帰省等によって首都圏は減っても全国に拡散されたはずなので、減り方は鈍くなると考えられます。地方での増加と、人々が首都圏に戻ってきたことにより、再び感染拡大が考えられるからです。学校の夏休み延長などによって抑えている面もありますから、再開後が心配です。最近は西村大臣の露出が減って、野戦病院問題で田村大臣とか、ワクチンで河野大臣が目立ちます。分科会の尾身会長が人流の50%減を訴えていますが、現実は都心部でその半分程度、地方大都市ではさらにその半分程度の減少にとどまっています。長年東京への一極集中が進んできて、東京都心に向かって放射状に昼夜で人流が流入と流出を繰り返す都市構造が出来上がっています。まるで都心部が心臓で、動脈と静脈、毛細血管が張り巡らされてドックンドックンと血液が還流〜放散されている人体構造みたいです。そのうえ、近年ではウォーターフロントに高層タワマンが立ち並んでいますから、50%減=経済活動の停止みたいな話になります。リモートワークの推進を言うならば、真っ先に政府機関が地方の緑豊かなところへ移転して、DXを推進すべきでしょう。そもそも工場などはとっくに都心部から地方移転していますし、人間は機械に使われているみたいなものなので、現場は密ではないし、感染機会は少ないのです。産業構造が第三次産業にシフトしたために、より人間が密になってサービスし、されるシステムに変わりました。これを転換するには時間がかかります。面舵一杯切っても巨大ニッポン丸はおいそれと転換できません。


2021年の第四波と現在の第五波を比べれば立ち上がりの急峻さと絶対数の差が顕著です(YAHOO!JAPANニュースより)

■ 東京都の若者ワクチン接種のドタバタ
 東京都の小池百合子都知事が、若者の感染が増えているので若者にワクチン接種を進めようとひらめいたようですが、これを受けて東京都福祉保健局は@大学と連携した、都内大学の学生や教職員を対象としたワクチン接種(事前予約制)、A東京都若者ワクチン接種センターでの接種=渋谷区立勤労福祉会館2階、B都庁北展望室、都庁南展望室、乃木坂会場(事前予約制)での接種を企画しました。AとBは16歳から39歳までの都内在住者、都への通勤・通学者を対象としています。Aは8月27日オープンの予約なしの若者向け接種とあって、前日夜から並び始めて早朝には既に長蛇の列、200人の予定を300人にしましたが、朝7時半には整理券を配って受付終了、怒った人たちが職員に詰め寄る姿もテレビ放映されました。翌日からは抽選にしましたがそれでも行列が出来ました。30日(月)は接種は行わないとしていましたが、知らずに会場を訪れる人の姿が見られました。Bは30日からインターネットで午前10時に予約受付を始めたものの、アクセスが殺到したため、開始直後に「案内ページへの待ち時間が1日以上」と表示され、その後は数時間待ちと表示されたものの、なかなか予約サイトにつながらない状態となりました。小池百合子都知事は視察して「現場で工夫してほしい」と言ったのがテレビ放映されました。それにしてもお役人の想像力の欠如には恐れ入りますね。若者だってワクチン接種したい人が大多数です。わがまちのクリニックでは1日500人接種できるところもあるのに、東京都で200人とか300人?恐れ入りますね。

■ 第103回高校野球選手権大会
 甲子園球場で開催中の第103回全国高校野球選手権大会が閉幕しました。雨とコロナ禍にたたられた大会でした。8月9日から25日までの17日間の予定でしたが、開会式がまず雨で順延になり、降雨ノーゲームが2試合、降雨コールドゲームが1試合、新型コロナウィルス感染で2校が辞退などが続き、途中の休養日を削って、8月28日(土)の準決勝、29日(日)の決勝戦となりました。

■ 8月28日(土)準決勝は猛暑の試合でした
 大会14日目の準決勝は近畿勢対決となりました。第1試合は智弁和歌山5−1近江、ここまで圧勝で勝ち上がった智弁和歌山は、エース中西聖輝(3年)の安定度が抜群、4安打、奪三振10で近江を抑え込みました。大阪桐蔭、盛岡大付という強豪を破り、準々決勝では神戸国際大付にサヨナラ勝ちと、快進撃してきた近江でしたが、2戦で26安打14得点と伝統の強打を誇る智弁和歌山が相手では、2年生右腕・山田陽翔投手が打ち込まれた時点で勝ち目無し。というのも前日神戸国際大付に9回二死走者無しから4点差を追い着かれたエース岩佐投手が投げられる状態ではなかったからです。結局この試合も11安打の智弁和歌山の圧勝でした。第2試合は智弁学園(奈良)3−1京都国際、2年生の多い京都国際は、初戦から2試合連続完投を果たしたエース左腕・森下瑠大投手と、準々決勝で先発して好投した平野順大投手の2年生コンビが聖地で躍動してここまで来ましたが、それというのも2戦連発の中川勇斗捕手(3年)の巧みなリードに負うところ大でした。一方の智弁学園はエース西村投手が先発して終盤小畠一心投手(3年)にリレーして勝つというのが定番です。前川右京外野手(3年)を軸に打撃陣も強力ですが、準々決勝では明徳義塾・吉村投手に抑え込まれ、やっとのことで逆転サヨナラ勝ちしました。準決勝では背番号10小畠一心投手がマウンドへ、京都国際は平野順大投手、双方とも二番手の先発でした。投手戦で迎えた4回表四死球で出た走者を置いて智弁学園8番打者小畠一心が一振り、レフトフライと思われた当りは浜風に乗ってレフト越えスタンドイン、3-0と均衡が破れました。京都国際は5回からエース左腕・森下瑠大投手をマウンドへ、5回裏1点返して反撃ムード、しかし小畠一心投手が崩れません。再び投手戦がっぷり四つのまま試合終了。京都国際は校歌が韓国語なのも話題、来年が楽しみな学校です。

