317  むじょけ
 今年の桜は3月末に咲き出し、この分だとあっと言う間に満開〜花吹雪〜葉桜かなと思っていたら、花冷えで急ブレーキがかかり、4月の入学式に間に合いました。4月8日は毎月恒例の伊香保温泉でしたが、水沢観音はまだ梅見頃、お花見(桜)は来週以降でしょう。ただ、麓の渋川市は春爛漫でした。桜や花桃、菜の花、ヤマシャクヤク、スミレ...今を盛りと咲いていました。伊香保温泉では桜の蕾はホッコリ膨らんで、かすかに桜色、もうすぐ咲き出しそうです。もみじの芽はまだ固く小さいのですが、中には萌黄色の木の芽が小さく開いている樹木もありました。萌黄色(もえぎいろ)とは、春の萌えでる木の葉のような色をさし、平安時代から用いられている黄緑の代表的な色合いを指す言葉です。萌黄色は、植物の一般的な色あいである緑に対して、黄みが強いためこの文字が当てられたようです。
 色合いを示す言葉には、空色、群青色、藍色、朱色、桃色、橙色、山吹色、黄土色、肌色、鼠色など、固有色で表現する場合があります。「マリンブルー」「コバルトブルー」「エメラルドグリーン」など、カタカナ言葉もあります。「ワインレッド(濃い紫みの赤)」と「ボルドー(ごく暗い赤)」の違いは分かりますか?いろいろあって楽しいですね。

萌黄色の木の芽

■ NHK朝ドラ100回記念「なつぞら」
 NHKの朝ドラは、ドラマ界の中では安定的に20%以上の視聴率を稼ぎ出す国民的ドラマです。忙しい出勤時間に見れない人のために深夜0時45分から再放送したり、BS3;NHKプレミアムで朝にも放送されています。
 2019年4月からの朝ドラは、100回記念の「なつぞら」です。戦争で両親を亡くし、父の戦友の養女として引き取られたヒロイン奥原なつ(広瀬すず)が、北海道を舞台に、亡き父の戦友の柴田剛男(藤木直人)と、その妻・富士子(松嶋菜々子)、柴田夫妻の父泰樹(草刈正雄)に育てられ、豊かな想像力と開拓者精神を生かし、アニメーターを目指す姿を描くものです。
 このドラマはヒロイン奥原なつ(広瀬すず)が最初に出てきて、北海道の広大な景色の中でキャンバスに向かい絵を描いているところから始まります。そして東京からわざわざ懐かしい男子学生が訪ねて来ました。こうした、将来を予感させるところから舞台は一転、東京大空襲で焼け出され、母も失った幼いなつ(粟野咲莉)が苦労して生き抜く中、孤児院の兄と親戚の家に預けられた妹と別れて、戦死した父の戦友柴田剛男に連れられて、北海道・十勝の酪農牧場にやってくるのです。柴田剛男の妻富士子は優しく受け入れてくれます。しかし、富士子の父泰樹は「赤の他人」のなつに優しい言葉はかけません。「何でもやりますからここに置いてください」というなつに、「じゃあ明日から朝早く起きて手伝え」と言います。なつは必死に働き、それを見ていた泰樹は牛の乳搾りをやらせます。牛は心許した人間でなければ受容れず、時には蹴飛ばされて命の危険さえあります。

