318  青春
 気候が安定してきたこの季節、午前4時にパソコンに向かっています。窓から見える空が青く、その下の地平をうっすらとオレンジ色に染めた朝焼け、いよいよ出るぞという太陽の前触れ、やがて午前5時を過ぎて間もなく朝日が射して来ました。ぐいぐいと眩しく上ります。夜明け前の薄明のときを、「かわたれ時」と言います。彼は誰ぞ・・・「あの人は誰?」と人の顔がハッキリとわからない程の明るさの時刻を差す言葉で「かわたれ時」なのです。空の明かりで地上がぼんやりと明るい薄明状態を払暁(ふつぎょう)と言いますね。
 今は二十四節気の「清明」の時期です。「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」の清浄明潔の略です。週末4月20日からは「穀雨」です。田んぼや畑の準備が整い、それに合わせるように、柔らかな春の雨が降る頃...この頃より変りやすい春の天気も安定し日差しも強まってきます。

■ 朝ドラ「なつぞら」受け・・・「怒る」
 前回は、NHK朝ドラ100回記念の「なつぞら」に関して書きました。主人公なつが「むじょけ」と書きました。なつが怒れなくなっていることにおじいちゃんの柴田泰樹(草刈正雄)は気付いて、あえて優しい言葉をかけません。「人は自分の幸せを守るために怒るんだ」...生活力の無い小さな子どもが何とかして生き延びようとすれば、怒ることなどできようはずがありません。怒る前に諦める・・・なつは争いごとを嫌って怒ることが出来なくなりました。周囲の人たちに媚びて、何とかして妹とともに生きるための食糧を頂きたい、どんなにひどい仕打ちを受けようと、周りの人たちに溶け込んで行かなければと思えば、「怒る」なんてことはできないのです。「むじょけ」じゃありませんか。

■ むじょけ・・・なつ
 泰樹じいさんの厳しさに応えたなつですが、ある日なつは姿を消してしまいます。「稚内だ、あの子は東京へ帰るつもりだ」と悟った泰樹は一家で稚内にやってきます。そして川原で同級生の山田天陽が釣った魚を貰って焼いているなつを見つけます。泰樹じいさんはなつに「お前は家族だ」と言って連れて帰ります。
 この子なら自分が開拓の苦労の中で成し得なかった夢を果たしてくれるかも知れないと思って、泰樹じいさんは自分の夢を託します。バター作りに挑戦して、でも売れなかったことで挫折した過去、自分はもう老い先短いけれど、なつはまだ幼い、孫たちもまだ子どもだ、可能性はいっぱいに拡がってる、この子達が大人になったときを思えば、自分たちでバターを作って自分たちで売ることが出来るかもしれない、若いという事はあらゆる面でまだ可能性がある、ということです。自分が果たせなかった夢を託せるならば、自分が元気なうちに出来る限り頑張って教えよう、そう思うのが古今東西老人の生きがいなのです。そういう夢を見させてくれそうななつを泰樹じいさんは愛しいと思ったのです。イヤそれは東京言葉で、岩手なら「むじょけ」のです。

■ 助けてください、と言うなつ
 しかしなつはあるとき泰樹じいさんに食ってかかります。東京から開拓団でやってきた同級生の山田天陽はいつも馬の絵を描いていましたが、実は頼みの馬が死んでしまって、開墾するにも人手だけでは無理、と絶望していることをなつは知ってしまいます。

牛乳と卵を持って稚内のまちにやってきた泰樹じいさんとなつ
 山田一家が、荒地に手を焼いて、頼みの馬も死んじゃって、もうだめだ、お父さんは食うために郵便配達をしている、でもその同級生は、この北海道が大好きだ、東京へなんて帰りたくない、この土がなんとかなれば・・・・、悔し涙で男泣き、それを見ていたなつは泰樹じいさんに、「自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるんだ」と言ったじゃないですか、助けてあげて下さいと頼みます。でも泰樹じいさんは「一番悪いのは、人が何とかしてくれると思って生きることだ。人は人をアテにする者を助けたりはせん」とも言ってましたよね。人間は幸せなら怒れます、なつが泰樹じいさんに食ってかかったのは、自分より不幸せな人を助けてあげたいと思ったからです。実はこのことで、なつが幸せになれたんだということが分かりました。なつが他の人間を助けてくれと言っている、ここにポイントがあるんですね。

