312  和倉温泉
 3月になりました。2日(土)からいよいよ少年野球の新しいシーズン開幕、ふじみ野市少年野球連盟春季リーグ戦大会の開会式が、市役所隣の上野台小学校で行われました。我がチームはこの日は市内大会の試合は無く、川合ランバー旗という大会の第一戦を東京都清瀬市のチームと行う予定でしたが、インフルエンザや肘痛で選手が揃わず見送り・・・残念。3月3日(日)はひな祭り、市内大会の試合がありましたが、始まったばかりで雨で中止になりました。いよいよ2019年の戦いの火蓋が・・・これ、切って落とされるの?切られるの?下↓で解説しています。

■ 和倉温泉ツアーへ
 2月26日(火)から三日間、JTB旅物語『ANAで行く和倉温泉二泊三日の旅』に行ってきました。連れ合いが仕事していたので、連泊の旅は有休を取らないと行けませんでした。ましてや海外旅行をやです。このまま年取れば、人生つまらない、申し訳ないけれど辞めてもらいました。今の世の中の動きに反するかもしれませんが、必死に働いてきた40数年間からすれば許してもらえるでしょう。
 ツアー旅行は滅多に無かったのですが、この旅は羽田から能登さとやま空港へひとっ飛び、わずか1時間、空港から和倉温泉まで能登半島を南下してふるさとタクシーで1時間、七尾湾一望・・・全室オーシャンビューの「天空の宿 和倉温泉 大観荘」(石川県七尾市)に連泊というプランでした。このホテルの外観は右写真です。
 何でこのツアーを知ったかと言いますと、”Travelzoo”です。バンバンメールが来るのです。それにしてもこのJTB旅物語の料金には目を瞠りました。羽田から能登空港のANA片道料金¥24,600、ふるさとタクシーは能登空港から七尾まで片道料金¥1,600、つまり片道交通費¥26,200、それに大きなホテルに二泊四食、しかも夕食にはお銚子1本ついての宿泊費を併せての金額がどうしてこんなに安くなるの?それがツアーならでは、なのですが、JTBは旅行社の中でも一流です。だから冗談ではないはずです。予約してみました。

天空の宿 和倉温泉 大観荘の外観

■ 途中下車の旅…TRC
 羽田空港14時55分発のANA749便なので、東京モノレール途中下車、平和島の東京流通センター(TRC)に寄り道しました。連れ合いの若い頃の勤務先であり、我が勤務先の会社が米国ボストンの企業と合弁会社を作りここに入居していたため、共通の懐かしい場所だったからです。
 途中天王洲アイルのビル群を見て、「あれ?こんなの無かったよ」と目を丸くしていました。当たり前です、もう40年経っているんですから そもそも東京モノレールにも天王洲アイル駅なんて昔はありませんでした。
 TRCには展示場が2ヶ所あります。ちょうど展示会をやっていたので昼時のレストランコーナーは混雑していました。バーバーも郵便局も銀行も病院も皆相変わらず営業していました。2Fのレストラン街は混んでいたので、B1Fの「古民家居酒屋 彦べえ」でランチしました。ここも凄く混んでいてリストに記入して待たされました。8百数十円のランチ、ボリュームがありました。
 TRCにはかつて桜まつりに招待されて夫婦で行ったことを思い出しました。OB(OG)を大事にする会社なんだなと思ったものです。浜松町から¥340、羽田空港へも¥340です。

東京流通センター(TRC)の入り口看板

■ 羽田発→能登空港(のと里山空港)→七尾へ
 さすがに能登行きの便は出発ゲートが遠い!延々と歩いて、なおかつバスに乗ってやっと飛行機へ、乗って離陸してグイーンと高度を上げて水平飛行へ、飲み物サービスもそこそこに「本機はこれから着陸態勢に入ります」、予定より5分早くのと里山空港へ着きました。ここは輪島市です。ふるさとタクシーと言ってもマイクロバスですが、各方面ごとにズラリと並んでいます。和倉温泉、七尾方面は15人乗車、空港を出るとすぐ日本航空高校石川があります。南へ向かって走ると「のと里山空港」というインターチェンジがあって、どうやら能登自動車道=のと里山海道という高速道があります。それと並行にふるさとタクシーは一般道303号を南下します。ヒバ、スギなど丸太がゴロゴロ、貯木場?いいえ、「能登ウッド」という看板があって、木材加工場のようです。木材の協同組合が広大な敷地を有しています。

