309  かみのやま温泉
 2月8日(金)ホテルグランドパレスで盛岡広域企業立地セミナー、9日(土)少年野球に行って、午後から大手町での「岩手わかすフェス」に顔を出す予定でしたが、雪が降ってきたので少年野球も中止となり、やめました。10日(日)大宮駅9:33→11:38雫石駅着こまち9号で岩手県雫石町へ行き、町民劇場観劇、鶯宿温泉に泊まり、11日(月)盛岡市の妹宅へ顔を出してから埼玉へ戻ります。

■ 十日町で雪像崩れる死亡事故
 前回紹介した豪雪地帯の十日町ならではの事故が起きてしまいました。2019年2月4日(月)13時40分ごろ、新潟県十日町市の「十日町雪まつり」開催予定地で、制作途中の雪像がドーンという大きな音と共に突然崩れ、作業員2人が下敷きになり、うち1人は完全に雪に埋まり、同僚らが慌ててスコップで掘り出しましたが、同市妻有町の渡辺安男さん(70)が死亡、市内の40代男性が軽いけがを負ったそうです。15日から始まる雪まつりに向け、作業員二十数人が会場の設営準備に従事し、2人は地元で出土した縄文土器をイメージした雪像を作るため、高さ10メートルの雪の塊を重機などで削っている最中の事故でした。事故当時の十日町市の気温は平年並みの3〜4℃でしたが、4日未明に9℃台を記録しており、3日から雪崩注意報が出ていました。我が家ではナント!16℃以上になるなど、4月の気温でポカポカ暖かい1日でした。雪が緩んで崩れたのでしょうか。1月27日(日)、越後妻有交流館キナーレのドライサウナ室で、除雪作業の疲れを癒していた老人たちがたくさん居ました。自分と同世代の人も今や働いている時代、その死亡事故、他人事ではありません。

■ 山形新幹線〜仙山線〜東北新幹線周遊
 1月28日(月)は東武東上線上福岡駅8:36→8:41川越駅、電車に乗ってマスクの人が多いと感じました。インフルエンザが流行っています。JR川越線に乗り換え、埼京線新木場行き川越駅8:52→9:16大宮駅、つばさ129号に乗って大宮駅9:22→11:28かみのやま温泉駅に行きました。山形新幹線は在来線区間を走行するため、一般の新幹線車両よりも一回り小形に作られており、収納式のステップが設けられています。これは秋田新幹線こまちと同様です。福島まではE2系「やまびこ」と併結して走行し、E3系2000番台の車両が使われています。
 かみのやま温泉では観光、温泉を楽しみ、またつばさ139号に乗ってかみのやま温泉駅15:40→15:50山形駅に行き、仙山線に乗り換えて山形駅15:59→17:13仙台駅、その車窓から山寺、作並温泉の雪景色を見たかったのです。快速なので、山形→北山形→羽前千歳→山寺→作並→愛子(以降各駅停車)→陸前落合→葛岡→国見(宮城県)→東北福祉大前→北山(宮城県)→北仙台→東照宮→仙台です。

山形新幹線つばさ;E3系2000

■ 愛子は何と読む?
 宮城県を代表する温泉と言えば鳴子、作並、秋保温泉ですが、秋保温泉は愛子からバスです。秋保は「あきう」と読みます。愛子の読み方が「あやし」だったと知ったのは随分後で、「あいこ」だろうと思っていました。読み方が奇妙なのはアイヌ語でしょうか?「あいこ」なんて変な名前だなぁと思っていましたが、仙台に住む弟から、「あやし」だよと言われて、そうか!どうも怪しいと思っていたんだ!・・・オチがついたところで本日はこれまで・...オットそういうわけには行きません。仙台からはやぶさ30号で仙台駅17:30→18:38大宮駅、JR川越線で大宮駅18:54→19:14川越駅、東武東上線川越駅19:22→19:27上福岡駅まで来て帰宅しました。ぐるっと一周して温泉にも入って日帰りできるなんて便利になったものです。

