207  名誉

 我が家の庭の沈丁花が花開いて良い香りを漂わせています。ズラリと並んだプランターにはピンクと白のサクラソウが花盛りです。土日少年野球で通う小学校の菜の花が綺麗です。近隣の家の庭では梅が満開、早咲きの桜も咲いて、春だなぁと感じさせてくれます。
 

■ 森友学園問題
 評価額が9億5600万円の国有地が1億3400万円で大阪府の学校法人「森友学園」に売却されていた問題が国会を揺らしています。問題は、この学校法人と安倍晋三首相夫妻との親密な関係に注目が集まっていることです。昭恵夫人は、この学校法人が2017年4月に開校を目指す小学校の「名誉校長」の肩書きを持ち、「安倍晋三記念小学校」と印刷された振込用紙で寄付集めが行われていたのだそうです。
 同学園が今年4月の開校を目指す「瑞穂の國記念小學院」は、「日本で初めてで唯一の神道の小学校」だとうたわれているそうです。すでに学校説明会や入試も終わっていますが、まだ文科省からの認可がおりてなくて、大阪府の審議会でも疑問符の意見が出され、松井知事も「森友学園が安定した経営ができないようであれば認めるわけにはいかないというのが府教育庁の立場だ」と述べ、小学校設置を認可しない可能性に言及しました。

■ 国有地を▲86%ディスカウント
 「森友学園」が小学校用地として取得した大阪府豊中市の国有地の取引の異例さが際立っています。土地の鑑定額が9億5600万円でしたが、ここから財務省がごみ撤去費など8億2200万円を減額したのです。この特ダネを報じた朝日新聞の取材に当初近畿財務局は「売却額は非公表」としていました。森友学園への売却額は、豊中市へ14億2300万円で売られた東隣・同規模の国有地の10分の1と判明しました。この土地は豊中市が公園にしています。森友学園が取得した国有地をかつて取得しようとした別の学校法人は、2012年4月に、この土地を管理していた国交省から「大量の地下埋設物がある」と知らされ、見積もりをゼネコンに頼んで、撤去費を約2億5千万円と見積もって、購入希望額を約5億8千万円としたら、近畿財務局から「金額が低い」と指摘され、断念したそうです。それなのに森友学園には元値の14%すなわち▲86%のディスカウントです。5億8千万円を蹴って1億3400万円で売却?誰がどう考えても合理的な説明は困難でしょうね。野党は「政治家が関与していないとこういう裁量はできないのでは?」と追求しています。安倍晋三首相が答弁で珍しくシドロモドロになった場面がありました。それは「自分は全議員の行動を把握しているわけではないから、そんなこと言われても分からない」ということでした。これは首相も実は「オカシイナァ」と思っているからで、正直さが出た場面でしたね。

■ しかも契約前にゴミ撤去費用前払いした上で分割払い
 財務省の佐川理財局長の国会答弁によれば、売却前の賃貸契約は、売却を前提にした「買い受け特約付きの定期借地契約」と呼ばれる異例の契約でした。さらに土地代金の分割払いを認めて当面の支払額を年額約1100万円とし、賃貸時と同額程度に抑えたそうで、こうした取引も過去に前例が無いということです。また、売却前の昨年4月に政府が学園側にごみの撤去費用として約1億3200万円を支払っていたそうです。これは森友学園がごみの撤去工事をしたからですが、かつてこの土地を取得しようとした別の学校法人がゼネコンから得た撤去費見積額約2億5千万円に比べると約半値ですね。いったいどういうものをどれだけ撤去したのでしょうか。しかも売却前に払ったと言うことは、その前にこの土地を売る契約を結んでいたということです。そうまでして森友学園に売らなければいけなかった理由は何なのでしょうか。野党は「土地代金1億3400万円との差額の約200万円で土地を手に入れていることになる、これはいったいどういうことだ?」と言っています。もうワケがわかりません。