■ 穴水町と遠藤
 「七海」と言う地名の標識がありました。アルファベット併記、Shichiumiのようです。穴水町というところ、聞いたことがあるな、何か食べ物の名産地だったな、と思いながら思い出せません。高速道路を作っている最中でした。真っ直ぐ行けば能登自動車道穴水ICとありましたが、そちらへは向かわず此木交差点を左折、能登自動車道を潜ると、左←珠洲・能登、直進↑珠洲・七尾46km、右→穴水駅の標識、変な案内だなと思っていると、すぐにまた交差点があって左←珠洲、直進↑してすぐ斜め右折→七尾、右→穴水(輪島)の標識があります。頭が混乱しました。南へ向かっているのだから真っ直ぐ行けば七尾市はわかりますが、珠洲市は能登半島北端なので後方です。左折してぐるっと海沿いに北上せよという意味でしょう。事前に行く先の地図を調べて、この地方の名物は、とか、インターネットで調べることが旅の楽しみの半分なのです。ここでパッと閃きました。穴水町は大相撲の遠藤の出身地だった!のと里山空港に等身大の写真がありました。日本相撲協会力士プロフィール参照。遠藤は甘いマスクで、恐らく大相撲界女性人気ダントツ1位の力士でしょう。

■ 七尾西海をぐるっと左へ270度回って和倉温泉
 更に南下して左に「能登大仏」という標識を過ぎてふと見ると左は海、右は鉄道の線路と並行です。鉄道は穴水町を終点とする「のと七尾線」です。第三セクターですね。GSのレギュラーガソリン価格¥151、高いなぁ。左に陸地があり、ちょっとだけ空いてまた陸地、能登島ですね。この近辺の家々は黒い瓦に白壁の素晴らしく品のある家屋が揃っていて、美しい日本の風景に選ばれそうな風情です。海岸に、海に突き出してこんもりと木が生い茂ったところに鳥居がある、神社です。これが何箇所もありました。「七尾北海」には養殖いかだが浮いています。前方左手に大きな吊り橋が見えて、ピカッ、ピカッとライトが点滅しています。能登島に渡る「ツインブリッジのと」です。「能登鹿島駅」を過ぎ、やがて「西岸駅」がありました。ここから山の中へ突入、上り坂です。道の駅「なかじまロマン峠」の標識があります。左←瀬嵐、直進↑七尾市街・和倉温泉、右→中島・志賀という標識があって、ふと気がついたら左に鉄道の線路があります。「西岸駅」は右にありましたので、どこかで交差したようです。「能登中島駅」があって、また左手に海が見えました。かき料理の店の看板があります。そうか、あの筏は牡蠣だったんだ!海の向こうに、和倉温泉が見えました。その一画だけ、大きなビルが海岸にズラリと並んでいるのですぐ分かります。海をぐるり左へ270度回って行くんだな、ということが分かりました。セルフGSのレギュラーガソリン価格¥138、さっきのところより大分安い。やがて「笠師保駅」があり、過ぎてすぐ左折、「大津踏切」を渡りました。小さい踏切です。アレ?どうしてこんな細い道へ?やがて意味が分かりました。ショートカットして、249号と並行して海沿いに走る道だったのです。この海は「七尾西海」で、360度陸地に囲まれている海です。能登島と北で「ツインブリッジのと」、東で「能登大橋」で繋がれています。和倉温泉に到着しました。ドデカイビルが並んだ温泉です。道路左の「湯快リゾート 和倉温泉 金波荘」と右の「天空の宿 和倉温泉 大観荘」に乗客が別れて向かって行きました。