■ 8月29日(日)決勝は智弁対決
 決勝は8月29日(日)14時プレーボールです。ここまでの展開を見ると智弁和歌山は強力打線だけでなく、バントや機動力も使うので強そうですが、エース中西聖輝(3年)が準決勝完投ですから、豊富な投手陣だけに別の投手を出してくるかもしれません。本家の意地がある智弁学園は、スクイズなども駆使する攻撃ですが、前川右京(3年)が打つかどうかが勝負の分かれ目の気がします。準決勝出番が無かったエース西村投手が満を持して出てくるでしょう。
 さあ、このように予想しました。YAHOO!JAPANニュースで勝利予想の投票画面があり、筆者は智弁和歌山に入れました。7対3で智弁和歌山に票が傾きましたが無理もありません。序盤ドドンと点を取って逃げ切る強さ、鉄壁の守り、強力投手陣、どれをとっても負ける要素がありません。もし負けるとすれば打撃を封じられて、焦りで浮足立つ場面が出てきたときだろうと思っていました。高校野球放送は地デジのNHKのほか、BS朝日でも中継しています。NHKの解説者はお馴染みの方々ですが、BS朝日は高校野球のかつての名監督たち、その解説が楽しみでした。決勝戦は1998年に史上5校目の春夏連覇、甲子園通算5度優勝の元横浜監督・渡辺元智さんでした。試合前、智弁和歌山に分があると話しました。「私の経験上、高校生がベストコンディションを維持できる限度は1週間程度。初戦(2回戦)がコロナによる不戦勝となり、なかなか試合ができなかった智弁和歌山は今が最初のピーク。一方、1回戦から戦っている智弁学園は長雨による調整の難しさもあり、ピークを過ぎてしまっているように見えます」とのこと。「智弁和歌山は打撃の質が変わってきています。直球にめっぽう強い伝統の強打に、変化球への対応力が加わってきている。追い込まれてからミート打法に切り替えるしぶとさもあり、打線に切れ目がない。イチロー氏の熱心な指導のおかげかもしれません。投手陣もエースの中西君を筆頭に、盤石と言っていいでしょう」と続け、「智弁学園にも強みはあります。それは、エースの西村君を温存できたこと。本格派には強い智弁和歌山打線も、緩急を駆使する西村君が休養十分で投げてくれば、なかなか点は取れないと思います。調子を落としている前川君、山下君といった中軸がミート打法に徹し、バントを絡めて1点をもぎ取っていけば、ロースコアの展開に持ち込めるのではないでしょうか」とのことでした。

メジャーオールスターでも母校愛

■ 決勝先発・・・智弁和歌山は誰?
 智弁学園は当然ながらエース左腕の西村王雅先発でした。5人の好投手を揃える智弁和歌山は誰で来るかな?と思っていたら、背番号18の伊藤大稀が先発でした。「なるほどなぁ」と思いました。中谷監督の伊藤大稀への信頼度が分かるエピソードがあります。ひとつは、高松商戦で5-1リードして9回裏二死走者無し、ここまで浅野翔吾(2年)の本塁打1本に抑えてきたエース中西聖輝投手(3年)だけに楽勝と思われたのに、ここから四球、中前安打、死球で満塁となり、ショートゴロを名手大西拓磨がまさかの二塁悪送球で2点取られ、ここでマウンドに伊藤大稀を送ったことです。もちろんエラーによる失点ですから中西が全面的に悪いわけではありません。しかし、あとアウト一つから満塁にして失点した流れの悪さを断ち切るためには、ここでスパっとピッチャー交代しなければいけないという中谷監督の勝利への執念、さすがだなぁと思いました。