■ 山形県かみのやま温泉へ
 かみのやま温泉に行こうと思い立ったのは、昔むかしのこと、会社の旅行で50人ぐらいで宿泊してドンチャン騒ぎをしたときの幹事の思い出があったからです。燗酒を徳利で100本頼んだらあっと言う間に無くなって、それから同じように100本単位で何度か注文して、エラク飲みますねぇと呆れられた思い出があります。なんという宿に泊まったかは忘れましたが、大きな宿でした。
 かみのやま温泉駅に降りて、ぐるっと見渡したら駅前右手に立派な観光案内所がありました。しかしここには寄らず、駅の待合所にあった「かみのやま温泉観光ガイドマップ」を頂いて、地図を見ました。奥羽本線・山形新幹線の線路の両側に川が流れていて、駅のちょっと北で合流しています。須川という川のようです。かみのやま温泉は新湯、十日町、湯町、高松、葉山・河崎、金瓶という6つの温泉地域があるようです。中でも新湯地区が駅から近く、大ホテルが並んでいるようなので、入浴はここだなと決めました。ちなみに公衆浴場は5ヶ所有り、一律150円の入浴料だそうです。観光スポットとしては「上山城」と「武家屋敷」を見ようと決めました。駅から前方斜め右にあります。

■ 映画おくりびとロケ地へ
 しかしちょっと待てよ、川岸に「映画おくりびとロケ地・上山コンチェルト館」と地図に書いてあります。折角来たんだからここを見ようと思いました。駅から真っ直ぐ前方へ向かい、「前川大橋」と書いてある橋が川に架かっていますが、どうみても小橋です。渡るとGSがあり、向かいに八幡神社と、その隣に二日町共同浴場があります。右へ曲がるとあった、上山コンチェルト館!古ぼけた小さい建物です。主人公小林大吾の実家がここでした。大吾を演じた本木雅弘と妻役の広末涼子がここでロケしたと案内板に書いてあります。大吾の父役は峰岸徹でした。本木雅弘が俳優として名声を得た作品です。楽団の解散でチェロ奏者の夢をあきらめ、故郷の山形に帰ってきた大悟は好条件の求人広告を見つけ、面接に向かうと社長の佐々木(山崎努)に即採用されます。業務内容は遺体を棺に収める仕事、当初は戸惑っていた大悟でしたが、さまざまな境遇の別れと向き合ううちに、納棺師の仕事に誇りを見いだしてゆくというストーリーでした。監督は『壬生義士伝』の滝田洋二郎。死に化粧と納棺の儀式を行う“納棺師”という職業はそれまで詳しくは知りませんでした。あまり近付きたくない職業だと思っていましたが、人間は生き物の“死”の上にしか“生”を享受できないわけで、納棺師の先輩役の山崎努がフグの白子焼きを、伊丹十三映画のように美味そうに食べるシーンなど実にグロテスクでした。納棺師の行う死の儀式は、親しい者を出棺した経験がある人であれば、思い出して胸が詰まるでしょう。藤沢周平文学でおなじみの山形・庄内地方の移り変わる四季の自然が背景にあって、美しい映画でした。
映画「おくりびと」のロケ地・・・かみのやまコンチェルト館