■ 北海道開拓の道険し
 離農寸前の山田天陽たち一家を助けてほしいと願い出たなつの思いを感じた泰樹じいさんは、天陽の家を訪れ、天陽の父・正治(戸次重幸)らと話し合いを持ちます。正治は東京大空襲で焼け出され、政府の呼び掛けに応じて一家で北海道に移住します。しかし政府にあてがわれた土地は荒れ地で、農業経験もほとんどなく、開墾は難航、郵便配達をして生活費を稼いでいました。「こんな家で、よく暮らしてましたね」と言う柴田剛男(藤木直人)と富士子(松嶋奈々子)に正治は言います、「河原で石を拾ってきて、それを焼いて、ボロ切れで包んで抱いて眠りました。それでも背中は凍るように冷たくて。実際、起きると子供の背中に雪が積もっていたことがあります。もう、あんな思いはさせられません。今年がダメなら、ここを離れるしかありません」・・・剛男は「酪農と畑作と兼業でやったらどうですか」と提案しました。どちらかがだめでもどちらかが助けてくれる、それに何より牛の糞尿が肥料となって土を肥やしてくれるからです。これに対し正治は「どうやって牛を手に入れるんですか」と言います。それはそうですね、牛も馬も、今で言えば自動車と同じような高価な代物、いわば財産です。お金が無ければ手に入りません。

■ 馬喰という商売
 筆者の連れ合いの祖父は馬喰(ばくろう)でした。伯楽(はくらく)、博労(ばくろう)とも言います。馬・牛の売買・仲介をする商人を指します。京都や鎌倉には伯楽座があり、城下町などには馬喰が集まって住む馬喰町や、旅商人としての馬喰の宿泊する馬喰宿などがありました。馬喰の多くは藩から鑑札を与えられていました。第二次世界大戦後は、家畜取引法の適用によって、北海道、岩手、熊本、宮崎、鹿児島の各道県の生産地市場や、栃木、岐阜、福岡各県の集散地市場の商品仲立人として、馬牛仲介人の役割をもつようになりました。力の強い牛馬を操って、高価ですから売買・仲介で大金を持ち歩きます。自然と馬喰は女にもてる職業という評価が定着していきました。

■ 話し合いの顛末
 山田正治一家と柴田泰樹一家の話し合いは続きます。
正治「うちの息子(天陽)がお宅のお嬢さん(なつ)に何を言ったか...『ここにいたい』と言ったかもしれませんが、それは子供同士の話ですよ。我々大人が真剣に話すようなことではないでしょう」・・・すると泰樹じいさんがやっと口を開きました。
泰樹「なんで真剣に話してはならないんじゃ」、「ワシはここにいるなつに言われて、ここに来た。この子に言われなければ、動きはせんかった」
正治「だから、何なんです。それは、そちらの事情でしょう」
泰樹「ワシの事情じゃない。なつの事情だと言っているんだ。それを真剣に聞いてやることが、なぜいかん。同じように、あんたの息子にも事情はあるだろう。それを真剣に聞いてやれと、そう言っとるんじゃ」
正治「何を言いたいんですか」
泰樹「ここの土はダメだ。今年も作物は育たんだろう。来年もダメじゃ。ちょっとやそっとのことで、土はよくならん。それでも、やる気があるなら、手はある。3年か、5年はかかるかもしれん。それでも、やる気あるか?」
正治「無茶を言わないでください」
天陽「僕はやりたい。お父さん、それでも僕はやりたいよ。僕が頑張るから、お父さんは今の仕事を続けていていいよ。僕がやる!」
正治「天陽、みんなの事情も考えろ」
泰樹「事情なんか、クソ食らえだ!大人の事情で、この子らがどうなった?この子らに何をやったんだ、大人が!今はせめて、この子らが何をやりたいのか、子供の話だと思わず、そのことを今こそきちんと大人が聞いてやるべきだろ!」
天陽の兄・陽平「お父さん、天陽は本当に農業がやりたいんだよ。馬が死んだ時、一番悲しんだのは天陽なんだ」
正治の妻・タミ(小林綾子)「あなただって、本当はここにいたいのよね?離れたくはないのよね?私たち家族のために、あきらめようとしてくれていたのよね?あれだけの覚悟をして、ここまで来たんだもの...」
 タミの目に涙が浮かび、正治の目からも涙がこぼれます。