■堂々とここで生きろ
 ある日泰樹は、なつ(粟野咲莉)を馬車に乗せて帯広の闇市に出かけます。泰樹は、両親を亡くして戦後の東京で必死に生き抜き、兄弟と離れて北海道にやってきたなつに長靴を買い与えます。さらに馴染みの菓子屋・雪月へ行き、出迎えた雪月のとよ(高畑淳子)は泰樹が孫の夕見子(荒川梨杏)を連れてきたと勘違いし、戦地から帰還したばかりの息子、菓子職人の雪之助(安田顕)と妻の妙子(仙道敦子)も出てきて、どんどん話が膨らんでしまって収拾がつかなくなりますが、結局は孫ではなく「弟子」だということが分かります。なつと泰樹は雪之助が作ったアイスクリームを食べ、泰樹はなつに静かに語り掛けます。「それは、おまえがしぼった牛乳から生まれたものだ。よく味わえ。ちゃんと働けば、ちゃんといつか報われる日が来る。報われなければ、働き方が悪いか、働かせる者が悪いんだ。そんなとこはとっとと逃げ出しゃいいんだ。だが、一番悪いのは、人が何とかしてくれると思って生きることだ。人は人をアテにする者を助けたりはせん。逆に自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるんだ。おまえはこの数日、本当によく働いた。そのアイスクリームは、おまえの力で得たものだ。おまえなら、大丈夫だ。だから、もう無理に笑うことはない。謝ることもない。おまえは堂々としてろ。堂々と、ここで生きろ」・・・なつは涙を流して黙って聞き入っていました。

■歴代ヒロイン7人出演
 「なつぞら」は100回記念であるだけに、NHKにも特別な思い入れがあるようです。出演者の豪華さを見ても、いかに気合が入っているかがわかります。男優はイケメン揃いだし、これまでのヒロインがバンバン出てきます。松嶋菜々子(45)は1996年前期「ひまわり」、小林綾子(46)はNHK放送開始30年記念1年ドラマ;1983〜84年「おしん」、山口智子(54)は1988年後期「純ちゃんの応援歌」、比嘉愛未(32)は2007年前期「どんど晴れ」、貫地谷しほり(33)は2007年後期「ちりとてちん」のヒロインです。1961年に放送された朝ドラ第1作「娘と私」のヒロインを務めた北林早苗(75)も、東京の焼け跡で、妹を背負って食べ物を乞うなつに、死んだ孫の分をあげるよと芋をくれるお婆ちゃんとして登場しました。1996年後期の「ふたりっ子」のヒロインを務めた女優の岩崎ひろみ(42)もなつの先生役で出演して、朝ドラヒロイン経験者が7人集結しました。もしかすると、展開によってはさらに...?

■ なつは「むじょけ」
 「なつぞら」の柴田家の当主・泰樹(草刈正雄)の言葉に激しく共感しました。ちゃんと働けば、ちゃんと報われるはず。報われなければ、働き方が悪いか、働かせる者が悪い。そんなとこはとっとと逃げ出しゃいいという言葉、労働者には仕事を選ぶ権利があるのです。そしてちゃんと働いていれば誰かが助けてくれるものということ、まさにその通りだと思います。泰樹はなつのことを見て「むじょけ」と思ったのでしょう。これはわが故郷の方言で、「むじょけ」というのはけなげな小さい子に抱く感情で、「こんなかわいい子がかわいそうに」、という意味です。昔は、特に終戦直後は、なつのように戦争で親を失った戦災孤児がたくさんいました。またそうでなくても子沢山で貧しい家の子供は、幼い弟妹の子守りをしながら家の手伝いをするのは当たり前で、そうした子供たちに対して「むじょけ」と言ったのです。したがって「むじょけ」というのは子供たちに対する愛と憐れみが相まった言葉で、筆者はこの言葉が好きです。それは子供に対する大人の愛を感じるからです。「むじょけ」子供に対しては、何とかして助けてあげなければという気持ちが背景にあるからです。「おしん」などティピカル「むじょけ」です。
ふじみ野市弁天の森親水公園の桜を見ながら保育園児の散歩(4月4日)