■ 智弁和歌山は市和歌山の小園−松川越えが課題、どうやって倒したか
 もうひとつは県大会決勝戦で、先発を伊藤大稀投手に託したことです。智弁和歌山には甲子園に向けて大きな壁がありました。小園健太投手−松川虎生捕手のバッテリーが強力な市和歌山です。昨秋は新人戦、和歌山大会、近畿大会と3度続けて市和歌山に敗れ、4年ぶりにセンバツ出場を逃しました。市和歌山はセンバツ準優勝の明豊(大分)に二回戦で1-2敗北、0-1で5回から登板した小園投手、松川のタイムリーで6回裏同点に追い着いたものの、直後の7回表にヒット〜犠打〜代打のタイムリーで1点献上、そのまま敗れました。この試合もかぶりつきで見ていて、市和歌山が小園先発で勝つだろうと予想していましたが意外な結果でした。大分・明豊はこれで波に乗って決勝まで進みました。
 選手権大会和歌山大会ではすべてコールドで決勝まで勝ち上がった市和歌山に対し、智弁和歌山は延長戦でやっと勝つなど苦しい試合が続きながら「負けない野球」で勝ち上がりました。「甲子園で勝つより市和歌山を倒すほうが難しい」と考えていた中谷監督がマウンドに送ったのが伊藤大稀投手でした。小園投手から点を取るのは難しい、後半勝負に持ち込んで、疲れが出てきたところで点を取って、中西で逃げ切るというプランだったそうです。これが見事にはまって、5回まで0-0、6回裏に高嶋奨哉(3年)が先制適時打を放ち、7回表伊藤大稀投手がピンチを迎えるとエース中西聖輝投手がリリーフしたものの同点に追い着かれましたが、その裏すぐさま大仲勝海(3年)がライトへタイムリー二塁打、更に岡西佑弥(2年)が右越えのタイムリー二塁打で2点取って突き放し、8回裏二死1、2塁のチャンスを迎えると、ここで三遊間の深い遊ゴロ、2塁送球、1塁走者・俊足キャプテン宮坂厚希が2塁に滑り込まず、ベースを蹴って3塁へ向かう、慌てた二塁手がランナーを追う、ランダウンプレーを誘う間に大西拓磨がダメ押しのホームイン、実はこれ、イチローさんに指導を受けた走塁だったそうです。二塁封殺されればおしまいですが、ギリギリなら滑り込むより駆け抜けたほうが速い、アウト覚悟で挟殺プレーに持ち込んで1点取る野球を指導されたそうです。

■ 貝塚ヤング→市和歌山、川端監督の思い
 ちょっと脱線して市和歌山の小園健太投手−松川虎生捕手の話です。日本の少年野球は断トツで大阪府が強く、高校野球では全国に散って甲子園を目指す選手が多いです。甲子園に出てくる選手たちの出身校を見ると大阪が多いのはこのためです。坂本勇人投手−田中将大捕手のコンビが八戸学院光星と駒大苫小牧に進んで共に甲子園に戻ってきた話などは有名です。小園−松川コンビは大阪府の南端、貝塚市にある中学生の硬式野球チーム『貝塚ヤング』の出身です。古い話で恐縮ですが、バレーボールのニチボウ貝塚は有名でしたね。『貝塚ヤング』の隣のグラウンドで『貝塚シニア』が練習していて、コチラのほうが歴史が古く、ポピュラーだそうです。『貝塚ヤング』の川端末吉監督(67)は、2015年にヤクルトが優勝した年に首位打者にも輝いた川端慎吾内野手の父親で、妹の川端友紀さんも元女子プロ野球選手です。川端監督の選手育成法は本人任せ、放任主義で、自分達で練習メニューを作って野球ノートで報告させる、基本は楽しんで、なのだそうです。そうは言っても、いい選手が集まってきて、卒業したら公立高校では必ずレギュラーになれるという選手たちを育てられるわけですから、何か素晴らしい指導法があるはずです。息子の川端慎吾選手が「親父には怒られたことが無い」というくらいですから、怒って指導するわけではないようです。小園も松川も自宅に帰ってからの自主練習で見えない努力を続けたそうです。つまりは動機付けが出来る監督だということです。松川は中学1年、リトルでピッチャーとサードだったそうですが、貝塚ヤングに同級生が居て、その親の紹介で川端監督が誘って6月に入団、そのとき「キャッチャーをやりたい」と申し出たとのこと。入団して直ぐ、1、2年生のジュニア選手権大会があり、初戦からキャッチャーで4番、1打席目にライトオーバー、2打席目もフェンス直撃、3、4打席は敬遠だったというのですからスゴイですね。地元出身の小園は小学校6年生の12月に貝塚ヤングの野球教室から入団したそうです。入った時は、そんなに球も速くなく、ピッチャーとたまに外野とファーストを守っていたそうです。しかし川端監督はやがて小園のピッチャーセンスに注目しました。「間の取り方、マウンドさばき、雰囲気とか、ピッチャーをするために生まれてきたんちゃうか、というモノを持っていた。マウンドに行ったら、すべてを任せられる」という投手だったと言います。中学では二日間で10イニング以内という厳しい投球制限があるため、たくさんのピッチャーが必要になります。当時8人のピッチャーが居て、全員135キロ以上の球を投げたというのですからスゴイなんてものではありません。3年生ピッチャーの身長は177〜178cm、小園は180cmだったそうです。小園健太投手−松川虎生捕手のバッテリーで3年の夏は全国優勝しました。当然高校の有力校から誘いが来ます。川端監督は、自分の息子の出身校市和歌山を松川に勧めました。小園には他県の甲子園常連私学の誘いもあって、強豪校の練習も見学に行ったそうです。大阪桐蔭の西谷浩一監督もよく来ていたそうです。最終的には松川が一緒に市和歌山に行こう、と小園を誘ったそうです。川端監督は、「二人はプロ野球に行くべき選手だ、大阪桐蔭に行って万一埋もれるよりも、市和歌山でスカウトの目に留まって欲しい」と送り出しました。最後は智弁和歌山に負けてしまいましたが、二人は今秋ドラフトの目玉でしょう。