■ 和倉温泉は電線地中化でスッキリ
 和倉温泉は、干潮時だけ現れる海の中の小島で、傷ついた白鷺が足を癒しているのを漁師が発見したと伝えられ、これが大同年間(806年〜809年)というのですから1200年も前の話です。その後、永承年間(1046年〜1052年)に「湯の湧き出づる浦」(湧浦)が発見されました。地名の和倉は「湧く浦」、つまり湯の湧く浦(入り江)に由来します。そのため、潮が退いている時でないと湯を利用することができなかったのですが、その後埋め立てて温泉が整備され、共同浴場が置かれたようです。「日本一の旅館」と言われる加賀屋の影響もあって、各旅館とも高級指向を全面に打ち出しています。和倉温泉〜わくらづくし〜(和倉温泉観光協会、和倉旅館協同組合公式サイト)参照下さい。

和倉温泉は電柱がありません。奥に見えるは日本一の旅館「加賀屋」

「総湯」向かいの黒屋根の風格のある家屋、庭には雪吊りした樹木
 和倉温泉は全国有数の高級温泉街として知られ、七尾湾に面して旅館が並んでいますが、いずれも大きなビルです。中でも「加賀屋」は地上20階、約1,274人の収容人員を誇ります。また、姉妹旅館として「茶寮の宿 あえの風」129室・711名、「加賀屋別邸 松乃碧」31室・92名、「虹と海」42室・182名があり、合計2,259名収容できるというのですから、日本一と言われるだけのことはあります。これだけの大旅館ですからお客様を運んでくる専用の大型バスがズラリと並んでいました。

■ 和倉温泉の泉質
 和倉温泉は「無色透明ですが塩分が多く、つかると体がほっこりあたたまる北陸唯一の海の温泉」というのがキャッチであり、pH7.5の高張性弱アルカリ性NaCa塩化物高温泉、源泉94℃というのは珍しい高温泉です。湧出量は、約2,618 t/日(約1,600 L/分)だそうです。加賀屋の隣に、4ヶ所の源泉(5号源泉、8号源泉、10号源泉、13号源泉)から湯を集めてミキシングし、各旅館に配湯する施設があり、その脇に温泉神社と公園がありました。ベンチは湯で温められて、座るとホンノリ温かい、素晴らしいですね。「亀石」というのがあって、亀のような石が実際に湧浦にあったのだそうです。配湯施設からは湯気が立ち登っていました。そのすぐ近くに「総湯」という新しくて立派な共同温泉施設があり、入浴料は¥440、安いですね。
大観荘の露天風呂
 高張性の温泉は珍しいので、ミネラル分がどうか、楽しみでした。無色透明、無臭で普通の沸かし湯みたいに見えるのですが、入った感想は、とにかくしょっぱい!湯がどうしても唇につくので、味がしてしまうのです。しょっぱいというか苦いというほうが正しいかもしれません。他の温泉では湯上りにシャワーせず、身体を拭いただけで、温泉成分が肌を覆うようにするのですが、ここではさすがにシャワーしました。ただ、二泊三日の宿泊終えて、さあ帰ろうと言うときに鏡を見たら、顔がテカテカ光っています。やはり温泉の効能があるんだということが一目で分かりました。