■ 「むじょけ」を調べたら・・・
 「むじょけ」と言う言葉をネットで調べたら、呉善花さんの「日本語の心」−言葉の原風景をたずねて−(日本教文社)と言う本が真っ先に出てきました。その第二章「心の歴史を保存する言葉」の第十二項「愛と憐れみ」(131ページ)のところに「むじょけ」が出てきます。
 以下、この本に書かれている内容を紹介します・・・「いとしい」や「かわいい」というのは「痛わしい」、「ふびんだ」という気持ちを表していたものが、時代の流れの中でだんだんと慕わしい愛情をあらわすように変化して行きました。日本では京都から周辺へと文化が伝播して行き、京都から遠い地域ほど当時の京都言葉が残っています。ヨーロッパで言われる「文化周圏説」と同じようなものですが、日本では柳田国男が提唱しています。このため東北と九州南部、沖縄などに似た言葉が残っています。「かわいい」を意味する「ムゾイ」系の方言、「ムジョケ」、「ムゾカ」などが「津軽、岩手、新潟、群馬」と「大分、長崎、鹿児島」でそれぞれ小さな変化を見せながら使われています(「方言と昔」『定本柳田國男集』第十八巻、筑摩書房)。東北六県と新潟では「かわいい」ことを「メンコイ」と言い、これは「メゴイ」が素(もと)で、愛らしいことを意味します。万葉集には「メゴイ」は「メグ(愛ぐ)」の形容詞だとあるので、相当古い言葉だとされています。

■ 愛と憐れみは「もののあわれ」
 「ムゾイ」と「メゴイ」は同じ「かわいい」を表す言葉で、千葉方言や四国方言にはかわいいことを「ムゴイ」と言うことがあります。ムゴ=愛子で、「ムゾイ」と「ムゴイ」は同じ意味で使われていました。現代では「残酷」を意味する「ムゴイ」が、方言では「メゴイ」と同じかわいいという意味で使われてきたのは何故か?国語学から見ればかわいいという言葉の歴史的変遷がスッキリと見えて来ますが、民俗学的にはどうか。柳田国男はもともとは一つの心の感動を表す言葉が、二つに分化し、メゴイ、ムゴイと形を変えて言うようになって行ったと見ていて、この二つとは愛と憐れみである、ということらしいのです。東北では「かわいい」にはなるべくメゴイを使い、「かわいそう」「ふびんな」ときにはムゴイが用いられたということです。古くは愛されるものとは弱くて小さな相手であり、「憐れみ」とは同情ではなく小さなものを慈しむ愛の心だったのだと言います。愛と憐れみが分化する以前の感動をたどっていけば、どうしても「もののあわれ」に行き着くのだそうです。すなわち愛と憐れみは「もののあわれ」では一つのものであり、こうした日本人の精神文化が、東北や九州ではつい最近まで残っていたということに、韓国から日本に帰化した呉善花(オ・ソンファ)さんは感動したのだそうです。

■ 韓国生まれの人に日本の歴史と文化を教えられる
 この本から、韓国にルーツを持つ人に日本の言葉を教えられた気がしました。呉善花(オ・ソンファ)さんは、1956年韓国済州島生まれで、現在は拓殖大学日本文化研究所客員教授を経て拓殖大学国際学部教授です。韓国軍に入隊しながら大邱保健専門大学を卒業しました。当時の韓国は全斗煥(チョン・ドファン)の軍事政権下で、まだまだ女性の社会進出は限られたものでした。国際的にもっと開かれた舞台で仕事をしたいと欧米への留学を考えましたが、当時はいろいろと制限があって難しいこともあり、日本の大学に留学しました。大東文化大学(英語学専攻)卒業後、東京外国語大学地域研究科修士課程(北米地域研究)修了、日本で生活を続けているうちに、とても過ごしやすい国であることを実感し、ずっと日本に住むようになり、1988年に日本へ帰化しました。現在大学で講義しているのは、朝鮮半島事情、朝鮮半島の政治、韓国語、日本の歴史と文化です。外国人が日本の歴史と文化の講義を担当するというのは、あまり例がないかもしれません。世界的なテーマとしての「日本」という観点で「日本」をつかみ取れるように授業を進めているそうです。