■ 上山城
 上山コンチェルト館から羽州街道を北北東へ向かうと、「カミン前」という交差点があり、山形銀行、荘内銀行、上山十日町郵便局、山形信金と金融街でした。荘内銀行の駐車場から、小高い丘の上に上山城の美しい姿がクッキリと見えました。坂道を上っていくと、「働く婦人の家」があって、その前の土地は昔上山市役所だったそうです。「羽州の名城」と呼ばれた上山城は元禄五(1692)年に江戸幕府の命により取り壊されました。現在の城は昭和57年に建設したものです。地上32mの高さでスックとそびえ立つ城のなかは、郷土資料館として上山の産業や歴史、文化、自然科学などの資料が展示されています。天守閣の展望台からは蔵王連峰と上山市の町並みを一望することができます。
 上山城では当時工事をやっていました。隣には月岡神社があり、土岐桜、沢庵桜、土岐燈籠、芭蕉句碑がありましたが、ビショビショの雪が積もっていて、スニーカーではムリ、と諦めました。土岐頼行公が上山に入部したのは寛永五(1628)年です。治世は二代と短かったですが、土岐氏は名君と領民から敬慕されました。上山の基礎を築いた土岐家の遺徳を偲び2000年に土岐家第19代から贈られた桜の苗木「思川」を植樹したのが「土岐桜」です。
 月岡神社を後にして坂を下って行きますと、右手に上山小学校がありました。真っ直ぐ進んだら「武家屋敷→」という大きい看板があるT字路に突き当たりました。左が新湯地区、右が武家屋敷です。せっかくだから武家屋敷に足を伸ばしました。4軒あって、うち2軒が公開されています。茅葺屋根の家です。ここに住んで上山城に登城したわけですね。

月岡神社から上山城を望む

■ 沢庵和尚の春雨庵
 武家屋敷を後にして、新湯方面に向かいました。すると「春雨庵→」という標識がありました。折角だから見ていこうと坂道を上りました。
 幕府の厳しい宗教統制である元和法度(幕府の禁止令)や、紫衣(しえ)事件に対し強く抗議した京都大徳寺の沢庵禅師(たくあんぜんじ、1573〜1646)は寛永六(1629)年8月に出羽国上山に流されました。当時の藩主土岐頼行(とき・よりゆき、1608〜1684)は、その前年に入部したばかりでした。沢庵和尚に帰依し、当地に小庵を新築し、沢庵禅師を手厚く迎え、沢庵もこの庵をすっかり気に入って自ら「春雨庵」と命名、花鳥風月を愛でながら配流の身を慰めたと言われます。寛永九(1632)年二代将軍秀忠逝去により大赦令が出され、三代将軍家光により赦免された沢庵和尚は、3年間の流刑生活を終え京都に戻ります。上山滞在中は禅の道の他、詩歌・風流の道、水利や築庭の設計など、上山に京都・江戸の文化を伝え、領民のために広汎な知識を授けて、城下町の発展に貢献します。寛永十一(1634)年家光が上洛した際、天海僧正や柳生宗矩の勧めで沢庵和尚は家光と謁見、以後家光は沢庵禅師に深く帰依するようになり、その後家光に懇願されて、江戸にて家光の相談を受ける立場となります。
 寛永十六(1639)年4月、沢庵に帰依した家光は江戸品川に東海寺を創建し、沢庵を住職に迎え開山とします。江戸に居を移した沢庵は、上山の春雨庵で過ごした3年間が忘れられなかったそうです。流された身ながら、それを手厚く処遇され、温泉もあって、とても気持ちの良い三年間だったようです。正保元(1644)年、上山藩主土岐頼行は、春雨庵を模して東海寺境内に塔頭を建立して、その名も春雨庵と名付け、土岐氏の菩提寺となります。
 現在の春雨庵の建物は昭和28年に東海寺から一部を譲り受け再建したものです。茅葺き屋根や庭は往時をしのばせ、敷地内には茶室「聴雨亭」もあります。
 沢庵漬けは、干した大根を糠と塩などで漬けた漬物で、沢庵和尚が考案したと言い伝えられています。初めは名も無い漬物でしたが、ある時徳川家光が東海寺を訪れた際に供したところ、たいそう気に入り、『名前がないのであれば、沢庵漬けと呼ぶべし』と言ったので「沢庵漬け」になったと言われています。
 春雨庵を後にしていよいよ温泉入浴です。坂道を下り、新湯地区に向かいました。