大観荘の男性大浴場「海の湯」
  
大観荘の女性大浴場「汐の湯」

■ 食祭市場
 和倉温泉は、能登観光の玄関口でもあり、海のレジャーゾーンや能登島水族館で知られる能登島にも近く、七尾市街にもフィッシャーマンズワーフなど見所があると言われます。ワーフ=波止場ですね。和倉温泉のバスターミナルからそのフィッシャーマンズワーフ「能登 食祭市場」に行くことにしました。バスターミナルの向かいには「能登ミルク」という店があって、アベック(古い!)やギャルで賑わっていました。そうか!ギャルが居るということは、道後温泉同様、ここもまた寂れた温泉街ではないということですね
 バスで¥350、ぶっ飛バスでした。それなのに着いたら時刻表より遅れています。どういうダイヤを組んでいるのでしょう?「能登 食祭市場」は七尾マリンパークという公園にあります。目の前は七尾湾で、七尾南海です。防波堤があります。フィッシャーマンズワーフは七尾湾に面していて、「みなとオアシス」および「道の駅」に登録されています。
 見て、食べて、買って、情報を得る“観光拠点機能”とともに、多目的に利用できるホールや研修室などビジネスをサポートする“コンベンション機能”も備えています。建物の外には大きなイカリが置いてあり、芝生にはいっぱい鳩が居て、盛んに地面をつついていました。海に突き出た堤では、かもめのような鳥がたくさん羽を休めていました。海面を見ていたら鳥が5、6羽、海に潜ってはしばらく上がってこず、やっと浮かび上がるとまた潜り、を繰り返していました。
 建物の入り口には、「日本一の七輪」が置いてありました。提供:丸越工業株式会社と記載されています。七尾市にある小さな会社ですが、珪藻土で作った製品・・・七輪などのコンロやピザ窯等を製造・販売しています。土窯の会社ですね。
 和倉温泉駅前のイソライト工業株式会社の工場にあるイソライト珪藻土記念館にも是非行きたいと思っていましたが、残念ながら1〜2月は休館なのです。イソライト工業は東証一部上場の大きな会社で、我がお得意様でもありました。
 珪藻土は、単細胞植物性プランクトンの一種である「珪藻」の死骸が海や湖の底に堆積してできた地層です。珪藻土はほぼ日本中に分布していますが、主な産地は北海道、石川県、岡山県、大分県、鹿児島県などです。石川県内では能登地方に鉱床が集中しており、その推定埋蔵量は27億トンと日本最大です。七尾市や珠洲市が有名です。能登珪藻土は他所の珪藻土に比べ粘土分が多いため、コンロ(七輪)や断熱れんがなどの成形品に適していることから、戦前戦後にかけては能登半島がコンロ(七輪)の一大産地となりました。珪藻殻の主成分はガラスと同じ珪酸質(シリカ質)のため、1000℃以上の高い耐火性を有するとともに、焼成することで、多孔質内部の有機分が焼き飛び、空気を含む多孔体ができることで軽量化されるとともに、断熱性が生まれるのです。今や珪藻土はこれら用途以外に地質の改良剤や環境保護の各種用途に拡大されています。

「能登 食祭市場」の玄関には大きな七輪が置いてありました

■ うれしいひなまつり
 能登 食祭市場は2階がレストランになっていますが、その階段にお雛様が飾ってありました。ベビーカーに乗せた娘の写真を撮るお母さん、微笑ましい光景でした。実はこの前のスペースに丸テーブルと椅子がたくさん置いてあり、ここでジェラートを食べました。
 2019年3月1日に放送された『チコちゃんに叱られる』(NHK)で、「おだいり様とおひな様って誰?」というテーマがありました。ひな人形のおだいり様とおひな様は、1番上の男性の人形がおだいり様、女性の人形がおひな様であると思っている人が大半なそうですが、実際は「1番上の段の男女がおだいり様、ひな壇の人形全員がおひな様」であるというのがチコちゃんの答えでした。「内裏(だいり)」は「天皇皇后両陛下のお住まいになる御所」です。男性を指す言葉ではなく、内裏に仕える男女がおだいり様なわけです。
 この勘違いの原因は、偉大な作詞家のサトウハチローの「うれしいひな祭り」にあるのだそうです。ひなまつりと言ったら日本人のほぼすべての人がこの歌を思い浮かべるというほどで、2番の冒頭にある
 ♪おだいりさまとおひなさま
 ♪二人ならんですまし顔
 ♪お嫁にいらした姉(ねえ)様に
 ♪よく似た官女の白い顔
という歌詞が原因だそうです。サトウハチロー先生も勘違いに気づいていたようで、「この曲を嫌がっている様子だった」と息子の佐藤四郎さんがインタビューに答えていました。
 サトウハチローは東京生まれですが、サトウハチロー記念館は岩手県北上市にあります。サトウハチローの父:佐藤紅緑は青森県弘前市出身、母佐藤はる(河北新報の創設者一力健次郎社長夫人の妹)は宮城県仙台市出身です。佐藤四郎さんは文京区のサトウハチロー記念館を母から継承しましたが、岩手県北上市出身の奥様とともに、結局この地に記念館を移転したということのようです。サトウハチローの詞は「おかあさん」に関するものが多く、その数なんと3600だそうです。サトウハチローは子どものころから不良だったと親戚の作家佐藤愛子さんが書いていますが、実は佐藤家は伝統的に女を愛する家系なんでしょう。奇人・変人のサトウハチローもその根っこに女愛があったのは、上の詞で一目で分かります。

