292  移住
 やはり暑さ寒さも彼岸まで、涼しくなって秋本番突入です。10月は1年でダントツ降雨量の多い月です。それは南の海からの暖かい水分タップリの空気と、北の大陸からの乾燥した寒気が日本列島付近でぶつかり合って秋雨前線が出来るからです。台風襲来時は日本で唯一晴天だった関東も、このところずっと曇天と雨です。

■ 雨の運動会決行理由
 10月2日(火)立川の小学校の孫の運動会、9月29日(土)雨予報なのに決行し、やはり雨が降ってきて途中プログラム9で断念して、続きが10月2日(火)になったのです。プログラム10からの続行なので昼で終わって、子どもたちは給食です。校長先生の挨拶で「雨の天気予報なのに決行したことについてはいろいろご批判もありましょうが・・・」とおっしゃっておられました。筆者も同様に疑問を持っていましたが、その挨拶を聞いて納得しました。筆者は9月29日(土)の孫の運動会を諦めて、埼玉県東入間学童野球連盟新人戦大会の開会式に行きました。筆者はホームページ管理人なので、写真も撮らなくちゃいけないし、試合もあったからです。開会式後第一試合は3会場に分かれて出来ましたが第二試合以降は中止でした。立川の小学校の孫の運動会も同様だったわけですが、土曜日なら来れても火曜日はムリという親はたくさんいたようです。観客の数でそれは分かりました。火曜日でも結構多かったですが、やはり母親や祖父母中心でした。土曜日なら父親もほぼ来たはずです。筆者は土曜日行けなかったけれど火曜日行けたので、なんとか孫に顔向けできました。校長先生は、雨の天気予報なのに決行した理由について、「年に1回の運動会、お父さんにもお母さんにも途中まででも見ていただきたくて・・・」とのこと、なるほど二度手間になっても、子どもたちにも先生たちにも来賓にも親にも大変ではあっても、ということだったんですね。これもひとつの見識だ、と思いました。

■ 蕎麦ランチ
 10月2日火曜日に運動会が終わった後、小学生は給食なので、息子夫婦と3人でランチしようということになりました。息子の家には駐車場に車が3台停められるので、車を置いて自転車で小学校に行ってました。自転車で家に帰る途中にある人気の蕎麦屋さんは休み、では次に人気の蕎麦屋さんに行くも、ここも休み、火曜日の蕎麦屋さんは休みが多いな、それではチョット遠いけど古民家の近くに行こうというので行ったらここはやってました。すごく混んでいます。名前を書いて待ちました。○○庵甚五郎という店、武蔵野には○○は違いますが、甚五郎という店はたくさんあります。ふじみ野市にも○○が「旭」や「むさしの」があります。
もともと武蔵野うどんの店かもしれません。作りもメニューも違うのでチェーンではないと思われます。立川の店では「せいろそば」を注文しました。¥756です。で、どうだったって?ウ〜ン、めんくいである筆者の評価としては、コスパで「小諸そば」に軍配ってところですかね。うどんなら上福岡の「條辺」の讃岐うどんは最高だし、新座の武蔵野うどんもうまいけれど、東京や埼玉のそばはうまいというところは知りません。やはりそばは山形や岩手で手打ちそばを食べるしかありません。信州も有名ではありますがイマイチです。そばはまずつゆにつける前に、そばだけを噛んで、香りと味を感じるのです。ここで蕎麦ならではの香りと味を感じられなければアウトです。あの独特のソバの味と香り、本物を知らない人が大半でしょう。本当に美味いものは、現地へ行かなければ味わえません。送ってもらってもだめなのです。それならば「小諸そば」で十分です。5月に久し振りに値上げしました。もりそばが¥290、大もりが¥320、二枚もりが¥350、何という安さ!冷やしたぬきも良し。チョット前は二枚もりが¥290でした。