武家屋敷通り



春雨庵

■ かみのやま温泉
 かみのやま温泉は会津の東山、庄内の湯野浜と並び、「奥羽三楽郷」といわれ、約560年前に開湯した歴史ある温泉地で、古くは城下町・宿場町としても栄えたそうです。その泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩温泉(含石膏−食塩泉)で、いわゆる低張性弱アルカリ性高温泉です。無色透明で、わずかに鉱物臭と塩味がする弱アルカリ性の温泉です。癖がなく、さらりとした湯ざわりで、 “赤ちゃんでも安心して入ることができる優しい温泉”だそうです。保温・保湿効果も高く、メタケイ酸と呼ばれる美肌成分も多い湯です。しょっぱい湯、食塩泉は日本で最も多い泉質です。昔むかしは海底だったからでしょうか。

■ 日帰り入浴
 新湯地区には大きな宿・月岡ホテル、展望露天の湯・有馬館、果実の山・あづま屋、はたや旅館、ホテル菊屋などがあります。あづま屋に隣接して「ふれあい足湯」があり、その向かいに「湯蕎庵 味津肥廬」という蕎麦屋さんがあって結構混んでいます。山形の蕎麦は絶品ですから入りたかったけれど、お風呂、お風呂...はたや旅館の隣には「新湯共同浴場澤の湯」があります。この地区には他に大きな宿・ホテル城戸口屋やニュー村尾もありましたが、営業停止しています。日帰り入浴どこにしようかな?と考えて、結局「果実の山・あづま屋」にしました。タオル付き入浴料千円でした。「四季折々のパノラマのような景色、上山を見渡す最上階7階の展望大浴場」というキャッチの通り、まさしく絶景の展望でした。ただ、露天風呂は寒過ぎて、ほーほーの体で内湯に戻りました。サウナはありましたが15時からということでガッカリ、しかし14時ごろから熱くなってきたのでサウナも楽しめました。めでたし、めでたし。ちなみに日帰り入浴してたのは一人だけ、つまり大浴場に自分だけでした。淋しかった(>_<)

あづま屋の7階展望大浴場

あづま屋の7階露天風呂
 あづま屋はロビーも豪華で、立派なホテルではありますが、やはり寂れつつあるニッポンの温泉宿だな、と思いました。そういう宿が、伊東園グループに入るとリニューアルされてピッカピカになるというのを最近良く目にします。やはり新しいほうが客には嬉しい、日本の温泉宿は今大きな転機を迎えているんだなと痛感します。

■ さあ、帰りましょう
 かみのやま温泉駅15:40発山形行きつばさ139号に乗るためにあづま屋を出て駅に向かいましたが、先ほどまでは雪で雪見風呂に入っていたのに、雨になっていました。気温が上がったのでしょう。傘を持っていませんでしたが、娘夫婦からプレゼントされたフード付きダウンコートを着ていたので、気にしないで濡れて歩きました。途中、ニュー村尾の前を通りましたが、入り口にロープが張られて通せんぼ、入り口からホテルの建物まではずいぶん距離があり、丘の上に見えるホテルは豪華な宿の感じでした。こういうところでも営業をやめるんだ、大変だなと思いました。
 山寺、作並温泉の雪景色を見たいという目的は達せられました。山寺はすごい吹雪でした。山越えして作並温泉では降雪の勢いは減り、愛子あたりからは雪も消えてしまいました。

■ 三陸釜石産柿の葉寿し弁当
 2019年1月30日(水)盛岡市で国立大学法人岩手大学の経営協議会に臨みましたが、会議前の昼食会で「三陸釜石産柿の葉寿し弁当」を頂きました。
 釜石ヒカリフーズ株式会社の製品で、同社は地元で漁獲される高鮮度の水産物の味を生かしながら、三陸釜石産ならではの商品開発を行っています。最近では、アワビの肝を使った「アワビの肝ドレッシング」やワカメの盛漁期前に収穫されるやわらかい早採りワカメを使った「早採りワカメドレッシング」を開発しました。現在は、ヒラメ・サバ・鮭などの素材を生かし釜石の甲子柿の生産者と一緒に「三陸釜石産柿の葉寿し」等の開発に取り組み始めました。
 三陸釜石産柿の葉寿しは、地元特産のさば、さんまを特製タレに漬けて煮込んだ漬けさば、漬けさんま、表面を炙り香ばしく仕上げた炙りさんまを酢飯に載せたものです。みそ漬けと紅しょうがも添えられています。