大阪桐蔭の西谷浩一監督;ベビースターラーメン大好き

■ 決勝の試合経過
 2021年8月29日(日)14時プレーボール 阪神甲子園球場
チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9
智弁和歌山 4 0 0 0 0 1 1 2 1 9
智弁学園 0 2 0 0 0 0 0 0 0 2
 先攻の智弁和歌山は、智弁学園エース西村王雅の立ち上がりを捉えました。先頭のキャプテン宮坂厚希が初球・低めのスライダーを捉えてセンターオーバーの二塁打、サイレンが鳴り終わらないうちに2塁ベースに立っていました。2番左打者の大仲勝海にはバントをさせるかなと思いました。智弁和歌山は中軸でも犠打で先制点のお膳立てを作るような堅実な場面を良く見てきたからです。しかしこの打席で大仲勝海はピッチャーから背番号4が見える構えから低めのスライダーを引っ張ってライトへ安打で続いて無死1、3塁となりました。そ〜か〜なるほどなぁと思いました。無死1塁ではなく2塁ですから、ムザムザバントしてアウトカウントふやす必要はありません。この2番打者なら最低でも進塁打を打ってくれるはずだと中谷監督は考えたのでしょう。智弁学園は強打線だし、ピッチャー西村のエンジンがかかったら容易には得点できない、ここはまとめてドドンと行こう、ということで打たせたら、目の覚めるような痛烈なライト前ヒット、当りが良過ぎて宮坂3塁止まり、3番角井翔一朗はフルカウントから直球見逃し三振、1球も振らずにアウトというのは決勝の重圧か、智弁和歌山で3番を任せられる打者とは思えません。一死1、3塁から4番徳丸天晴が低めの直球を打ってセンターフェンス手前まで飛ぶ大飛球、これは楽々犠飛で先制点確実ですが、特筆ものは1塁走者大仲勝海のタッチアップでした。これを見て智弁和歌山はスゴイと思いました。なおも5番岡西佑弥(2年)がライトへ安打して二死1、3塁から6番渡部海(2年)が2-2から高めのスライダーを打ってセンターへタイムリー二塁打、7番高嶋奨哉も1-2からスライダーを打って三遊間を破る連続タイムリーで一挙4点を先制しました。西村王雅投手はこの大会で安定したピッチング、失点しないまま終盤ダブルエースの小畠一心投手へつなぐというのが必勝リレーでした。しかし好投手でも立ち上がりに苦しむのは良くあること、ましてや夏の甲子園決勝、相手は兄弟校です。力が入るのは当然です。春のセンバツ準々決勝で明豊(大分)戦に先発、5回で5失点、4-6で負け投手になったのは力んでしまったため、以降打たせて取るピッチングに変える契機となりました。しかし智弁和歌山は好球必打、振らせようと思った球は振ってくれず、ボールを見極められました。追い込んでもファウルで粘る、そして決め球のスライダーをねらい打たれました。結局1回で35球も投げてしまいました。
 対する智弁学園は1番に前川右京を入れてきました。これは前にもありましたが、強打の智弁和歌山相手では少しでも前川右京の出番を増やして、得点機会を増やそうということでしょう。これまた攻撃的な作戦です。「前川右京(3年)が打つかどうかが勝負の分かれ目の気がします」と上で書きましたが、前川右京の出番前に早くも4点取られてしまいました。1回裏その前川右京はセンターへ上手くミートして安打、強打せずチームバッティングで出塁しました。ところが後続凡退、盗塁死もあって3人で攻撃終了。ショート大西拓磨の見事な守備が光りました。
 2回表智弁和歌山の攻撃は、二死から2番大仲勝海が初球の高め直球をプッシュバント、前打席で痛烈に一・二塁間破っているので二塁手が深く守っています。自分も二塁手ですからこの場面で何をやられたらイヤか分かっていたのでしょう。高校野球に限らず足の速い左打者の二塁前へのプッシュバントはヒット確率が大きいのです。右打者でもピッチャーもファーストも捕れない位置へ転がすとヒットになることが多いのですが、これは余程の技術が無いと出来ないので、小学生などではほぼ無理ですね。ピッチャーもファーストも打球に向かい、セカンドが捕って1塁送球しようとしたら誰も居ない、大仲勝海ヘッドスライディングしてセーフ、見事でした。しかし続く3番角井翔一朗はフルカウントからスライダー見逃し三振、いったいどうしたんでしょう?西村投手この回は15球でしたが、2回で早くも50球です。その裏智弁学園は、4番山下陽輔が四球出塁、バントで送って6番・植垣洸が強い当たり、ライト前へ抜けるかというゴロをセカンドの大仲勝海が追って最後はダイブしてキャッチ、起き上がって1塁送球セーフ!ヒットです。この間にランナーホームインして1点返し、なおも二死1塁から、8番・谷口綜大が放った当たりをライトが突っ込んで捕ろうとしてボールが後ろへテンテンテン、2点目が入り、一気にランニングホームランを狙った谷口は上手い中継プレーで本塁タッチアウトとなりましたが、早いイニングで2点を返して反撃態勢に入りました。なおこのライトへの当たりは1ヒット1エラーではなく、三塁打です。捕れば大ファインプレーでした。
 3回表智弁和歌山は安打、四球で一死1、2塁のチャンスを作りましたが無得点、西村投手76球。その裏智弁学園三者凡退、伊藤大稀投手41球、いいペースです。