■ NHK朝ドラ100回記念「なつぞら」はいよいよ青春へ
 そして、場面は開墾作業へと切り替わります。そこには木を切った大きな切り株があり、一面の荒れ地です。しかしそこには大勢の北海道開拓民たちが集まっていました。馬もいます。泰樹じいさんはみんなに呼び掛けました。「荒れ地中央の切り株を取り除き、水を引いて土の酸を洗い流すんだ」・・・「お〜〜〜っ」と歓声で応える人々、山田正治は「みなさん、よろしくお願いします」と深々と頭を下げます。北海道開拓民たちは、こうして助け合って開墾作業をしてきたのでした。みんなで力を合わせて切り株に巻き付けたロープを引きます。こういうときに「馬力」は力になります。抜けた!転がり出た切り株を見て、みんな抱き合って喜び合います。美しい光景です。私たちの先祖はこうやって開拓して来たのです。
 無事に作業が終わると、泰樹じいさんは天陽にまだ若い馬を与えます。お金がありません、と言う天陽に泰樹じいさんは「おまえがこの馬を育てて、稼いだら返せばいい」と言います。出世払いということですね。なつは泰樹じいさんに抱きつき「おじいちゃん、大好き」と言います。この後、なつは泰樹じいさんのそばに居ると、なんとなく誇らしくなるのでした・・・というシーンの後、一気に9年が経ってなつはもう高校生です。なつの青い春の始まりです。これから続々とイケメンがこれでもかと出てきます。
生垣に人気のトキワマンサク

ベニカナメモチ(もしくはレッドロビン)と並んで人気のトキワマンサク


トキワマンサクの葉は美しく、照明に輝きます


4月に咲くトキワマンサクのピンクの花の命短し 恋せよ乙女

■ 夏目漱石の小説『三四郎』が青春という言葉を広めた
 ところで、青春と言いますが、春はなぜ青いのでしょうか?・・・チコちゃんは知っています。「青春が青い春なのは春は青だと決まっているから〜」・・・お馴染みNHKのCG、5歳のチコちゃんが「ぼ〜っと生きてんじゃね〜よ!」と顔を真っ赤にして怒る番組でチコちゃんが言っていました。そして解説する人が、青春と言う言葉の素(もと)は夏目漱石の小説『三四郎』だというのです。『三四郎』は熊本から東京に上京してきた主人公の、若い人ならではの迷いや不安、恋愛などを描いた作品で、その中に青春という言葉が使われているため、そのイメージが広がり現在のような使われ方をするようになったのだそうです。そういえば本郷の東大キャンパスには三四郎池がありますね。その隣の建物で毎月「災害事例研究会」をやっていて、東大建築工学出身の会長が友人だったので、誘われて出席していました。
三四郎池

■ 日本人の勝算・・・ふたたび
 前回デービッド・アトキンソン氏の著作『日本人の勝算』(東洋経済新報社)について紹介しました。イギリス生まれの日本大好き人間が日本に拠点を移してから30年、見るに耐えない日本の惨状、そして今、人口減少と高齢化という未曾有の危機を前に、どうして日本人はこんなに「のんき」なのか...長いこと経済が低迷し、外国からどんどん置いてけぼりにされ、給料も上がらず、貧富の格差が拡大しているのに、日本人は全然怒らない、なぜなのか、日本人にも勝算はある、日本人はどう戦えばいいのか、ということが書かれています。もう一度、目次を紹介しましょう。
  第1章 人口減少を直視せよ――今という「最後のチャンス」を逃すな
  第2章 資本主義をアップデートせよ――「高付加価値・高所得経済」への転換
  第3章 海外市場を目指せ――日本は「輸出できるもの」の宝庫だ
  第4章 企業規模を拡大せよ――「日本人の底力」は大企業でこそ生きる
  第5章 最低賃金を引き上げよ――「正当な評価」は人を動かす
  第6章 生産性を高めよ――日本は「賃上げショック」で生まれ変わる
  第7章 人材育成トレーニングを「強制」せよ――「大人の学び」は制度で増やせる