■ 外国人がぶち当たる「壁」
 呉善花さんも来日して2〜3年後、日本で暮らすことに大きなストレスを覚えたそうです。それは生まれながらの韓国人気質と日本文化とのギャップから来るものでした。実はこれは来日した外国人誰しもがぶち当たる「壁」なのだそうです。来日当初は、日本人は親切でとても住みやすい国だと思うのですが、2〜3年後に祖国と日本の文化ギャップに苦しみ、日本的なものへの拒否反応が起きるとのこと、その時点で帰国すると日本嫌いになり、乗り越えると再び日本が好きになるのだとのこと。呉善花さんは乗り越えたからこそ日本へ帰化しようと思うほどになったそうです。

呉 善花教授拓殖大学教員紹介より

■ 韓国での反日教育に染められて...
 呉善花さんは今では知日派として知られますが、韓国での学校教育によって反日主義に傾倒していたそうです。韓国では「反共」「反日」を徹底的に教育します。しかし、戦前に日本在住経験のあった父母は何故か日本のことを悪く言わず、それは教育程度が低いからだと思って、ますます勉強せねばと思ったそうです。来日して初めて金日成(キム・イルソン)の写真を見ました。韓国では写真は無く、いかにも凶暴な悪魔のように描かれていた絵を見せられていて、写真との違いにビックリ、「なんてハンサムで穏和な顔をしているのだろうか」と思ったそうです。
 呉善花さんによると、韓国の反日教育の根本は「野蛮な日本人」だそうです。文化も何もなかった時代の日本に、儒教・仏教・技術をはじめとする高度な文化を伝えてあげたにもかかわらず、日本はその恩を忘れ、古代には「神功皇后による三韓征伐」や「任那日本府(日本による朝鮮の植民地)」があったなどの捏造記事を国史に記載し、中世には豊臣秀吉による朝鮮侵略が行なわれ、近世末には国学者らにより韓国征伐論が唱導され、明治初期には政府内に征韓論が火を噴き、韓国の江華島に砲撃を加えて戦争を仕掛ける、遂には30年以上にわたる朝鮮支配・・・、このように歴史を連続させ、この流れを一連のものとみなして、その根本的な原因を「日本民族の野蛮で侵略的な資質」に求めるのが、韓国の反日民族主義史観なのだそうです。

■ 韓国入国拒否
 呉善花さんが韓国併合を全否定しないことや、日本の自虐史観の改善を求めていることから、韓国では親日派という否定的評価を受けているそうです。2007年10月1日、済州島在住の母の葬儀で韓国へ入国しようとしたところ、日本での「反韓的な活動」が理由で韓国当局から入国禁止措置が取られていて、済州国際空港で一時入国を拒否されました。これに対し、呉さんの要請により在済州日本国総領事館から、日本人への人権侵害だとの抗議によって、韓国入管は呉さんの入国を認めました。2013年7月27日には、親戚の結婚式への出席のために韓国へ入国しようとしたら、仁川国際空港で完全入国拒否〜本国送還命令(韓国入国法76条適用)が下されたそうです。ルーツを朝鮮半島に持ちながら、韓国に対して批判的な評論活動を依然として行なっていることが影響したとされますが、大韓民国当局は拒否の理由を明らかにしませんでした。外から見て初めて自国のことが分かるというのは、海外へ行ったことのある人なら誰しも経験しているでしょう。日本人が韓国へ帰化して、日本についてとやかく言ったとしても日本国政府が入国拒否するでしょうか?韓国政府はまともではないことが、この事例ひとつで分かります。
 ちなみにスウェーデンに帰化した日本人が言っていました・・・「日本は世界で唯一、イメージより実態が良い国である」・・・つまり日本に来て見ると想像以上に良い国だと分かる、他国はみんな行ってガッカリする、ということですね。これは良いことなんだろうか?と考えさせられてしまいました。