■ 実際にゴミ撤去したの?
 しかも審議での焦点の一つは、減額算定した約8億円に相当するごみの撤去が実際に行われたのか?という点でした。籠池泰典理事長がラジオの取材に対して、建物が立っている部分は処置したが、校庭部分は何もしていないと答えたことが記録に残っています。質問に対して、麻生財務大臣が「何言ってんだ、契約が終わったんだから政府として確認する必要はない」と答弁して火に油を注ぎました。民進党の玉木雄一郎氏は「8億円ディスカウントしておいて、ダンプで(ごみを)運び出す作業をしているかは知らないし、調べる義務もない、という答えだ」と猛反発しました。橋下徹前大阪市長もツイッターへの書き込みをこの後連発して、「政府答弁、特に麻生財務大臣の答弁が粗過ぎる。きちんと確認・調査しないと政権が危なくなる。安倍政権一強の慢心か」とつぶやいています。
 学園側にごみの撤去費用として約1億3200万円を支払っていたわけですから、校舎部分の地下埋設物の撤去はしたのでしょう。だとすると8億円強のディスカウントをした理由の説明がつきません。どうしても森友学園に売りたかったのか、または地下埋設物の実態を明らかにされたくなくて契約を急いだかのどちらかでしょう。地下埋設物というのは生活ゴミと言われていますから、この土地はかつてゴミ処分場だったのでしょうか。ところが以前は住宅地で、伊丹飛行場のすぐ近くなので、騒音対策のため国が買い取ったのだそうです。すると別に危険なものが埋まっているとは考えられません。謎ですね。

■ いまどき教育勅語ですか...
 森友学園が運営する幼稚園は、公表しているところでは「毎朝の朝礼において、教育勅語の朗唱、国歌“君が代”を斉唱します」というところで、右派論客を招いた教育講演会にも力を入れているようです。幼稚園生が教育勅語ですか?幼稚園の保護者への配布文書に「よこしまな考え方を持った在日韓国人や支那人」などと記載したり、HPで一時、元保護者とのトラブルに関連して「韓国・中国人等の元不良保護者」と表現していたことで大阪府が1月に籠池泰典理事長から事情聴取し、その後、HPの表現は削除されたそうです。思想の自由は保障されるべきですから、何を言ってもかまいませんが、韓国人や中国人への差別的な考えを持って児童を教育するというのはいかがなものでしょうか。

■ 日本人のルーツと歴史教育
 余談ですが、日本人の三分の一を占めて一番多いグループは、日本独特のDNAを持つ、いわゆるアイヌ系統で、約32〜35%、意外にも沖縄の人の半分はこのDNAです。つまり沖縄も古代は寒冷だったわけです。日本も大陸と陸続きでしたが、地球温暖化で氷河が融けて、100mも海面上昇したので日本列島が大陸から分離した形なのです。次に多いのは朝鮮半島から満州など含めた東アジア北東部で多いDNAを持つ人が約30%、大陸から渡って来たと考えられます。約20%が中国、朝鮮、ベトナム等においては最多を占め、日本やその他の東南アジア、インド北東部やネパールなどの南アジアでも中〜低頻度見られるグループです。この人たちは琉球列島ルートで渡来したと思われます。この三大グループのほかに、まだ15%ぐらいいるわけですが、その人たちは5種ほどのDNAに分類されます。いずれにせよ、「倭」をうたって他の民族を差別する考え方は古事記=神話、日本書紀=天皇家の正統化以降の歴史教育に倣ったものです。

■ 天皇家のルーツ
 平成13年12月18日、天皇陛下の記者会見での宮内記者会代表質問に答えて、天皇陛下は「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べられています(宮内庁ホームページ参照)。桓武天皇は日本の第50代天皇です。天皇家のルーツは定かでありませんが、このように朝鮮半島からの混血もあります。桓武天皇の生母が百済から日本に渡来した王家の子孫だということですが、朝鮮半島から来た人というわけではありません。三国時代(紀元前1世紀から7世紀)の朝鮮半島は高句麗、百済、新羅の三国からなり、当時の大和の国は朝鮮半島から高度な技術を持った人々を政治的に移住させていました。唐と新羅の連合軍に滅ばされた高句麗のお偉いさんたちは、海を越えて日本に渡来しました。