 4回表智弁和歌山の攻撃は、2回表と同じく9番大西拓磨、1番宮坂厚希が凡退するも、二死から2番大仲勝海がセンター前にヒット、どうにも止まりません。しかし3番角井翔一朗がフルカウントからカーブに空振り三振、これで三打席連続フルカウントからの三振です。西村投手はここまで92球ですが、2回以降立ち直ってボールにも伸びが出てきました。その裏、智弁学園は3番岡島光星がセンターへヒット、4番山下陽輔が四球出塁、ここで智弁和歌山の中谷監督がピッチャー交代、伊藤大稀投手からエース中西聖輝にスパっと代えました。これは早めの継投だなと思いました。前日124球完投している中西です、疲れはあるでしょうが大丈夫かな?と思いました。送りバントで一死2、3塁になり、迎えるは先制点タイムリーを打っている6番・植垣洸です。空振り三振に仕留め、7番打者も空振り三振、見事な無失点リリーフでした。結果論ですが、これが勝負の分かれ目でした。
 5回表智弁学園エース・西村王雅は完全にエンジン全開、智弁和歌山を三者凡退に仕留めます。しかしその裏智弁和歌山エース・中西聖輝も力投します。2点ビハインドですから智弁学園は9番西村に代打を出さざるを得ません。しかし二死となって1番前川右京がヒットで出るも無得点。
 6回から智弁学園も、同じく準決勝で完投勝利の背番号10小畠一心が登板します。7番高嶋奨哉は高く打ち上げてピッチャーとサードの間、ショートも出てきましたが三塁手に任せます。オットット、これを三塁手が落球し、打者走者高嶋奨哉は二塁到達です。「浜風ですか?」と聞くアナウンサーに解説の渡辺元智さんは「いや、青空ですよ。高く上がった球は青空に吸い込まれて見えなくなることがあるんです。アッと分かった時にはもう遅い、こういう雲一つない青天のときにはよくあることです」とのことでした。8番中西聖輝の1塁ゴロは3塁送球、高嶋が挟まれてランダウンプレーの間に中西が2塁到達、ランナー入れ替わりの形になりました。右への当たりですから2塁走者は当然3塁に向かいます。しかし素早い送球で、このままでは3塁タッチアウトになると感じて急ブレーキ、自分が挟まれている間に打者走者を2塁に行かせようと逃げました。良く鍛えられた走塁だなぁと感じました。9番大西拓磨はセフティバント、小畠捕って1塁送球、しかし落球、守備のミスが2つ重なり一死1、3塁のピンチ、1番・宮坂厚希がライトへ適時打して1点、5-2、しかしライトからの好送球で大西拓磨は3塁タッチアウト、ここで打席には3打数3安打の2番大仲勝海、四球で歩き二死1、2塁、さあ3番ここまで3打席3三振の角井翔一朗、今度こそやってくれるだろうと思ったらストライク1から低めのカーブを打ってファーストゴロ。次の1点をどちらが取るかが勝負の分かれ目との解説でしたが、ダブルエースの小畠一心を出して二つのエラーで失点したことで、流れは大きく智弁和歌山に傾きました。6回裏智弁和歌山は打撃不振の3番角井翔一朗に代えてレフトに須川光大を入れました。角井翔一朗は今大会活躍してきましたがこの試合は不振、投手との相性もあるので仕方ありません。
 7回表、智弁和歌山は、二死から6番渡部海(2年)がセンターへヒット、7番高嶋奨哉がレフトオーバーのタイムリーツーベースで1点追加、6-2となりました。その裏智弁学園は7番中陳六斗のヒット、1番前川右京の二塁打で二死2、3塁としますが無得点。
 8回表、智弁和歌山は、9番大西拓磨ヒット、1番宮坂厚希が送りバント、あわよくば自分も生きようというセフティバントでしたが、大きくリードしていてもこの貪欲さは相手に与えるプレッシャ大ですね。2番大仲勝海またしてもヒットで4打数4安打、3番角井に代わってレフトに入っていた須川光大は見逃し三振2アウト、4番・徳丸の2点タイムリーツーベースで8-2とリードを広げ、その裏智弁学園は4番山下陽輔がヒットで出たものの無得点。同じ4番がヒットしていても打線になっているかどうかで結果が大きく違います。
 9回表、勢いに乗る智弁和歌山は、先頭打者6番・渡部海(2年)がレフトスタンドに飛び込むソロホームランで9-2ダメ押し。7点差となったその裏、優勝をかけたマウンドに好投を続ける中西聖輝が上がります。もう楽しくてたまらないという感じでニコニコしながら、中西は7番中陳六斗を空振り三振、8番谷口綜大はイイ当たり1塁ライナー、9番小畠一心に代打も空振り三振、最後まで智弁学園に付け入る隙を与えず91球で試合を締め、エースとしての役割を見事に果たしました。勝った瞬間マウンドに集まるのかと思ったら、相手に対しての礼儀から喜びの表現を抑えた智弁和歌山でしたが、校歌を歌う間も、嬉しくてたまらないという中西聖輝の表情が印象的でした。
 「前川右京(3年)が打つかどうかが勝負の分かれ目の気がします」と上で書きましたが、前川右京は4打数3安打の大活躍、3番岡島光星も2安打、4番山下陽輔も2四球1安打、これでどうして?ということは、打線にならなかったということです。前川右京1番が裏目でした。しかし試合終了後泣きじゃくる仲間を一生懸命励ましていた前川右京の姿に、やるべきことはやったが負けは負けという残酷さを見ました。スラッガーながら大きいものを狙わず、チームバッティングに徹してチャンスメークした前川右京にとっては、この経験が宝物になって行くのではないでしょうか。