■ 十割そば
 10月3日(水)原宿のベニーレベニーレで「いわてまち大縁会」というイベントに出席する前に池袋で途中下車、西武百貨店は優勝セール、東口マツモトキヨシ隣の服部珈琲店横の狭い路地を進んでパチンコ楽園のビル1階に「十割そば嵯峨谷」があります。右写真では十割そば280円という看板ですが、今は¥320です。味は?ウ〜ン、つゆにつける前に、そばだけを噛んで、香りと味を確かめましたが、特に・・・感想というほどのことも。ただ、店の名誉のために書きますが、あのソバの腰だけは山形の板そばに匹敵します。いつも混んでいます。

東池袋十割蕎麦「嵯峨谷」

■ ふるさと回帰支援センター
 政府の地方創生政策に伴って、地方への移住を促すために予算が付けられて、たとえば有楽町交通会館ビル8Fには「ふるさと回帰支援センター」というものもあります。岩手県ブースも有り、コンシェルジュの三浦身知子さんが同郷で知り合いなので時々行きます。10月5日(金)にはここの裏の銀座インズで雫石町友会の幹部会がありましたが、10月11日(木)には「ふるさと回帰支援センター」の会議室を借りて雫石町議会議員との懇談会があってまた行って、やはりその後銀座インズで飲んできました。
 岩手県雫石町でも、移住者を募っています。「生涯活躍のまち 移住促進センター」という組織と協力しています。
   生涯活躍のまち 移住促進センター
 在京盛岡広域産業人会のホームページをご覧下さい  クリック

■ 「田舎ぐらし」を始めた友
 さいたま市に住んでいる我が高校の同級生からの便りで、なんと雫石に7DKの古い家を買い、厳しい冬にはさいたま市で、その他は雫石に住んで、コミュニティをつくりながら晴耕雨読の生活を享受したいと思っているとのこと。やりたいことは「養蜂」「私設の図書館」「木工工芸」「グランピングを絡めた週末民泊」や「農園喫茶」など、「田舎ぐらし」を始めようと考えたとき、「やりたいことがあったらすぐ始めたほうがいい」といった言葉をよそに、どうも煮え切らないでいるのは、やはり収入面での不安や危惧からだそうです。
 一人暮らしで、夜は真っ暗、星空が最高にきれい、正面に見える雄大な岩手山の眺めは最高の贅沢だそうです。七ツ森の麓で、ちょうど我が実家があったところと森をはさんで反対側、目の前を秋田新幹線こまちが走ります。都会人には想像出来ない土地ですよ。
おそらくこういう眺望の家、もうちょっと上から見下ろす感じです

■ 少子高齢化進展の理由
 さて、政府が地方創生を叫んでも、現実には若者が東京に集まってきます。何故か?第一に仕事があります。第二に人が沢山居るということは楽しいからです。地方に行きますと、駅前でさえも人影まばらです。たまに居ても年寄りです。地方では工場もどんどん無くなって仕事がありません。土木建設などはありますが、そういうのはイヤという人は東京に来るのです。便利な場所で暮らしていると、寂しさがまぎれて、独り暮らしも苦痛ではありません。結婚もせず、子どもも生まれません。これが田舎なら、寂しくて、人々は助け合わざるを得ません。自然にネットワークが出来て、男と女は寄り添います。
 なぜ少子高齢化が進んだか、理由は明白です。昔は「家」を守るために子孫が必要なので、親が決めた相手と結婚するものでした。見合い結婚はまだ良いほうで、中には結婚式当日までお嫁さんは自分の旦那さんはどんな人だろうと分からないなんてことは当たり前だったそうです。今では仲人をしたことがないという人がほとんどではないですか?ひととひとを仲介して結婚させるなどという風習はほとんど壊滅しました。「家」の概念が崩壊し、お墓さえも守る人が消滅していくのではないでしょうか。