食祭市場の階段に飾られたお雛様の前で娘の写真を撮るお母さん

■ 七尾駅前に長谷川等伯の像
 「能登 食祭市場」から歩いて七尾駅に向かいました。七尾港と七尾駅の間の道路は、下記交通案内板のように県道132号線です。駅前まで道路と並行して御祓川が流れています。「おはらいがわ」かなぁと思いましたが、振り仮名が「みそぎがわ」となっています。七尾の中心市街地を東西に分ける川のようです。道路の所々に埋め込まれたプレートが楽しくて探しながら歩いていたらあっと言う間に七尾駅前でした。途中の橋の一つひとつに由来が書かれ、石碑があります。実に楽しい道です、途中に黒い怪しい建物がありました、何だろうと見に行ったら、作業服を着た三人組の男たちが入って行きました。「あめや」という店でした。うなぎや天ぷらの割烹みたいです。その先の小路には川端鮮魚店と白石鮮魚店が並んでいました。何だろう?兄弟かな?と話しました。駅前にmina.cle(ミナクル)というビルがあって、七尾市役所の出先みたいです。図書館も入っているみたいです。その向かいのビルもパトリアと言って、でかいビル、コチラにも七尾市役所の出先があるみたいです。七尾市は長谷川等伯生誕の地だそうで、駅前に像がありました。水墨画「松林図屏風」は、国宝の中でも際立って珍重される画です。安土桃山時代の、日本を代表する画家ですね。ななoh!ネット参照

七尾駅を背にして見た道路標識・・・突き当たり七尾港に食祭市場があります

七尾駅を背にしてmina.cle(ミナクル)というビルの前に長谷川等伯像あり
「のと七尾線」は七尾駅から穴水駅を結ぶ「のと鉄道株式会社」の路線です。「JR七尾線」は、津幡駅〜和倉温泉駅間59.5kmを結ぶJR西日本の鉄道路線です。全線が単線電化されています。七尾駅〜和倉温泉駅間5.1kmは、のと鉄道との共用区間となっていて、金沢駅始発の普通列車はすべて七尾駅で折り返しとなり、特急列車のみが和倉温泉駅まで乗り入れます。またのと鉄道の普通列車は七尾駅で折り返します。

■ 七尾駅前でランチ
 七尾駅前からまたバスに乗って、和倉温泉に帰ります。その前に昼食だ、どこに入ろうか、迷ってぐるぐる歩き回りました。これがまたイイのです。駅前のコーヒー店、ランチが各種、居酒屋は昼営業・ランチもやってる、うどんがらみ各種の定食、いや〜ちょっとなぁ〜、七尾市役所のはす向かいに立派な手打ちうどんの店、いやこれは立派過ぎるなぁ〜、格式高そうだなぁ〜と思いながら、「入ろうっか」「そうだネ」てなことで暖簾を潜りました。すると混んでます、一見サラリーマンは居ません、後で分かったのですが、ランチのサラリーマンは2階、1階は地元のおばあちゃんとおじいちゃんが主、中には品の良いご婦人も、煙草を吸ってビールを飲む初老の女連れとか、雑多な人種ですが間違いないのは我々のような旅の人ではなく、生粋の地元民の集団です。ということは、人気店ということです。店構えが高級な割りにメニューを見たら安い!「とんかつセット」を注文しました。とんかつと手打ちうどんと炊き込みご飯がセットで¥800、これは東京では有り得ない価格です。しかもこれがまた美味しい!とんかつサクサク、うどんは腰があるし、炊き込みご飯はほんのり上品な味、ご馳走様でした。ちなみに店の名前は「雅(みやび)亭」です。