去った名将;浦和学院の森士監督はこの夏の甲子園を最後に退任しました

■ 就任3年で優勝・・・中谷仁監督が名将に名乗り
 智弁和歌山を21年ぶり3度目の頂点に導いた中谷仁監督(42)は、前任の高嶋仁名誉監督(75)から名門校を引き継ぎました。高嶋仁さんにとっては年齢もさることながら、「根性の野球」というスタイルが変わらざるを得ない時代になったことで、引退を決断したのでしょう。智弁和歌山では2年時の1996年センバツで準優勝、1997年には主将を務め、同校初の夏の甲子園優勝を経験しました。同年ドラフト1位で阪神に入団し、楽天、巨人でもプレーしましたが、捕手で通算111試合に出場して打率1割6分2厘、4本塁打、17打点と、花開くには到りませんでした。高校野球とプロ野球には一時壁が出来て、プロ経験者は高校野球の指導者にはなれないという時期が続き、2013年にこれが解禁になって、2017年春に智弁和歌山のコーチに迎えられました。2018年8月に監督に就任しましたが、智弁学園と智弁和歌山両方の監督を務めたレジェンドで甲子園68勝の高嶋仁さんの後任を引き受けるのはよほどのプレッシャだったのではないでしょうか。とにかく選手目線に立って、一緒に努力しようとしたそうです。選手から「まるで同級生だ」と言われるそうですから、その指導ぶりがわかります。名門智弁和歌山の監督なのに、各地の名監督に教えを乞うたそうです。すると結果はすぐ出ました。2019年にセンバツ8強、夏は16強に導いたのです。そして今回の優勝について「めちゃくちゃうれしかった。大きな壁だった市和歌山・小園健太投手を超えられたことで、今大会1戦1戦、小園君に比べたら何とかなるという気持ちを持って戦えた」と語りました。高嶋仁名誉監督は試合後のインタビューで中谷仁監督の決断を讃えました。「流れを見て、決断するのが速い、さすがはプロ野球経験者だし、捕手だったからピッチャーのことも分かっている」と褒めて、市和歌山との決勝戦でも先制タイムリー、この試合でも活躍した孫の高嶋奨哉については「前の打者たちへの配球を見て自分にはこういう球が来るだろうと考えて、その球を狙っていた。野球は考えるスポーツだから、頭を使わないと勝てない。そこが良かったね」と言いました。内心は嬉しくてたまらなかったでしょう。