■ 神奈川の歴史
 一行は、最初相模の国に上陸しました。神奈川県の大磯には高麗山や高来神社があり(1897年・明治30年までは高麗神社といわれていた)、大磯の北には高座郡があります。高座郡はもと高倉(たかくら)郡と呼ばれていたそうです。
 大磯の高来神社は、江戸時代までは高麗神社と名乗り、徳川幕府から手厚い保護を受けていました。しかし、明治新政府初期の徳川否定政策およびその中期以降の帝国主義のシンボル=植民地獲得政策によって朝鮮国をターゲットとして、日本国民に対し「朝鮮は遅れた国だ!→だから日本が保護すべきだ!→植民地にすべきだ!」というプロパガンダ(政治的宣伝)で洗脳教育が行われ、この朝鮮蔑視政策が実施されたことにより大磯の高麗神社は肩身が狭くなり、その由緒を隠し、高来(こうらい)神社と「麗」の一字を変え、やがてたかくと読み方も訓読みに変えたのだそうです。朝鮮語でオイソ(いらっしゃい)から来たのが大磯の地名の由来なのです。
 相模は朝鮮語のサングモが訛ってサガミとなったもので、相模という漢字は当て字だと考えられます。箱根から東は大和の人たちから見ると未開の地であり、野蛮な民のいる恐るべき土地だったので、亡命してきた渡来人=古代朝鮮人を移住させたというわけです。神奈川はもともとは金川の当て字だそうです。

■ さいたまの歴史
 大磯の高句麗人たちは日本(大和)国の指令で、武蔵の国の今の埼玉県日高市に集結させられ、高麗郡を作りました。これは1896年(明治29年)入間郡に合併されるまで続き、最近まで高麗郷、高麗村、高麗川村などがあり、現在も高麗本郷という地名が残っていて、高麗神社・高麗山聖天院があって、その歴史は比較的はっきりしています。高麗の王が移住してきたので、日本国としてもそれなりに尊び遇し、天皇が高麗の王の称号を与えたので、埼玉県の高麗神社は今でも格式ある神社と言われています。
 また埼玉県に新羅人を集めて新羅郡としましたが、弱小勢力だったのでその後「新座郡」とされ、その呼び方は「爾比久良」(にひくら=にいくら)と呼ばれていたようです。それが今の新座市、志木市、朝霞市、和光市になっているのです。埼玉というのは武蔵の国多摩の先(前)にあるので「さきたま」で、それが転じてさいたまになったのだという説があります。昔の多摩の中心地は府中市の大国魂神社だと言われています。

■ 和服、呉服、着物
 また倭人は戦乱などを避けて呉の国(3世紀頃の三国時代にあった国)から日本に亡命移住した人達の子孫という説もあります。広島県呉市の市名の由来が三説あり、その中の一つが中国三国時代の呉(孫権が建国)の子孫に由来し、戦乱などを逃れて呉から日本列島に亡命して呉周辺に住んでいた中国からの渡来人を「くれ人」と呼んでいて、呉(ご)を訓読み(和訓)して「くれ」と呼んだ、と有ります。和服というのは、中国の呉の国の人たちが着ていた服、すなわち呉服を導入したものです。ただし呉服というのは織物を指します。それを縫製して和服=着物を作りますから、和服=呉服ではありません。和服というのは明治維新以降入ってきた洋服に対して明治政府が作った言葉で、それ以前に日本に来た西洋人は日本人は「kimono」という服を着ている、と記したので、海外でも「kimono」と言われます。