■ 和倉温泉ぶらり旅
 七尾駅前からバスに乗って、和倉温泉観光案内所まで行きました。¥360です。途中、あっ、城跡がある、と思いました。小丸山城址公園でした。和倉温泉駅前を通過、バスターミナルの手前の和倉温泉観光案内所で下車、ここからまたぶらり歩き旅です。歩かないと、その土地は分かりません。ふと入った路地裏で、印象的な光景に遭遇するなんてことがあるのです。湧浦の源泉配湯施設や温泉神社、弁天崎源泉公園、「亀石」、加賀屋、「総湯」、ぐるぐる巡りました。スーパーが無いと思っていたら、有りました。「加賀屋」と「虹と海」の間にある「渡月庵」という大正浪漫を感じさせる建物も一見の価値があります。現役の宿で、日帰り入浴もできます。山の手に一段と高くそびえ、丸い張り出しフロアがある大きな能登観光ホテル「なおき」は2014年4月廃業、今や廃墟です。「湯快リゾート 和倉温泉 金波荘」と「天空の宿 和倉温泉 大観荘」の眼下に見えるシーサイドパーク、プールがあって、大きなぐるぐる滑り台や野外ステージもありますが、2018年2月に閉鎖されたとのこと。和倉温泉旅館協同組合の張り紙によれば、「平成元年開業以来長きにわたりご愛顧いただきましたが、プール施設は閉園します。今後は、公園機能は維持しながら、通年遊べるスポットへ随時リニューアルをしてまいります」と書いてありますが、「ほんとかな」と思うほど廃墟化が進んでいます。「湯快リゾート 和倉温泉 金波荘」は、以前は「海浜ホテル 金波荘」として130年の歴史を誇っていましたが、2009年12月一部債権者から破産申し立てを受け営業停止、負債39億円、従業員全員解雇、しかし翌年2月「湯快リゾート(京都市)」が落札して、4月営業再開、一泊¥7,800のどこかで聞いたことのある料金で営業開始しました。和倉温泉では一番安いそうです。「湯快リゾート」は、加賀温泉郷でも多数の宿を運営し、安価なバスでお客様を送迎して人気です。さて宿に帰って、いよいよ明日朝は帰らなくちゃ。

宿の部屋から撮った日没、きれいでした

帰る便のANA748、この日は生憎の雨でした

■ 帰ります
 朝8時半、宿の前に迎えに来たふるさとタクシーに乗り、のと里山空港に着いて、ANA748便で帰りました。羽田空港には予定より5分前着、京浜急行で品川乗換え、JR山手線で池袋乗換え、東武東上線で帰って来ました。和倉温泉から自宅まで、ず〜〜っと雨でした。それでもまた、エコパ、バーデプールに行きました。