■ 怒りを忘れた日本人の「のんき」に物申す
 デービッドさんが指摘することを改めて紹介します。朝ドラ「なつぞら」で「怒り」がテーマになりましたが、今の日本人はこの感情を忘れてしまっているようです。「人は自分の幸せを守るために怒るんだ」...泰樹じいさんが言いましたね。これに当てはめれば、今の日本人は浮浪児のなつがそうだったように、何とかして生き延びようとして、怒る前に諦める・・・争いごとを嫌って怒ることが出来なくなっているのではありませんか?幸せであれば怒れるはずです。
 GDPは、人間の数×1人当たりの生産性という数式で表します。これから日本では人口が減るので、生産性を上げないとGDPすなわち経済の規模が縮小していきます。生産人口(16〜65歳)が減るんだから、GDPが減るのはしょうがないじゃないの?という議論が平然と交わされていますが、「何をのんきなことを言ってるの?」とデービッドさんは怒ります。

■ 「働き方改革」は正しい方向に進んでいるか?
 これからの日本では人口が減っても高齢者の数は減らないので、年金や医療費をはじめとした社会保障費の負担は減りません。したがって日本では、経済規模を縮小させてしまうことは許されません。絶対に許されないかと言えば、年金や医療費を下げてもいいというのなら話は別ですが、もしそれを言えば高齢者の「怒り」を買って政権は簡単に転覆するでしょう。高齢者だって自分の幸せを守るためには怒るはずです。では生産性を上げるにはどうすれば良いでしょう?安倍政権は「働き方改革」にそれを求めています。しかしその結果はどうですか?最近息子や夫が早く帰ってくるようになったという話を聞きます。残業規制されているからです。よく聞くのは仕事を家に持ち帰っているとか、残業しない代わりに早朝出勤するようになったとか、ヒドイ話になるとタイムカードを押してからまた戻って仕事しているとか...ノルマを変えずに残業するなと言えばそんな話になりますね。しかし企業経営者は利益が会社存続の一丁目一番地ですから、「働き方改革」を政府から言われているからノルマを下げましょうなどとは絶対に言いません。労働者は給料が上がらないから残業代で稼いでいたという人も多いはず、残業が減れば収入ダウン、すると生活を切り詰めなければという話になって、GW10連休だからパ〜ッと遊びに行きましょうなんて人はどれほど居るのでしょうか?きれい事での「働き方改革」では「生産性を上げましょう」と言うのがキャッチフレーズです。日本人はドイツ、オランダ、北欧諸国の人に比べれば生産性はずっと下です。だから労働時間を長くして対抗してきました。生産性を上げようと言われてもどうしたらよいか分からない人、企業が多いのではないですか?

■ 労働者の給料を上げることが生産性向上の道
 生産性を上げるのに最も簡単なことは、労働者の給料を上げることです。人件費をGDPで割れば、労働分配率が求められます。つまり、生産性と労働者の給料は表裏一体なのです。「何をバカなことを言っているの?」と言われそうですね。でも日本人にドイツ、オランダ、北欧諸国の人たち並みの能力を発揮しろと言っても、現実にすぐできますか?第一に体力が全く違います。次に頭脳、そして勤勉性...こうしたものは食生活や教育によって培われるものです。日本はおよそ30年、労働者の給料を上げていません。英国銀行は、労働分配率を下げるとデフレ圧力がかかると分析しています。日本がずっとデフレだったのは給料が上がらなかったからです。したがって日本は労働者の給料を上げ、労働分配率を高めるべきです。それは生産性向上に対して「邪道」ではないかと言われるかもしれません。しかし、高生産性・高所得の経済モデルを構築しなければ「価値の競争」には勝てません。ニワトリとタマゴの議論で言えば、価値を産み出す労働者にはいっぱい給料をあげるべきです。この30年間の日本は、規制緩和によって非正規労働者を増やし、労働者の平均給与を下げ、下がった人件費分を使って強烈な価格競争を繰り広げてきました。そうこうしているうちに人口減少社会を迎えました。労働者間でも正規・非正規で格差が生まれています。教育されていない労働者がいっぱい居ます。高生産性の労働者が高い所得を得るという欧米では当たり前の事象を日本で実現しなければ、日本人の生産性は上がらないのです。