■ やがて地方移住が起きる
 いま現在のベクトルはますます大都市人口集中が進み、地方の過疎化が進む方向です。では地方へ移住させようとする政治の試みは失敗するのでしょうか?いいえ多分逆転するときがきっと来ます。人間が住みたい土地は、良い空気と良い水があって、災害が少なく、食べ物が美味しい土地ですが、そこには働く場があって、病院や教育機関、商業などのコミュニティが無ければなりません。欧州や米国では一旦大都市人口集中が進みましたが、今や企業は田舎の風光明媚なところへ移転し、それに伴って人間も移住しています。豊かな人ほど田舎に移り、貧しい人は大都市に取り残されるという現象が起きています。一方で新興国などでは相変わらず大都市への人口移動が続き、アフリカや戦争が続く国からは難民の移動が起きています。先進国である日本が新興国のような状況にいつまでもあるはずがありません。情報化社会になって、大都市の利便性も変わってきます。米国のIT企業は、冷涼な土地の森林の中に移転し、隣にゴルフ場があります。暑くて、ガンガン冷房しなければならないビルから逃げ出して、酸素リッチな緑豊かなオフィスで快適に仕事するようになっているのです。日本もきっとそうなります。その前におそらく老人の人口移動が始まるでしょう。

■ 不適切入試は複数の大学で
 医学部入試をめぐって文科省幹部が起訴された汚職事件をきっかけに、東京医科大で一部の受験生への点数加算や、女子や浪人回数の多い男子への不利な扱いが発覚、文科省は他大学についても男女別の合格率や、不正がないか報告を求め、疑いの濃い約30大学を優先的に訪問したそうです。その結果、性別や浪人年数で合格率の差が大きく、特定の受験生を優遇させている懸念がある大学が複数あり、しかも合理的な説明が得られず、今後東京医科大を除く80大学を訪問調査する方針を新たに示し、月内に中間報告、年内に最終結果を公表するとのこと。
 男子の合格率が女子より多い上位5校は、順天堂、東北医科薬科、昭和、日本、九州の5大学、逆に女子の合格率が男子より多い上位5校は、弘前、岐阜、徳島、三重、産業医科の5大学、国立大学は男女差が無く私学はある、という点から見て、どうやら選考不正は事実であり、受験生の間には憤りが広がっているようです。駿台予備校の調査では、医学部志望学生が減っているとのこと、ここにも学生の怒りが反映しているようです。

■ 新潮45休刊
 月刊誌「新潮45」は8月号でLGBT支援を疑問視する杉田水脈(みお)衆院議員の寄稿を掲載し、批判が相次ぎました。すると、9月18日発売の10月号の特集で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題し、評論家ら7人の寄稿を掲載しました。コレに対してSNSなどで批判が炎上、新潮社内からも「なんだコレは!」と批判が巻き起こり、その後同社はこの特集について「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」とする佐藤社長の談話を発表し、9月25日に同誌の休刊を決定しました。「休刊」とは言っていますが、事実上の廃刊のようです。コレに対して右翼の最先鋒櫻井よしこさんは「言論に対してなぜ言論で返さないのか、これではタブーも生まれるだろう」と批判しました。

■ 太田光と新潮社
 お笑いコンビ、爆笑問題の太田光(53)が日大芸術学部に裏口入学したと虚偽の記事を週刊新潮に掲載され名誉を傷つけられたとして、発行元の新潮社に約3,300万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた訴訟の第1回口頭弁論が2018年10月9日、東京地裁で開かれました。週刊新潮は8月16、23日夏季特大号で、「爆笑問題『太田光』を日大に裏口入学させた父の溺愛」と題した記事を掲載、太田は訴状で「全くの事実無根で、電車の中吊り広告などで大々的に広報され、タレント活動に支障をきたす」などと主張、コレに対して新潮社は棄却請求を求めています。
 太田光と言えば今や人気絶頂ですが、芸人には珍しく時事問題や政治に対してもズケズケモノを言い、どこまでが本気なのかよく分からないところがあります。古館伊知郎は太田のボケを「あたかも意味のある興味深いトークをしているようで、どこまで意味があるの?っていう思いが募った時に、完全にその意味のあるテレビサイズのトークを無意味化する。これって気持ちいいんですよ」と評していて、なるほど然り、と思ったことがあります。したがって今回の新潮社との訴訟もどこまで本気なのか疑っちゃいますが、亡きオヤジの名誉にかけて、黙っちゃ居られないと思ったのかもしれません。そもそも「当時各大学にまたがった裏口入学ネットワークがあった」などという週刊新潮の記事を鵜呑みにする人など居るのでしょうか。医学部はともかくとして、しかも「各大学にまたがる」なんて考えられません。「あっちがダメなら、こっちはどう?」なんて斡旋するネットワークがあったならば、必ず公になったはずです。人の口に戸は立てられませんから。これひとつで、週刊新潮の記事は信用できませんね。
 太田光は上福岡(ふじみ野市)出身で、上野台小学校入学〜元福小学校転校、葦原中学校卒業、板橋の大東文化大学第一高等学校卒業、日本大学芸術学部演劇学科に入学し、田中裕二と知り合って爆笑問題を結成したら受けちゃって、結局大学は退学届けも出していないので除籍になっています。実は我が住むまち上福岡は、東武東上線沿線で、朝霞や大山と並んで数多くの芸能人を輩出しています。川越などは少ないのです。上福岡、朝霞、大山に共通しているのは「飲み屋が多いこと」、観光地である小江戸・川越は徳川のお膝元なので飲み屋が少ない、すなわち芸能人というのはやはり歓楽街から生まれるってことです。上福岡のカラオケバーの多さには目を瞠りますよ。

