237  ホタル

 本日は記念日です。何の?それはヒミツです。暑さ寒さも彼岸までと言います。秋分の日を過ぎればもう暑いという日はほぼなくなるでしょう。朝が涼しくなり、葉に結露する日も出てきます。近所の田んぼは稲刈りを終えました。

■ 第9回さんりく大船渡 東京タワーさんままつり
 9月23日(土・秋分の日)はさんりく大船渡 東京タワーさんままつりでした。東京タワー(日本電波塔株式会社)と岩手県大船渡市が共催し、六本木探検隊の協賛を得て、港区および港区観光協会の後援で、炭火焼きにした大船渡のサンマを3,333名様に無料配布する催しです。今年はサンマが不漁で、目黒のサンマ祭りも宮古市が釧路のさんまで代替したため、東京タワーさんままつりも心配しておりました。9月17日(日)に予定されていた地元大船渡市での「三陸大船渡さんままつり」は、さんまの水揚げ不漁のため、9月13日(水)に開催見送りが決定されました。改めて10月中の開催を目指し調整中とのこと。しかし9月21日(木)朝、大船渡港へのサンマの水揚げがあるとの確たる情報があり、東京タワーについては、9月19日(火)に予定通り大船渡港の新鮮サンマで決行が発表されました。
 当日は大船渡港から直送された新鮮なさんまに「さんまに良く合う塩」をまぶし、大船渡からこの日のために上京したスタッフの皆さんの熟練した炭火焼"の技で香ばしく焼き上げ、さんまを引き立てる「大根おろし」に鹿児島県肝付町の「辺塚だいだい」を添え、千葉県山武市の「さんまに良く合うしょうゆ」とともに、無料配布するものです。首都圏さんりく大船渡人会の多くの方々が協力します。昨年も雨にもかかわらず1万人の来場者がありましたが、ふるさと会の皆様の活躍がこれを支えているのです。ホームページに昨年の模様が乗っております。
 ステージイベントとして、三陸にゆかりのあるアーティストの生LIVE…アカペラ女子3人組のXUXU(じゅじゅ)、濱守栄子、宮古市出身の澤内早苗など。ラジオ日本公開収録「夏木ゆたかのホッと歌謡曲 三陸・大船渡さんま祭りスペシャル」は、パーソナリティは夏木ゆたかで、ゲストは大沢桃子、美月優、山口ひろみ(北島三郎のお弟子さん、最近テレ玉でレギュラー持ち、NHKにもしばしば出演しています)でした。 山口ひろみ
 さんりく大船渡 東京タワーさんままつりの主催者として、大船渡市長戸田公明君が上京されましたので、例年通り戸田君を囲む会を六本木駅前の「廉」(和食居酒屋)で行いました。

モウモウと煙が上がり、東京タワー周辺は煙と匂いで溢れます

銀河連邦の友邦・鹿児島県肝付町の「辺塚だいだい」を添えて

さんまを焼く人たちは免許皆伝のプロ焼き師

「さんますり身汁」(1杯300円/限定2,000杯)
 さんまに添えられる辺塚だいだいは鹿児島県肝付町産です。大船渡市は銀河連邦の一員で、大震災ではJAXAや他の5共和国から多大な支援を受けました。鹿児島県肝属郡肝付町は、あの内之浦ロケット発射場のあるまちです。銀河連邦は、JAXAの研究施設がある自治体同士で締結された友好自治体で構成され、岩手県大船渡市(サンリクオオフナト共和国)、秋田県能代市(ノシロ共和国)、長野県佐久市(サク共和国)、神奈川県相模原市(サガミハラ共和国)、鹿児島県肝付町(ウチノウラ共和国)、北海道大樹町(タイキ共和国)が加盟しています。

■ 真木柚布子
 キングレコードの歌手、真木柚布子(オフィシャルサイト)さんは、劇団四季の元女優です。昭和50年役者としてデビューしています。映画、テレビ、舞台と多くの作品に出演していました。平成元年「いのち花」で歌手としてデビュー。デビュー曲「いのち花」は、平成2年度新宿歌謡祭銅賞を受賞しています。
 いま一人芝居・・・歌謡芝居「ホタルの恋」を鹿児島弁で演じ、続いて歌謡ショーというのをいろいろなところでやっています。太平洋戦争中の実話をモデルにしたフィクションで、特攻機に乗って飛び立っていった若い飛行兵と女学生の悲しくて切ない恋物語です。
 昭和20年、桜の便りが届く頃、敗戦色濃い日本軍は、未来ある青年たちに、特攻と言う悲惨な命令を下し、国の運命を託しました。圧倒的な軍事力の差を見せつけられながら、最後の一兵まで戦うという破れかぶれの作戦のもと、沖縄までたどり着けないかもしれないボロボロの機体で知覧を飛び立って行ったのです。そして、その突撃前のほんの短い間、青年たちの身の回りの世話をしたのが、地元の女学生達だったのです。