■ 洗脳された歴史
 歴史を勉強すれば、維新後明治政府がいろいろなところで日本国の歴史を変えるべく国民に洗脳教育したことがわかります。教育勅語によって徹底的に子どものころから教育された日本人は、本当の歴史を知らないのです。それは戦後教育にも影を落としています。私たちの歴史を知りたければ、各自治体にある歴史民族資料館に行けば眼からうろこの事柄に出会えます。それは学校教育では教えられなかったことです。後世美化された歴史はたくさんあるのです。そもそもアジアの歴史は、戦いに勝ったら相手一族を皆殺しにすることで成り立ってきました。モンゴルがチンギス・ハーンの時代にヨーロッパの人々から恐れられたのはこのためですし、それは朝鮮や中国はもちろん、日本でも同じでした。織田信長や豊臣秀吉なんて極悪非道の恐ろしい人でした。日本人が朝鮮人や中国人を馬鹿にしたり、敵対視するのは、自らを否定しているようなもので、愚かなことだということが分かってきます。それを言えるとしても、アイヌだけなのですよ。ただ、アイヌは温厚なので、そんなこと言わないと思います。

■ 昭恵夫人が名誉校長を辞任
 昭恵夫人は2015年9月、森友学園が運営する幼稚園で講演を行い、「瑞穂の國記念小學院」の名誉校長に就任したとされています。小学校の公式サイトの挨拶文では、「籠池先生の教育に対する熱き想いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました」、「優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ、芯の通った子どもを育てます」などと書かれていたそうです。このサイトから夫人の顔写真と挨拶文が2月23日までに削除されました。安倍晋三首相は2月24日午前の衆院予算委員会で、大阪市の学校法人「森友学園」が開校予定の小学校「瑞穂の國記念小學院」に関し、昭恵夫人が名誉校長を辞任したと述べました。同法人が「安倍晋三記念小学校」という名前で寄付を集めていたことについても抗議したと述べました。首相は「妻が名誉校長を引き受けたことで、子供たちやご両親にかえって迷惑をかけるので、辞任させてもらうと申し入れた」そうです。以前の国会答弁では、「妻は学園の教育理念に共鳴して名誉校長を引き受けたと聞いている」と述べていました。どうやら余り深く考えていなかったのではないでしょうか。ただそれにしても安倍晋三首相夫妻の政治思想の一端が垣間見えるエピソードですね。

■ 断ったのに・・・結局受けた名誉校長
 テレビ東京は2月21日夕方のニュース番組「ゆうがたサテライト」で、昭恵夫人の記念講演の録画を放送しました。昭恵夫人は講演の中で、「こちらの教育方針は大変主人もすばらしいという風に思っていて、(学園理事長の籠池泰典)先生からは、安倍晋三記念小学校という名前にしたいという風に当初は言っていただいていたんですけれども、主人が、総理大臣というのはいつもいつもいいわけではなくて、時には、批判にさらされる時もある、もし名前をつけていただけるのであれば、総理大臣を辞めてからにしていただきたいということで・・・」と言っていました。どうやら、講演の前の待合室において籠池理事長から『名誉校長になってください』と頼まれ、『夫の関係もあるので、お引き受けできない』と断ったそうですが、実際の講演映像を見ると、籠池氏は「今、安倍昭恵先生に名誉校長になっていただいたということをご報告申し上げます」とし、保護者に拍手を促しました。首相によれば、夫人は「なかなかそうなったら、その場で『それはお引き受けできない』と、はっきり言うことができなかった」のだそうです。その後、昭恵夫人は「あそこで急に(名誉校長だと)出されて、私も当惑しました。お引き受けできません」と話し、何度もやりとりを重ねましたが、小学校側からは「父兄の前でおっしゃったんだから、引き受けてもらわないと困ります」と言われ、最終的に受けることになったのだそうです。