岩手大学の協力で製品化された三陸釜石産柿の葉寿し弁当
 釜石ヒカリフーズ株式会社は、水産大学校、東京海洋大学、岩手大学と連携して、釜石で獲れたサバの「蓄養」の実現に向けた共同研究に取り組んでいます。釜石沖の定置網でとれた天然のサバをいけすで飼育し、高価で販売できるまで蓄えることで、地元で水揚げされた魚に付加価値をつけることができます。蓄養したサバを活け締めすることは、西日本では広く行われており、特に大分の関サバは有名ですが、三陸には蓄養の設備が無く、活け締めの技術も普及していませんでした。本研究では、釜石市内にある岩手大学釜石サテライトに蓄養プールを設置し、水揚げされたサバを生きたまま海水ごとそのプールに移したあと、蓄養して、活け締めし、加工、流通させる実用化実験を行っています。釜石産サバのブランド化に挑戦しています。
 
■ 雫石町民劇場
 2019年2月10日(日)、11日(月)と在京雫石町友会メンバーで岩手県雫石町の町民劇場観劇に行ってきます。入場料前売り千円です。雫石町役場の前にある中央公民館・野菊ホールで行われます。そして鶯宿温泉・ホテル加賀助に泊まります。
 さて第16回雫石町民劇場は雫石町在住の雨宮恵子さんが原作・脚本、我が中学後輩の小原千里さんが脚色・演出です。主人公「倉木たかし」役の山崎忍さん(39)は鶯宿在住、御所地区の地域づくりに活躍、ヒロイン「伊奈のぞみ」役の吉田麻里子さん(33)はさいたま市出身、地域おこし協力隊として2017年3月まで活躍し、現在はレインボー健康体操の指導者だそうです。役者は全員雫石町民ですが、伊奈のぞみの父役は町議の堂前義信さん、昨年10月11日(木)町議会の広報担当として山崎留美子さんと一緒に見えて、有楽町交通会館でお会いしました。
あらすじ】農村地区の公民館に男女十人程度が集まっています。町にテレビ局から取材とロケの申し込みが来たので、どう対応するかというのが議題です。「オラホの町の新婚さん」というTV局の取材テーマロケを引き受けるかどうかでワイワイ、問題は可能か否かです。町の宣伝と活性化にもつながるTVロケなので、引き受けたいのはやまやまですが、我が地区に該当する新婚さんは、予定を含めても居ません。そこに、東京へ行ったままだった伊奈のぞみが帰って来ます。倉木たかしは、兼業農家の次男で、現在農協に勤めていて独身です。伊奈のぞみとは幼なじみで、中学・高校と、皆に知れ渡った熱々カップルでした。しかし、のぞみは高校卒業と同時に、手ひどくたかしを振って東京へ行ってしまいます。たかしのプロポーズに、「倉木たかしは大嫌いだっ」とのセリフを吐いて...たかしは傷つき、そのまま独身を通しているのです。のぞみの家は専業農家ですが、後継ぎの兄が亡くなってしまい、爺ちゃんと父母は気落ちしています。落胆して元気の無くなった爺ちゃんが、また、いつものように婆ちゃんとの思い出を探して、フラリと長い散歩に出てしまいました。一同大騒ぎで捜索に走ります。のぞみもたかしも、むろん捜索に加わっています。そして、その捜索をきっかけに、新たなカップルが活躍します。のぞみとたかしは、かつてデートした神社でばったり再会します。そこは、爺ちゃんと婆ちゃんの若い頃の逢い引きの場所でした。鉢合わせの二人は、最初はツンケンと他人行儀でしたが、話しているうちに、まだお互いを好き合っている事を確認し合ってわだかまりが解けて行きます。のぞみは言います。「爺ちゃんと父ちゃん、そして母ちゃんと田畑を守って行く私を、大きな心で守ってくれる人と結婚する。だから…」と思いもよらない条件をたかしに突きつけます。さあ、たかしはどうする? そして、もう一組のカップルは?