■ 太陽光発電抑制…九州電力
 九州電力は、太陽光など再生可能エネルギーの発電事業者に一時的な発電停止を求める「出力抑制」を、2018年10月13日と14日の土日に実施しました。好天が予想される秋や春には太陽光の発電量が伸びる一方で、土日などは工場の稼働が減り、過ごしやすい気温で冷房などの電力の使用量が落ち込むことで電力の需要と供給のバランスをとるのが難しくなるのです。電力需要が少ない昼間に、好天でガンガン太陽光発電されると、安定稼動している火力発電所や原発を停めれないので、午前9時〜午後4時の間、再生可能エネルギー発電を断って、電力抑制するのです。
 もったいない話ですが、電力貯蔵技術がまだまだ開発途上で、必死になって開発しているのに何十年もの歳月を要しているにもかかわらず、東日本大震災以降太陽光発電が急増し、こんな事態になったものです。電力は常に需要と供給を一致させる必要があり、一旦電気になったら捨てることが難しいのです。熱エネルギーに変換して捨てると地球温暖化を助長します。電力需給バランスが崩れると、電力の周波数が乱れ、故障を防ぐために発電所が停止し大規模な停電につながります。胆振東部地震での苫東厚真火力発電所の停止に伴うブラックアウトでこれが起きました。雲がかかると発電量が急減する太陽光発電への依存度合いが増えるほどこの危険が増します。結局必要以上の電力は電池に貯めておくしか方法がありません。

■ NaS電池への期待
 電力貯蔵においては日本ガイシのNaS電池が世界で最も期待されていますが、問題点は安全性です。過去たびたび事故が起きており、最も衝撃的だったのは、2011年9月21日の午前7時20分頃、三菱マテリアル筑波製作所(茨城県常総市)に設置されていた日本ガイシ製NaS電池が発火し、2週間燃え続けました。NaS電池では電極にNa(ナトリウム)を使っており、水を掛けると爆発する恐れがあるので、消火活動が通常よりも難しく、このときも砂をかけて消火を図ったので時間がかかったのです。日本ガイシは事故発生当日に社内に事故調査委員会を設置したものの、鎮火までに時間を要したこともあり、直ちに事故原因を特定するのは困難でした。結局、事故発生から約1ヶ月後に、事故原因の究明が終わるまでの使用停止をNaS電池の顧客に要請するとともに、NaS電池の生産をいったん停止しました。同社が事故原因と再発防止策を発表できたのは、2012年6月7日です。日本ガイシは「NAS電池の火災事故の原因、安全強化対策と操業再開について」ホームページに掲載しています。
NaS電池・・・火災事故が起きたNaS電池と同型のもの。写真:日本ガイシ