真木柚布子

■ 歌「ホタルの恋
 鹿児島・知覧町にある富屋旅館の前身である冨屋食堂の女主人・鳥濱トメさん、明日は特攻機に乗って死んでいく運命にある若き特攻兵たちが、「お母さん」と呼んで慕い、心のよりどころとしていた人です。そこでの彼らのエピソードはたくさん残っているそうですが、「僕はホタルになってあなたの元に帰ってきます」と言って散っていった飛行兵の物語は、今までも映画やドラマでしばしば演じられてきました。
 戦後72年、当時女学生だったら今や90歳近くでしょう。真木柚布子の「ホタルの恋」は、2017年8月23日発売 作詞:田久保真見 作曲:弦 哲也です。
   ♪そっと両手で つかまえた
 ♪夢が逃げます 浮世川
 ♪儚(はかな)い運命(さだめ) なげくより
 ♪ふたりで燃えた 命火を
 ♪こころに灯す ホタルの恋よ

■ 2001年の映画「ホタル」
 2001年の映画「ホタル」(114分)を見ました。東映50周年記念作品で、降旗康男監督、高倉健、田中裕子主演の特攻隊生き残りの物語です。第25回 日本アカデミー賞(2002)で7部門で受賞しました。ただ、主演男優賞必至の高倉健は「後輩に道を譲りたい」と固辞しました。あくまでカッコイイですね。
 キャストは高倉 健、田中裕子、夏八木 勲、水橋貴己、小澤征悦、高杉瑞穂、今井淑未、笛木夕子、小林綾子、中井貴一、井川比佐志、小林稔侍、原田龍二、石橋蓮司、田中哲司、他

■ 特攻隊の生き残り
 激動の昭和を生き抜いた特攻隊の生き残りである男と、その妻の人生を描いた人間ドラマです。桜島を望む鹿児島県知覧町で、元特攻隊員の生き残りである山岡(高倉健)はこの日も愛用の漁船「とも丸」の上から養殖カンパチの生簀に餌を撒いています。船には妻の知子(田中裕子)が同乗しており、夫の仕事を見守っています。子供を作らないと決めた二人は、漁船“とも丸”を我が子のように大切にしています。知子は腎臓を患い人工透析が必要な身体になっており、そのことがきっかけで山岡は沖合の漁から養殖業に鞍替えしたのです。山岡は亡き友の形見のハーモニカを大事にしていました。1989年、昭和が終わり平成元年となったとき、山岡に青森に住んでいた藤枝(井川比佐志)という男が雪山で死んだという報せが届きます。藤枝は毎年のように山岡にリンゴを送って来ただけに、山岡は深い衝撃を受けます。
 二人は弔問に出かけ、そこで藤枝の孫娘・真実(水橋貴己)から、おじいちゃんは自殺したと言われます。山岳ガイドも勤め、山を知り尽くしているおじいちゃんが、たとえ冬の八甲田とはいえ、事故死するはずがない、と言うのです。山岡と藤枝は共に特攻隊の生き残りでした。
 雪深い林で鶴が求愛ダンスをしていました。山岡は上着を脱いで鶴の真似をして羽ばたく仕草、知子も同じように羽ばたいて、二人でひとしきり笑いながら踊ります。

■ 「知覧の母」の願い事
 知覧に帰ってしばらく後、山岡はかつて特攻隊員らから「知覧の母」と呼ばれて慕われていた富屋食堂の女主人・山本富子(奈良岡朋子)から、ある頼みを受けます。それは、体の自由が利かなくなった自分に代わって、南の海に散った金山少尉ことキム・ソンジェ(小澤征悦)の遺品を、韓国の実家に届けて欲しいというものでした。実は、金山は知子の初恋の相手で、結婚を約束した男でした。山岡は即答を避けました。
 特攻隊の生き残りというのは、知覧から出撃したものの飛行機に恵まれず不時着し、再出撃の機会に恵まれずに終戦を迎えてしまった人たちです。山岡と藤枝は、戦後ひどい慙愧の念にさいなまれました。生死をともにと誓った僚友たちが死んでいったなかで、自分だけが生き残ったことを恥じる思いは、どの生存者にも共通であり、なかにはみずから命を絶つ者まで現れたそうです。“生き残り”という声にならない痛罵の声が飛んでくるようにも思えて、悩み苦しんだ藤枝は、かつて孫娘・真実と共に知覧を訪れ、記念館でたくさんの戦死した特攻隊員の記録を見た後で、特攻隊員の母さんに会いに行ったことがありました。母は慰めてくれました。「生き残ったということは、残されたということだよ。神様があんたをこの世に残してくださったということだよ。残されたということは、何かやることがあるから残されたんだよ。神様があんたに、やりなさいとおっしゃっている仕事があるはずなんだよ。世間がなんと言おうとも、かまうことはないよ。あんたには、何かやらなければならない仕事があるはずだよ。よく考えてごらんなさいな」。
 母さんと別れて藤枝は山岡に電話をかけました。知子が出て、山岡の不在を告げました。山岡は実は知子の病状を聞きに医師のところへ行っていたのです。泊まって行ってよという知子に、藤枝は帰らなくちゃならないと言って山岡によろしくと告げます。帰宅した山岡は残念がりました。