ふじみ野市立西原小学校の桜(4月6日)

■ 若者は新大久保でフィーバー
 ただ呉善花さんが祖国の韓国を嫌っているわけではありません。彼女はただ、自分が受けてきた教育は間違いだった、日本はそんな悪い国ではないよと言っただけです。実際、韓国の若者たちは、本音ではニッポン大好きの人が多いそうです。公の場では「日本はヒドイ」と言っていても、水面下では日本が好き、これは日本でも実は同様みたいですよ。一部ネトウヨが激しく韓国文政権を攻撃していますが、先日NHKのテレビ番組で、今新大久保が熱い、と特集していました。新大久保と言えば、言わずと知れた朝鮮街です。ここに日本の若者たちが集まってフィーバーしているのだそうですよ。朝鮮大好きという日本の若者たちのメッカなのだそうです。日韓両国政府は只今、かつて無い冷え切った関係にありますが、若者の世界ではそんなこと関係ない、こうしたところからボトムアップして、両国関係が良くなっていけばいいと念願します。現実問題、経済界では日韓はお互い切っても切り離せない関係に有り、報道で見られるような日本財界の韓国離れなど現実的ではありません。

■ イギリス生まれの人から見た日本
 オックスフォード大学で日本学を専攻し、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏は、退職後も日本経済の研究を続け、『新・観光立国論』、『新・生産性立国論』など、日本を救う数々の提言を行ってきて、ついにたどり着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』(東洋経済新報社)が刊行されました。人口減少と高齢化という未曾有の危機を前に、日本人はどう戦えばいいのか。
 デービッドさんは言います・・・日本に拠点を移してから30年、さまざまな出来事を目の当たりにしてきました。経済の低迷、それにともなう子どもの貧困、地方の疲弊、文化の衰退――見るに耐えなかったというのが、正直な気持ちです。厚かましいと言われても、大好きな日本を何とかしたい。これが私の偽らざる本心で、本書に込めた願いです。世界的に見て、日本人はきわめて優秀です。すべての日本人が「日本人の勝算」に気づき、行動を開始することを願って止みません
 デービッドさんは1965年イギリス生まれ、1992年ゴールドマン・サックス入社。金融調査室長として日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、注目を集めます。2006年に共同出資者となりますが、マネーゲームを達観するに至り、2007年に退社。2009年に国宝・重要文化財の補修を手掛ける小西美術工藝社に入社、2011年同会長兼社長に就任。2017年から日本政府観光局特別顧問を務めています。

■ 日本人の勝算
 この本の目次を見れば、大体大枠は分かります。
  第1章 人口減少を直視せよ――今という「最後のチャンス」を逃すな
  第2章 資本主義をアップデートせよ――「高付加価値・高所得経済」への転換
  第3章 海外市場を目指せ――日本は「輸出できるもの」の宝庫だ
  第4章 企業規模を拡大せよ――「日本人の底力」は大企業でこそ生きる
  第5章 最低賃金を引き上げよ――「正当な評価」は人を動かす
  第6章 生産性を高めよ――日本は「賃上げショック」で生まれ変わる
  第7章 人材育成トレーニングを「強制」せよ――「大人の学び」は制度で増やせる
 デービッドさんの仰ることにも激しく共感します。日本は長いこと経済が低迷し、外国からどんどん置いてけぼりにされ、給料も上がらず、貧富の格差が拡大しているのに、日本人は全然怒らない、政治的には一党独裁みたいになっていて、極めて安定している。どうして日本人は現状打破しようと思わないのだろう?
 デービッドさんは言います・・・ただ今の少子高齢化は、国の存亡にかかわる危機です。明治維新よりはるかに大変な事態で、対処の仕方を間違えれば日本経済に致命的なダメージを与えかねない一大事です。それほど大変な状況に直面しているというのに、日本での議論はなんとも「のんき」で、危機感を覚えているようにはまったく思えません。こういう議論を聞いていると、正直、どうかしているのではないかとすら思います。「のんきな議論」は、日本社会のありとあらゆる場面で見ることができます。あらゆる問題は「給料が少ない」ことに帰するのです。生産性の向上ができない経営者は、増える一方の社会保障負担を捻出するだけの才能がないのです。潔く企業経営から撤退してもらいましょう。人手不足は当分続くので、労働者は才能のある経営者のところに行けばいいのです・・・どうですか、「なつぞら」で柴田泰樹(草刈正雄)がなつに言ったこと、そのままではありませんか。前々回、堺屋太一氏が仰ったことにも触れましたが、今の日本国政府と官僚、そして経済界にこのまま委ねていたら日本は大変なことになります。だから野党ということではありません。「ちゃんと働いていれば報われる」ようにしなければならないのです。「働けど働けど・・・」という石川啄木の世界にだけはしてはなりません。