■ 本来の人間の営みとは?
 この【あらすじ】を見てどう思いますか?男女のデートとか、昔は逢い引きだったとか、しかもそこは神社なのです、神様が見てますよ。プロポーズとか結婚とか、そんな話題がテーマで、地区の集会、爺ちゃん−父母−娘の三世代家族、行方不明だとみんな総出で捜索する・・・こんな光景、私たちの周りにはもうありませんね。映画やテレビの中に残っているくらいです。本来人間の営みというのは、小さな子どもが元気に遊んで、成長して、若い男女となり、いろいろあって、結婚して子どもが生まれて、父母は年老いて爺ちゃん婆ちゃんになってやがて死んでいく・・・そうしたことの繰り返しです。日々の暮らしの中で、人々は助け合って生きていきます。それが「生活」なのです。そういうものが失われたから、少子化になってしまったのです。本来人間と言うものは本能的に子孫を残すために結びつくものです。結婚相談所などというものがビジネスになること自体が異常です。それどころか、何かあるとハラスメントだと大騒ぎになります。どうしてこんな社会になってしまったのか?答えを探しに、岩手県雫石町の野菊ホールに行って来ます。

■ 英国のEU離脱に備え自己防衛に走る企業
 英国では3月末に迫った欧州連合(EU)離脱の行方に不安が高まっており、製造業を中心に事業の一部を国外に移す動きが出ています。日産自動車がスポーツタイプ多目的車(SUV)「エクストレイル」次期モデルの生産計画を英サンダーランド工場から福岡に移すと発表しました。サンダーランド工場は英国自動車産業の復興を物語る象徴的存在でした。他の企業も続々と英国から逃げ出す模様、企業は自己防衛に奔走しています。パナソニックは欧州本社を既にオランダに移転したほか、ソニーも3月にオランダに移す予定です。英国経済界はしびれを切らし始め、「EU離脱派の無謀な主張に耳を傾けてはならない。彼らは『英国の大きな工場を外国に移せっこない』というが、それは間違いだ」という主張が日に日に大きくなっています。英国民は今になって自分たちの選択の愚かさを思い知っているでしょうが、そこは大英帝国の誇りがあります。意地を貫き通すのではないでしょうか。

■ グローバル化から国内回帰へ
 一方EUは日本とのEPAが発効して、これから保護主義に走る米国を尻目に日本との貿易を活発化させようとしています。実際もう日本では欧州産ワインが値下げされるところも出てきました。チリ産に押されていただけに巻き返しというところでしょうが、チリはTPPですから、負けちゃいないでしょう。国産ワインは正念場ですが、日本酒が高価でも海外で評価が高いことを考えると、日本も負けちゃいないでしょう。購入するときによく注意しましょう。酸化防止剤(亜硫酸塩)が入っていませんか?赤道を越えて輸送する場合の対策です。品質に異常なまでにうるさい日本人は、やがて安心安全な国産ワインに回帰するのではないでしょうか。ただし特殊な体質の人を除き、一般には余程飲み過ぎなければ酸化防止剤の影響は出ないはずです。
 中国も日本との友好をますます深めようという姿勢を打ち出しています。さらに日本のメーカーの一部が生産の国内回帰を推進し始めました。これまではグローバル化で世界各国に製造拠点を移していましたが、"Made in Japan"が評価される化粧品を始めとする商品は、中国や東南アジアで生産したのではまずいということのようです。2月8日(金)ホテルグランドパレスで開かれた盛岡広域企業立地セミナーで、株式会社ヴェスの久田真紀子社長は、中国を歩いてみて、ソフトウェア・ヴァリデーションは中国ではムリ、やはり日本でやらなければと思った、と講演されました。そうした動きは今後も加速するのではないでしょうか。