■ ガソリン価格急騰
 資源エネルギー庁が10月11日に公表した「石油製品価格調査」によりますと、レギュラーガソリンの全国平均価格は1リットル=157.5円となったそうです。前週の155.2円から2.3円の大幅な上昇であり、これで6週連続の値上がりです。今年最初の調査の1月9日時点では141.7円だったのが、5月28日時点で約3年半ぶりに150円台に乗せたと思ったら、早くも160円台到達が現実味を増しています。現在の価格よりも高値は、直近では2008年と2013〜2014年にかけて経験していますが、「歴史的なガソリン価格高」にまたしても突入しつつあることは間違いなさそうです。

■ シェールオイルの増産で一旦下落
 2014年にはシェールオイルの急激な増産を受けて、石油輸出国機構(OPEC)が需給・価格安定化の役割りを放棄したことで原油価格が急落しました。しかし、その後は主要産油国の協調減産、良好な世界需要環境などを背景に需給環境が適正化に向かい、安値修正を促しています。 実際にガソリン価格の上昇はここ最近になって突然に始まったものではなく、2016年3月7日時点の112.0円を起点とした2年半以上にわたる上昇局面の延長線上に位置付けられるものです。

■ イラン産原油の締め出しの影響
 一方で今年中盤以降にガソリン価格の上昇ペースが加速しているのは、世界の石油市場からイラン産原油が急速に姿を消している影響です。米国のトランプ政権は、2015年7月に最終合意したイラン核合意について、イランの核兵器やミサイル開発を阻止できないとして、今年5月に同合意からの離脱を決定しました。11月4日を以ってイラン産原油に対する制裁停止状態を解除するとして、各国に対してイラン産原油取引の完全停止を求めています。イラン核合意はオバマ政権時代の成果ですが、米政府はイラン産原油取引のみならず、輸送、保険、決済などの幅広い分野に対する制裁をちらつかせ、各国に対してイラン産原油の取引停止を強く促しています。この結果、日本を含むイラン産原油の取引相手国は一斉にイラン産原油取引から手を引き始めており、ある調査会社の試算ですとイラン産原油の輸出量は4月の日量250万バレルが、10月第一週時点で110万バレルまで、実に140万バレルも減少しています。日本の原油・石油製品の純輸入量が約380万バレルであることと比較すると、国際原油市場に激震が走っていることが理解できるでしょう。

■ トランプ・ショックには困ったもの
 国際原油市場は今、イラン産原油の供給減少分をカバーできるのかを真剣に議論しています。しかしサウジアラビアは増産しないとしていますから、ますます原油価格は上がるわけです。今年中盤以降のガソリン価格の高騰は、イラン産原油の供給が失われるショックを解消できないのではないかという危機感の表れであり、世界を不安定化させる「トランプ・ショック」の一類型と言うことができます。価格が高騰すれば、世界のどこかから供給が増えるのが普通ですが、イラン産原油の供給減少ペースが極めて早く、代替供給先を確保する目途が立つまで、ガソリン価格の上昇は続くことになります。シェールオイルの登場によって、過去数年、もはや原油価格は上がらないと投資を怠ってきたツケを払わされているともいえます。

■ 東北巡りツアーへ
 10月17日(水)車で自宅を出て東北道をひた走り、福島県郡山の磐梯熱海温泉へ、翌18日(木)は岩手県奥州市の紅葉の名所焼石岳山麓の焼石岳クアパークひめかゆの湯を堪能し、19日(金)は岩手県盛岡市へ移動して兄宅に車を預けて電車で盛岡駅へ移動、西口バスターミナルから盛岡市役所のバスで在京盛岡広域産業人会視察旅行出発、各所巡って、雫石町南網張ありね温泉ゆこたんの森に宿泊、懇親会で大いに盛り上がり、20日(土)紫波町のバスでまたまた各所巡って、盛岡駅で解散。電車で移動して弟宅で還暦祝いとカラオケ、21日(日)盛岡市の妹宅訪問し、すぐ雫石町へ移動、七ツ森の我が入る墓に眠る父母を拝み、鶯宿温泉に移動して従兄を病院に見舞い、とって返して東北自動車道で帰ってきます。






(2018年10月15日)


次回へ    前回へ    最新ページへ    つぶやき最終回