■ ボーイングの「737MAX8」機墜落事故原因
 エチオピア航空が運航する米ボーイングの新型機「737MAX8」が墜落した事故で、操縦士は離陸から墜落までの6分間、同機の自動飛行制御システムと格闘し続けていたそうです。ボーイング社は、機体の失速を防ぐ目的で搭載された「MCAS」と呼ばれるシステムに問題があったことを認め、ミュレンバーグ最高経営責任者(CEO)が謝罪しました。
 737MAX8型機を巡っては、昨年10月にインドネシア沖で墜落したライオン・エアー機でも同様の問題が伝えられており、運航再開を目指すボーイングにとっては大きな打撃となります。MCASは機外に取り付けられたAOA(迎角)センサーの情報を受信して、失速の危険があると判断すると自動的に機首を下げるものです。ボーイングは現在、このシステムのソフトウエアを変更する作業を進めているそうです。ボーイングのミュレンバーグCEOは声明で、ライオン・エアーとエチオピア航空の墜落事故について、「人命が失われたことを申し訳なく思う」と謝罪しました。しかしセンサの異常を受けての誤作動を防ぐ何重もの安全策が施されていなければならず、事故で死亡した乗客・乗員の遺族にしてみれば、到底納得できるものではないでしょう。筆者の如く自動制御システムの設計に携わってきた者から見ると、Fail safe(フェイルセーフ)が基本中の基本です。故障は起きるもの、誤作動も起きるもの、電源喪失も起きるもの、何が起きたとしても、どんなときでも、最後は安全サイドへ持ち込まなければなりません。人命を預かる航空機では当然と思っていました。オドロキです。
ボーイング737MAX8

■ 第91回選抜高校野球大会は東邦(愛知)が優勝
 第91回選抜高校野球大会は東邦(愛知)が習志野(千葉)を6―0で下して30年ぶりの大会制覇、それも平成最初と最後のセンバツを制するというドラマチックなフィナーレとなりました。エース兼主将の大黒柱石川(3年)が、打っては2発4打点、投げても3安打完封と大活躍でした。海外遠征から帰国した東邦のマーチングバンドに、大阪桐蔭高校吹奏楽が加わっての強力な応援が何より励みになったのではないでしょうか。

■ イチロー国民栄誉賞3度目の辞退
 先月末に現役引退を表明した米大リーグ・マリナーズのイチロー(45)が、政府が授与する方向で検討していた国民栄誉賞を辞退すると伝えた模様で、政府も了解したそうです。固辞するのは3度目で、おそらく今後も野球界に関わっていく強い意思を示したものとみられます。まだ賞を頂く場面じゃないよ、ということでしょう。「令和」時代を迎える中、受賞第1号が期待されていましたが、先般書いたように、西澤潤一先生がノーベル賞を超える存在であったが如く、イチローも国民栄誉賞を超える存在ということで、いいのではないでしょうか。
(2019年4月9日)


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