■ 日本の経済モデルを転換し、高生産性・高所得をめざせ
 高生産性・高所得の経済モデルとは、商品をいかに安く作るかよりも、作るものの品質や価値により重きを置く考え方に立脚します。この戦略に日本企業は転換すべきです。他社の商品にはない差別化要素であったり、機能面の優位性であったり、とりわけ、いかに効率よく付加価値を創出できるか、これを追求するのを経営の基本に置くべきです。これには、もちろん最先端技術が不可欠です。そして、それを使いこなすために、労働者と経営者の高度な教育も必須になります。同時に機敏性の向上も絶対条件です。
 1990年代以降、日本が実行してきた戦略では、一時的には利益が増えましたが、それは技術を普及させるための設備投資が削られ、社員教育も不要になり、研究開発費も削減される、すなわち経費を減らしたからにすぎません。先行投資を削っているだけなので、当然、明るい将来を迎えるのが難しくなります。これが今の日本経済の現状をもたらしました。この状態でも経済が成長するためには、人口が増加していることが条件になります。人口減少・高齢化社会に対応可能な経済モデルは、高生産性・高所得をめざすこと、今までの日本経済のモデルからの脱却が必要です。

■ 人口減少対策の議論の多くは幼稚
 いま、人口減少にどう立ち向かうべきかについて、日本で行われている議論の多くは本当に幼稚です。今日本が直面している人口の激減は、誰がどう考えても、明治維新よりはるかに大変な事態で、対処の仕方を間違えれば日本経済に致命的なダメージを与えかねない一大事です。それほど大変な状況に直面しているというのに、日本での議論はなんとも「のんき」で、危機感を覚えているようにはまったく思えません。こういう議論を聞いていると、正直、どうかしているのではないかとすら思います。「のんきな議論」は、日本社会のありとあらゆる場面で見ることができます。

■ のんきな「競争力」の議論
 最低賃金を引き上げることが重要だと言ったら、「最低賃金を引き上げると日本の国際競争力が低下するからダメだ」と言われました。ちょっと考えるだけで、この指摘がいかに底浅いかがわかります。日本の対GDP比輸出比率ランキングは世界133位です。輸出小国ですから、限られた分野以外では、別に国際的に激しい競争などしていません。それでも日本がやってこれたのは、人口が多く、国内に十分な消費力があったからです。他の先進国の最低賃金はすでに日本の1.5倍くらいですから、同程度に引き上げたとして、なぜ国際競争力で負けるのでしょう?さらに、多くの労働者が最低賃金で働いている業種は宿泊や流通などサービス業ですので、輸出とはあまり関係がありません。いかにも議論が軽いのです。

■ のんきな「教育」の議論
 教育についての議論も、実にのんきです。教育の対象を子どもから社会人に大胆に変更しなくてはいけないのに、日本の大学はいまだに、毎年数が少なくなる子どもの奪い合いに熱中しています。教育の無償化に関しても同様の印象を感じます。「子どもを育てるコストが高い。だから子どもを産まない、つまり少子化が進んでしまっている。ならば、教育のコストを無償にすれば、少子化は止められる」・・・そんなことを考えて、教育の無償化に突き進んでいるのではありませんか?しかし、これは小手先の対症療法的な政策です。教育を無償化すれば子どもを産みますか?保育所をいっぱい作れば子どもを産みますか?少子化の根本原因を取り違えています。そもそもなぜ教育のコストを高いと感じる人が多いのか。その原因を考えれば、収入が少ないからです。教育の無償化と、国民の収入アップ・・・どちらを先に進めるべきか、答えは収入アップに決まっています。要するに、少子化問題の本質は教育費にあるのか、親の収入が足りないのかを、きちんと見極める必要があるのです。事実、日本人の給料は、同程度の生産性を上げている他の先進国の7割程度です(購買力調整済み)。なおかつ長年、若い人を中心に減少の一途をたどっています。問題の本質は教育費ではなく、給料なのです。先進国の中では、少子化と生産性との間にかなり強い相関関係があるという研究があります。生産性が低く少子化が進んでいる複数の国で、教育費の補助を出しても思い通りには出生率が上がらなかったという興味深い事実もあります。ですから、教育費を無償にしても本質的な対処にはなりませんし、税金か借金でまかなうしかないので、結局経済に悪影響を及ぼすのです。

■ のんきな「輸出」の議論
 JETROの輸出促進とクールジャパンも同じです。問題の本質が分析できていません。私の分析では、日本が輸出小国である最大の理由は、規模が小さい企業が多過ぎて、たとえすばらしい商品があったとしても、輸出するためのノウハウや人材が欠けている会社が大半だからです。すなわち、輸出のためのインフラが弱過ぎるのです。いくら補助金を出して、輸出できない企業が一時的に輸出できる形を作っても、継続的に輸出が増えることはありません。