■ 金山少尉の遺言
 やがて、藤枝の孫娘・真実が知覧の山岡のもとを訪れました。真美は藤枝の遺品のノートを携えていました。そこには藤枝の想いが綴られていました。山岡からのリンゴのお礼の手紙を受け取る度に「生きろ」と励まされているように感じたこと、そして昭和が終わり自分の役目は終わったというようなことが書いてありました。つまり藤枝は、昭和天皇の崩御を機に、本来は特攻で死ぬべきだった自分も、やらなければならない仕事が終わって、やっと死ぬべきときを迎えたと思ったのでしょう。    ♪生まれ変われる ものならば
 ♪はぐれ螢に なりましょう
 ♪世間(あっち)の水が 苦いなら
 ♪あなたの涙 飲みながら
 ♪生きればいいの ホタルの恋よ
 山岡は医師から知子の余命がわずか1年半と宣告されていました。山岡は知子を海岸の岩がゴツゴツしたところに連れて行きます。そして、今自分が座っているところにかつて金山が座って、特攻に飛び立つ前に話をしたんだよと告げます。その頃、知子は金山と婚約していました。山岡は金山からある遺言を託されていました。当時は遺言ですら検閲される時代であり、金山は特攻が特攻に遺言を残してどうするなどと言いながらも、口頭で山岡に言い遺していたのです。遺言の内容は、自分は当時韓国を併合していた大日本帝国のためではなく、知子や実家の家族、そして朝鮮民族の誇りのために闘うのだということでした。朝鮮民族でありながら日本軍の特攻隊員として死んでいった金山少尉は、最後の想い出に故郷の歌「アリラン」を歌います。なんとも切ない場面です。山岡は「知覧の母」から頼まれたことを知子に告げ、一緒に韓国へ行ってくれないかと頼みます。実は最期の思い出に知子を同伴させようと決めていたのです。

■ 朝鮮民謡「アリラン」が流れ...
 知子を伴って韓国に飛んだ山岡は金山の実家を探し当てますが、金山の生家の人たちは、当然ながら山岡夫妻の訪問を快く迎えてはくれませんでした。なぜ金山が死に日本人である山岡が生き残ったのかと山岡を責めます。しかし、山岡が金山の遺言を伝えると、遺族は山岡を責めるのを止め、遺品を受け取りました。するとどこからともなく朝鮮民謡「アリラン」が流れてきました。それはまさしく金山を追悼するかのようでした。山岡は知子に、今まで金山の遺言を伝えなかったことを謝罪すると、知子は「ありがとう」と泣きながら寄り添いました。    ♪きっと全ては うたかたで
 ♪流れ流れて ゆくばかり
 ♪いつかは終わる 恋ならば
 ♪夕陽の赤に 身を投げて
 ♪燃え尽きたいの ホタルの恋よ

■ 俺とお前と、2人で1つの生命じゃろうが・・・
 その夜、二人は空を舞うホタルを見つめていました。まるで金山の想いがホタルとなってやってきたかのようでした。高倉健演ずる山岡秀治が、最愛の妻知子(田中裕子)に腎臓を提供しようとして、「俺とお前と、2人で1つの生命じゃろうが・・・」というセリフはこの映画のハイライトでしたね。カッコイイ!
 それから月日が流れた21世紀のある日、年老いた山岡は、太平洋を望む海辺で、役目を終えた愛船「とも丸」が炎に包まれる様をひとり見つめていました。

■ 忘れてはならないこと
 この映画が封切られた2001(平成13)年という年は、1931年9月18日の柳条湖事件(満州事変の開始となった、日本の関東軍による瀋陽郊外にある柳条湖付近での線路爆破事件)から70年、1941年12月8日のパール・ハーバーから60年、1951年のサンフランシスコ講和条約締結から50年、など多くの意味での節目の年でした。団塊の世代である「戦後」生まれの筆者は、1945年8月15日の終戦記念日(敗戦記念日)という「その日」を知りません。しかし、物心ついた頃から、父や母から聞いた戦時中の話などにより、子供心にも戦争の「体験」感があります。いま60代以上の人々には共通したものではないでしょうか。そして1910年から日本に統合された朝鮮民族は、日本人として従軍し、特攻隊員として戦場に散った人も居たということです。そして終戦で北と南に分断されたということです。こうした歴史に鑑みれば、朝鮮民族が日本に抱く恨みというものは、その立場になって考えればわかるのではないでしょうか。いま日米両政府が北朝鮮に対して圧力一辺倒で、韓国政府と温度差があるのは、歴史と民族を考えれば当然とも言えます。日本政府は過去の反省に立脚すべきであり、ヘイトスピーチに代表される右翼のような思想に傾いてはいけません。

■ ラストサムライ
 新幹線の中で読み物をしてたら、ラストサムライのモデルは、映画ではトムクルーズ演じるアメリカ人だったけれど、実はフランス人の軍事顧問ブリュネだったそうです。官軍は実はイギリスが支援したテロリストで、幕府を支援したのはフランスでした。「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉は、テロリストだろうが、結局勝った方が正義になる・・・という意味です。戦う前の道理がどうであれ、負ければ悪になってしまうということです。
(2017年9月24日)


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