■ 京急空港線値下げ
 京浜急行電鉄が2019年2月19日に、京急蒲田駅―羽田空港国内線ターミナル駅間を運行する京急空港線の加算運賃を10月1日から引き下げると発表しました。空港線の延伸工事等に要した設備投資額等を回収するため、同線の天空橋―羽田空港国内線ターミナル駅間とほかの区間をまたがって乗車する場合に、基本運賃に加え、加算運賃を設定していました。その加算金額は大人の普通旅客運賃で170円です。しかし、同区間利用者が堅調に増加し、加算運賃収入等による設備投資額等の回収が順調に進捗してきたという理由で、120円引き下げ50円にするそうです。つまり、現在の品川駅―羽田空港駅国内線ターミナル駅の運賃410円(基本運賃240円+加算運賃170円)が290円(基本運賃240円+加算運賃50円)になるという大幅値下げであり、驚いた消費者や鉄道関係者も多かったでしょう。
 何故いま値下げなのでしょうか?実はJR東日本は、東京都心部と羽田空港を結ぶ新路線「羽田空港アクセス線」を検討中です。各地から羽田空港へ直行するリムジンバスや、空港送迎タクシーサービスも人気なので、空港アクセスの大競争時代に入っています。お年寄りなどは、大きな荷物を抱えて、池袋や品川、浜松町乗り換えなんてイヤだ、という人も居るのです。今後を見据えて、京急は早めに対応したのかもしれません。競合する東京モノレールへの影響は甚大です。現在、浜松町から羽田空港は490円、品川から410円だった京急が290円となると、池袋−羽田空港は京急550円、東京モノレール750円となります。この金額差ではただでさえ京急が人気なのに、客は一気に京急に流れるでしょう。東京モノレールはJR東日本グループです。休日等に羽田空港から山手線内各駅まで500円で利用できる「モノレール&山手線内割引きっぷ」(空港行きは不可)を発売していますが、さらなる対応が必要となるでしょう。

■ くら寿司が今度はKURA BURGERだって
 前回「やはり寿司屋は寿司で勝負しなければ・・・」と書いた無添くら寿司が3月1日から「KURA BURGER」を発売しました。フィッシュ、ミート、どちらも¥250だそうです。今度はマックやモスバーガーに挑戦するのでしょうか?まあ、ラーメン店やカレーチェーン、ハンバーガーチェーンが寿司を出すことは現実的ではないので、くら寿司のように寿司を基軸に様々なメニューを展開できる点は強みですね。ただ寿司屋は、あのツーンとくる酢の香りが魅力であり、そこでカレーやラーメンの匂いがしてくるのはいかがなものでしょうか。がんばってネ。

■ 火蓋は切って落とされる?
 「戦いの火蓋は切って落とされた」という表現をよく耳にしますが、これは間違いなのだそうです。ふじみ野市・三芳町の余熱利用施設エコパのバーデプールで、水中を歩きながら、秋田県湯沢市出身の物知りの女性に教えてもらいました。「戦いの火蓋を切る」のが正しく、「戦いの火蓋は切って落とされた」という表現はよくある間違った日本語の一例なのだそうです。火蓋は火縄銃の火皿の火口を覆う蓋であり、「火蓋を切る」とはその蓋を開くことだそうです。射撃の直前に射撃体勢に入ることを指し、それが転じて「戦いが始まった」という意味になったようです。蓋を切るのは良いとして、切って落としてしまってはいけないんですね。「火蓋を切る」のは、類語の「幕を切って落とす」との混用らしいですね。「口火を切る」ということばがありますが、この「口火」も火縄銃に関係があります。もともとは「火縄銃の火ぶたに点火するための火」のことで、ここから「物事を始めるきっかけをつくる」という意味の「口火を切る」が生まれました。とは言いながら火縄銃なんて実物を見たことが無い方も居られるでしょう。四国の松山城で現物を手にとって見ました。なかなか厄介な代物です。詳しく解説している岐阜県まるごと学園のページをご覧下さい。
 火縄銃は狙撃出来るほどの射程はなかったようです。30間、すなわち55m程が狙って撃てる限界でした。ですから敵を引き付けないと打っても当たらない確率大です。火ばさみにつけるのは撃つ寸前です。順番としては
 @弾と火薬を銃口から詰め込み、棒でよく押し込む
 A口薬を火皿に塗って火蓋を閉じる
 Bここでようやく火縄を火ばさみに挟む
 C火蓋切れの号令で火蓋を開いて準備完了
 D撃ての号令で発砲
となります。着火方法はどうしたのでしょう。小型で携帯用の火打ち道具(火打ち石と火口のセット)が火縄銃兵の装具に含まれていますので、もし火が消えてしまった場合はそれで着けたと思われます。実に厄介ですね。
(2019年3月3日)


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