■ のんきな「先端技術」信仰
 最先端技術も同じです。日本の産業構造自体に技術普及を阻む問題があるのです。あまりにも規模の小さい企業が多過ぎて、技術の普及が進まないだけではありません。残念ながら日本では、せっかくの最先端技術を活用する気も、活用するインセンティブも持たない企業が大半なのです。経済産業省のやっていることも輸出の発想と同じです。最新技術を導入すれば、経済は伸びる、しかし、実際には技術はなかなか普及しない・・・小さい企業は最先端技術を導入するお金がない、「ならば!」ということで、技術導入のための補助金を出す、これもまた対症療法です。なぜなら、大半の企業は規模があまりにも小さくて、その技術を活用するための規模もなければ、使える人材も、わかる人材もいません。社員教育が著しく少ないことも影響しています。

■ のんきな「生産性」の議論
 先日、厚生労働省と打ち合わせをしたときに、最低賃金を上げるのに備えて、その負担を軽減するために、企業に生産性を向上させるための努力を促す目的で補助金が用意されたという話を聞きました。しかし、せっかくの補助金なのに、申請された金額は用意された金額の半分以下だったそうです。やはり、小さい企業は現状のままでいいという思いが強く、生産性向上など考えていないようです。経産省も厚労省もまったく思慮が足りていません。分析が浅すぎるのです。
 決して公言はしないでしょうが、経産省は「日本企業は、お金さえあれば最先端技術を導入したいと思っている」という前提に立っているようですが、これは事実と反します。何度も言いますが、そもそも日本企業は規模が小さいので、仮に最先端技術を導入したとしても、十分に活用できるとは思えません。厚労省は、「最低賃金の引き上げの影響を受ける企業は当然、生産性を向上したがる」と思っているようですが、この仮説も根本的に間違っています。最低賃金で働いている人の割合が高い企業は、そもそもまともな経営がされていないか、または根本的に存続意義がないに等しい会社が多いので、自ら生産性を向上させようなどという殊勝な考えなど持ち合わせていません。補助金以前の問題です。そういった企業は、声高に訴えれば政府が守ってくれるとわかっていますので、生産性向上という「余計」な仕事をするインセンティブはないのです。

■ のんきな「財政」の議論
 財政の議論も浅いと思います。消費税の引き上げも対症療法でしかありません。ご存じのように、日本は人口が多く、人材評価も高い割にはGDPが少ないのです。一方、社会保障の負担が大変重くなっています。そこで、年金の支給を減らしたり、医療費の自己負担を増やして、国の負担を減らすべきだという議論も交わされています。政府は消費税を上げて、税収を増やそうとしています。しかし、私に言わせれば、この2つの方法は、夢のない、いかにも日本的な現実論にすぎません。この政策は、将来の負担をまかなうために、現状の日本経済が生み出している所得に何%のどういった税金をかけたら計算が合うか、という形で議論されています。あたかも、税率以外の他の変数は変えることができないという前提に立っている印象です。日本の財政の問題は支出の問題でもなければ、税率の問題でもありません。日本の財政の根本的な問題は、課税所得があまりにも少ないことに尽きます。しかし日本の議論では、「所得は増やすことができる」という事実があまりにも軽視されています。消費税は上げるべきかもしれませんが、その前に付加価値を高め、その分だけ給料を上げて、上げた分の一部を税金として徴収すれば、それだけでかなりの規模の税収アップになります。

■ のんきな「量的緩和」の議論
 経済学の教科書には、いくつかの「インフレの原因」が列挙されています。モノとサービスの需要が相対的に増えること、通貨供給量の増加、円安、財政出動は典型的なインフレ要因です。賃金が増えることも、大きな要因の1つです。経済の状況が通常通りならば、財政出動と円安誘導と金融政策で経済は回復します。いわゆる、「インフレは日本を救う」論理です。しかし、この議論には大きな盲点があります。それは、日本のように給料が減って、人口も減り、消費意欲が低下する高齢化社会では、需要が構造的に減るということです。もはや「通常」の状態ではありません。このような状況で、中小企業問題や給料が少な過ぎる問題を無視し、金融緩和や円安政策を進めても、通常の効果は出ません(もちろん、やらないよりはマシでしょうが)。給料を徹底的に上げていかないと、金融政策や財政だけでは通常の効果は期待できないのです。「インフレは日本を救う」というだけの議論は、問題の本質を見極めていない議論です。企業の規模と給料には強い関係がありますから、企業規模を拡大し、給料を高めて初めて、金融政策・財政政策が生きてくるのです。