■ イチローさんと智弁和歌山
 マリナーズで会長付特別補佐兼インストラクターを務める日米通算4367安打の英雄;イチローさん(47)=本名・鈴木一朗=が、どうして智弁和歌山を指導したのか?母校:愛工大名電も強豪で、今大会の前評判は智弁和歌山より上でしたが、初戦で初出場の東北学院(宮城)に負けてしまいました。その東北学院はひとり新型コロナウイルス感染者が出たため出場辞退してしまいました。愛知県の愛工大名電高校は、イチローさん以外にも、ソフトバンクの工藤公康監督や、ホームラン王2回の山崎武司さんもOBの強豪ですが、なぜ母校よりも智弁和歌山を選んだのか?恐らく高校時代に余り良い思い出が無いのでしょう。野球で、プロとアマは長い間断絶してきました。1960年代、プロによる強引な引き抜き事件があったことで確執が生まれ、プロ野球関係者がアマチュアを指導するのは完全NGになったのです。冗談ではなく、プロ野球選手が自分の子供とキャッチボールが出来ない時代が長らく続きました。その後、徐々に雪解けが進み、指導者になるための資格を取得すれば指導は可能になりましたが、条件は“プロ球団を退団していること”です。イチローさんは米マリナーズに籍を置いていますが、球界への功績から特例でOKとなりました。2019年3月に引退したイチローさんは、アマ野球界の発展のために貢献したいと常々口にしていました。12月、高校生の指導に必要な「学生野球資格」を取得するための研修会を受講しました。そして指導する相手に選んだのが智弁和歌山でした。2018年に智弁和歌山の試合を観戦したイチローさんは、高校野球ファンの間で“魔曲”と呼ばれる名曲『ジョックロック』を奏でて応援するブラバンと「C」のマークを形成する応援団に感銘を受け、それを伝え聞いた学園関係者が連絡して、2019年オフには同校教職員チームと草野球で試合をする仲となりました。そして2020年12月、イチローさんは3日間、非常勤コーチとして野球部を指導しました。この時期は市和歌山に負けてセンバツ絶望のどん底でしたが、練習を見たイチローさんは、手抜きしない練習振りに目を瞠ったそうです。走塁では「なるべく動きはシンプルな方がいい。やらないといけないことが増えると野球は難しくなる」、「緊迫した時は全体を見る。筋肉が緊張するとパフォーマンスが下がる」などアドバイスをしました。打撃練習では身ぶりを交えた指導に加え、お手本でポンポンホームランを飛ばし、部員たちをビックリさせました。選手たちはイチローさんの一挙手一投足を見逃すまいと観察したそうです。宮坂厚希主将が印象に残っている言葉は、3日目の終わりに言われた『ちゃんとやってよ』でした。受け継いだ技術を、実践し継続してほしいとの意味でした。「イチローさん、ちゃんとやりましたよ」・・・優勝して胸を張って言えたでしょう。

イチローさんと中谷監督

■ 筆者と甲子園
 筆者は2000年夏甲子園球場のスタンドに居ました。青森光星学院高校を応援するためです。今は八戸学院光星という名前になっていますが、カトリックのミッションスクールで、硬式野球部は全国的にも強豪として知られています。2000年のエースはS広大投手で、我が「鶴ヶ岡三丁目町会」会長の息子さんです。少年野球「鶴ヶ岡少年野球クラブ」のエースでした。筆者と広大のお母さんはかつて、「埼玉県東入間学童野球連盟」の事務局を一緒にやっていました。それが今は「鶴ヶ岡三丁目町会」の役員で一緒なのですから運命的ですね。広大が青森光星学院高校に進んだのは、もちろん甲子園に行きたいためでしょうが、全国から優秀な選手が集まっていました。中心選手は大阪や兵庫が多かったため、青森光星学院ではなく、「大阪構成学院」と揶揄されることもありました。エースは埼玉県出身・S広大で、リリーフは珍しく地元青森県出身の根市寛貴というパターンで継投していました。2000年夏の甲子園では、2回戦10-8丹原、3回戦4-3九州学院、準々決勝2-1樟南と勝ち進み、青森県勢として1969年太田幸司投手の三沢高校以来のベスト4に進出しました。筆者は準々決勝の応援に行ったのですが、当時埼玉県入間郡大井町の野球関係者が大型バスを仕立てて応援に行くのに応募したのです。夜行日帰りのつもりでした。鹿児島の樟南高校相手ではここまでだろうと参加者たちは内心思っていました。甲子園のスタンドで、青森県の高校だから応援は少ないだろうと思ったらとんでもない、ブラバンも確か4つ5つぐらいの友情応援の大混成吹奏楽団、3試合目ですから意気も合っています。地元大阪、兵庫出身の選手が中心なので友情応援の吹奏楽団が集まったみたいで、大音量の物凄い応援でした。甲子園はテレビで見るのとスタンドでは大違い、鳥肌が立つ経験でした。試合は夏の甲子園で初めて根市寛貴投手が先発、手に汗握る緊迫した試合で、S広大がリリーフして勝ちました。さあ大変です。準決勝は翌日、帰るわけには行きません。急遽大阪・江坂のサニーストンホテルを予約して一同宿泊、大型バス1台分の人たちが当日予約で良くぞ宿泊できたものと思います。実は地下鉄江坂駅に繋がっている大同生命ビルの最上階には筆者の勤めていた会社の大阪支店があり、六甲連山が見えて見晴らし最高でした。当時飛ぶ鳥を落とす勢いの企業だったのでこんな立地が出来たのです。近くにスシロー本社もあります。