■ 赤い東京タワー
 旧暦の大みそかに当たる2019年2月4日(月)夜6時、東京タワーが春節(旧正月)に合わせて赤くライトアップされました。点灯式は、在日華僑が発起人となり、福田康夫元首相、中国の程永華大使らの日中両国の要人が参加しました。安倍首相の祝賀ビデオメッセージも紹介され、「大家、過年好!(みなさん、明けましておめでとうございます)」と中国語で新年を祝福しました。さらに、「昨年は中国から過去最多となる、830万人以上の方に、日本を訪れていただきました。百聞は一見にしかず。国民同士の直接交流は、相互理解と相互信頼を深める上で、きわめて重要です。春節に際して、そして、今年1年を通じて、一層多くの中国の皆様が訪日し、それぞれの日本を発見することを期待すると同時に、一人でも多くの日本人が中国を訪問し、相互交流が深まることを期待します」と述べました。同日午後6時半に探照灯が点灯すると、タワーが春節を象徴する赤い色に輝きました。タワーの下では春節を祝うイベントが行われ、児童らが風船を一斉に放ちました。
 東京タワーが春節に合わせて赤くライトアップされるのは初めてで、安倍首相の挨拶が中国国内で報道されるのも極めて異例だそうです。日中友好ムードが高まってきています。険悪化する韓国とは正反対ですね。
 都内各所から輝いて見える東京タワーのライトアップについては、株式会社東京タワーのホームページをご覧下さい。昭和33年営業開始、高さ333m、3づくめです。

赤くライトアップされた東京タワー
 ライトアップには、「ランドマークライト」と「ダイヤモンドヴェール」の2種類があります。簡単に言えば、「ランドマークライト」は外からのライトアップであり、「ダイヤモンドヴェール」は中から外に向かって輝くライトです。「ダイヤモンドヴェール」は、2019年2月9日(土)以降、 長期メンテナンスを実施します。これに伴い、メンテナンス期間中は「ダイヤモンドヴェール」の点灯を休止しますが、「ランドマークライト」は、通常通り毎日点灯するそうです。

■ 細野豪志ってなんなの?
 細野豪志衆院議員が自民党二階派に特別会員として入会することが了承された件、政界のみならずネット上でも驚きの声がささやかれてますね。かつて民主党政権の中心メンバーとして活躍した人、大臣まで経験した人です。小池百合子氏が希望の党を立ち上げた時は、結党の中心者として随分テレビに出ました。これまでの仲間を選別するようなことを言って、あぁ非情な人なんだなという印象でしたが、かつての小泉純一郎氏もそういうところがあったし...と思って見ていたところ、「排除」が選挙で反発を受けて党の分裂を招き、小池氏とともに一気に輝きを失いました。政治評論家からは「野党を再起不能にさせ、自民党の一党体制にした戦犯」とまで言われています。しかも自民党を叩く言説は有名でしたから、自民党議員の間では快く思っていない人が多いはずです。それでもなお、日の当たるところにしがみつきたい気持ちが見え見え、こういう無節操な人に政治を託す選挙民などいるのでしょうか。

■ こうだ邦子さん参議院議員選挙不出馬
 こうだ邦子さんは埼玉県選挙区選出の参議院議員です。2月4日(月)浦和駅西口前の浦和コルソ7Fホールで開いた新春の集いで、12年間の議員生活にピリオドを打って、次の参議院議員選挙には出馬しないと明言しました。昨年の通常国会で、初当選以来訴えてきた「同一労働同一賃金」の法案が成立したことと、事務局長として中心となって作成した「政治分野における男女共同参画推進法」がようやく全会一致で成立したことで、国会活動が一区切りついたからだそうです。埼玉県を隅々まで歩いて、いろいろなことを教えてもらい、気づかせてもらい、「埼玉で良かった」と思えたそうです。今後については「新しい時代にふさわしい活動をしていきたい」とのこと。さて、今年は埼玉県知事選挙もあるし、どうするのかな?公式ホームページ Facebook Twitter
こうだ邦子参議院議員
(2019年2月9日)


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