■ あらゆる問題は「給料が少ない」ことに帰する
 デフレ、輸出小国にとどまっている問題、年金問題、医療費問題、消費税、少子化、国の借金、女性活躍問題、格差の問題、技術の普及が進まない問題、ワーキングプア、子どもの貧困、などなど。これらの問題の根源にあるのは、すべて日本人がもらっている給料が少な過ぎることです。今の政策は、ほぼすべてがただの対症療法です。問題の本質が見えていない。それでは病気そのものを完治させることはできません。では、どうするべきか。『日本人の勝算』に書きましたが、やるべきことは明確です。世界第4位と評価されている優秀な人材を使って、先進国最低、世界第28位の生産性を上げればいいのです。それだけです。それには、賃金を継続的に上げる必要があります。このことを、大半の日本企業の経営者が理解しているとは思えませんし、自ら賃金を上げる気のない経営者が多いのも間違いないので、彼らの奮起を期待してもムダです。だとしたら、高生産性・高所得の経済モデルに移行させるために、最低賃金を毎年5%ずつ上げて、彼らに強制的に生産性を引き上げさせるしか方法は残されていません。

■ 最低賃金を引き上げ、中小企業を集約させよ
 生産性の向上ができない経営者は、増える一方の社会保障負担を捻出するだけの才能がないのです。潔く企業経営から撤退してもらいましょう。人手不足は当分続くので、労働者は才能のある経営者のところに行けばいいのです。最低賃金の引き上げの話を出すと、必ず昨年の韓国で起きたバカげた失敗事例を引き合いに出す人が現れますが、韓国は一気に16.4%も引き上げたから失敗したのです。だからこそ、日本は毎年5%でいいのです。また、最低賃金を引き上げると、中小企業は皆つぶれるという意見も必ず寄せられます。しかし、そういう意見を持つこと自体、頭を使っていない証拠だと思います。すべての中小企業の労働者が最低賃金で働いているわけでもなければ、すべての企業の経営がギリギリなわけでもないので、最低賃金を引き上げたからといって、中小企業が大量に倒産することはありえません。日本人労働者の生産性は、イギリス人などのヨーロッパの人々とそれほど大きく違いません。しかし、最低賃金はたったの7割に抑えられているのです。人材評価が大手先進国トップの日本は、それを武器に、大手先進国トップクラスの賃金をもらい、再び経済を成長させる。この挑戦にトライするしか、日本に道は残されていません。それには、中小企業を集約させること。ここに「日本人の勝算」があります。

■ 田中角栄型の政治家を望む
・・・いかがでしょうか。デービッド・アトキンソン氏の『日本人の勝算』(東洋経済新報社)の要点について紹介しました。デービッドさんの論によれば、アベノミクスも間違いだし、教育の無償化も間違いだし、要するに今日本国政府や官僚がやっていることは間違いだらけだ、ということですね。やることは簡単だ、給料を上げろ、そうすれば所得税が入ってきて社会保障費の財源となる、しかし経営者に期待してもだめ、国が強制的に実行し、やる気の無い経営者には撤退してもらい、中小企業を集約すれば、団体で力を発揮する日本人の特質が生きて、ふたたび日本は世界に冠たる存在になって人口も増えるだろうということです。長期低落の日本の現状を見れば、デービッドさんの言うとおりです。問題は今の日本の政治構造が、中小企業のオヤジたちが集票マシーンとなって成り立っていること、そしてハイアラーキ構造のトップに立つ国会議員たちが官僚の言いなりになるしかない現状です。これが変わるには、国民の意識が変わるしかありません。ただそこにヒットラーが現れては困ります。いかにも日本人的な「情」があって説得力があって頼りになりそうなリーダー、故堺屋太一さんが懸念したような信長型ではない人物、そう田中角栄のような人が現れて、そこに国民の支持が集まって日本が変わること、それを期待して止みません。
(2019年4月16日)


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