大同生命江坂ビル 下の階はアトリウム(1、2階植物園)になっていて各種受賞した竹中工務店建築の名物ビル
 当然ながら江坂駅前で祝勝大宴会、この界隈は出張するたびに飲み歩いていたので、店は良く知っていました。ただし山口組の関係で、少々ヤバイこともあり、そのあたりはちゃんと...

■ 残念会の大宴会
 準決勝は江坂から大型バスに乗って甲子園球場の駐車場で下りてスタンドイン、相手は智弁和歌山です。さしもの大混成吹奏楽団も、智弁和歌山の「C」の人文字と、この年から採用された名物応援曲『ジョック・ロック』や『サンバ・デ・ジャネイロ』に乗ってのスマートな応援にはかないません。青森光星学院はS広大が先発、根市寛貴がリリーフして大接戦、智弁和歌山に5-7と敗北、惜しくも決勝戦進出はなりませんでした。帰りのバスに乗って、途中京都で高速を降りて、残念会の大宴会、S家が大判振る舞いして応援してくれた方たちをねぎらってくれたのです。前夜の宿泊代も含めれば大出費だったでしょう。しかし、自分の息子が甲子園に出て、しかも準決勝まで活躍してくれたら、借金してでもと考えるのが親心でしょうね。やりたくても出来ない人がほとんどです。

■ 強打の智弁和歌山が野球スタイルを変えて頂点に
 結局智弁和歌山は優勝したのですが、このときの1大会通算100安打と13本塁打の記録はいまだに破られていません。以来、智弁和歌山には「強打」「豪打」のフレーズが付いてまわるようになりました。ただ、当時抽選で組み合わせが決まった瞬間、ナインは言葉を失ったそうです。初戦の新発田農に勝ったら、2回戦が甲子園最多優勝の中京大中京(愛知)、さらに勝っても3回戦は当時前評判1のPL学園(大阪)と巧者;明徳義塾(高知)の勝者でした。組み合わせを見て、頭の中が真っ白になったとのこと。センバツ大会で準優勝していましたから、どこが来ても怖くないというものではありません。春と夏では違うのです。当時の智弁和歌山は1学年10人の少数精鋭で(今は中谷仁監督の方針で13人が基本で、県外生が少し増えました)、理由は部員が多いと指導者が全員に目を配れないためと、卒業後の進路をみられるためでした。和歌山県有数の進学校で、学校・監督の方針で部員は大学進学が基本でした。高嶋仁監督時代は県外生は1学年2人までに制限していました。これは、県代表である以上は地域の理解が必要であり、甲子園に出場した時に県代表として応援してもらうため、などが理由として挙げられていたのです。2000年は中京大中京(愛知)、PL学園(大阪)を撃破して準々決勝の相手は柳川(福岡)、センバツでは同じく準々決勝で対戦し、1-0で勝ったものの、エース香月良太(元巨人)は大会ナンバーワン右腕でした。延長11回サヨナラ勝ち、準決勝で光星学院(青森)を破った智弁和歌山は春夏連続して決勝に進出しました。夏の頂点を争う相手となったのは東海大浦安(千葉)でした。センバツの決勝では東海大相模(神奈川)に敗れていたため、同じユニフォームの学校には負けられないと、高嶋仁監督をはじめ、全員が意気込み、取ったら取り返される展開の末、20安打11得点と打ち勝ち、全国制覇を成し遂げたのです。ちなみに高嶋仁監督時代は「打ち勝つ野球」でしたが、中谷仁監督は「負けない野球」、そのためには良いピッチャーが複数必要です。投手が多くなると部員も多少増やさなければならないので、1学年3人増やしたのでしょう。21年ぶりに優勝した智弁和歌山はまさに「負けない野球」を実践して頂点に立ちました。

■ 藤井聡太王位がタイトル防衛
 藤井聡太王位が王位戦防衛し、先の棋聖戦防衛に続き二期目に入りました。豊島二冠にはこれで7勝9敗とずいぶん挽回してきました。8月30日には永瀬拓矢王座(28)と竜王戦挑戦者決定三番勝負の第2局を戦い、ここでも勝ってまたもや豊島竜王への挑戦となりました。9月13日には豊島叡王との叡王戦最終局、ここで三冠奪取できるか注目です。

日本将棋連盟ホームページより
(2021年8月31日)


次回へ    前回へ    最新ページへ    つぶやき最終回