■ 実は国民の意識が問われる事案です
 「森友学園」への土地売却問題で政府は今後どう対応するのか?国有地関連で政治家が動いて云々と言うのは昔から良くある話です。また道路や鉄道、土地の区画整理に関連して政治家と国民の間での利権話は日常茶飯事です。今回の問題の焦点は上に書いた「8億円強のディスカウントをした理由・・・どうしても森友学園に売りたかったのか、または地下埋設物の実態を明らかにされたくなくて契約を急いだのか」を明らかにすることです。ここに安倍晋三首相夫人の名誉校長問題が絡んでいるのですが、首相サイドは森友学園を悪者にして逃げ切ろうと考えているでしょう。実際問題、コレだけ報道されて国会が過熱して、なおかつ「瑞穂の國記念小學院」に子どもを入学させたいと言う親がいるとすれば、それはコリコリ凝り固まった思想の持ち主でしょう。本質は「行政と政治家の癒着」なのか「地下埋設物」なのか、アレ?これって豊洲問題ではありませんか?東京都では小池百合子都知事がここに大胆なメスを入れようとして、都民を煽って、過去の都知事たち、特に石原慎太郎さんが血祭りに上げられようとしています。国政の場でも再燃するなら安倍晋三首相も余裕こいている場面ではありません。日本の政治と行政が問われているというか、それ以前に日本国民の意識が問われていると言えます。

■ 名誉教授
 名誉校長というのは有名人が利用されることが多いのですが、特に政治に関係した人は避けるのが無難ですね。同じような称号でも大学の名誉教授はちょっと意味合いが違います。国内法では「大学などに教授などとして勤務した者であって、功績のあった者に対して授与される称号」とされています。法的・国際的に認められた栄誉称号であり学術称号の一つです。日本では学校教育法にその根拠規定があり、それぞれ大学または高等専門学校の規程・規則の定めるところにより授与されます。大学の図書館が利用できたり、個人として文部科学省・日本学術振興会の科学研究費補助金への申請が認められているなど学術的な便宜が図られていますが、職ではないので報酬はありません。まあ、名刺に書くとカッコイイという程度のものです。名誉教授以外の「名誉○○」への就任を要請されたら、逃げるが勝ちでしょう。

■ ニセコアンヌプリ・・・アイヌ語
 北海道倶知安町のニセコアンヌプリ岳で2月25日午前、スノーボードをしていたニュージーランド人の男性が、雪崩に巻き込まれ、死亡しました。このニュースで、このカタカナ地名はアイヌのものだなと思いました。もともと北海道というのは明治新政府が付けた和名です。昔は大和朝廷からは蝦夷と言われ、和人から見ると異民族の住む地でした。古代中国では、自国・民族を「華」として尊び、異民族を東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)などと称して卑しんでいました。これを中華思想と呼び、日本など中国の周辺国に、広くその影響が及んでおり、古代日本でも、みやこを中心とする地域を「華」とし、王権の及ばない地域を夷狄(いてき)として、征服を正当化する思想となっていました。蝦夷征伐ですね。札幌というのもアイヌ語に漢字を当てたものです。もともとアイヌの地名がある場所には、これに漢字をあてて地名としましたが、ニセコのような、今は有名な観光地でも、当時あまり人が行かないような地には漢字当て字しなかったのです。例としては札幌(乾いた大きな川を意味するサッ・ポロ・ペツ)・稚内(冷たい飲み水の川を意味するヤム・ワッカ・ナイ)・留辺蘂(通り道を意味するルベシベ)・釧路(温泉水を意味するクスリ)などが挙げられます。旭川だってそうですよ。旭川市のホームページによると、その命名由来は、市内を流れる川をアイヌが「チュクペッ」と呼んでいると和人が聞き取り、忠別川と名付け、それを「チュプペッ cup-pet :太陽 川(転じて)日が昇る川」と解釈して、日を旭に転じて1890年(明治23年)に命名されたものだそうです。いまアイヌ文化を誇らしく思い、これを再び世に出そうとする動きが主流になっています。日本人の三分の一がアイヌで、世界の何処にも居ない民族なら、実は一番日本人らしい日本人だと言うべきですね。

■ 橋本奈々未の卒業
 北海道に関連して別の話題です。橋本奈々未(公式ブログ)が乃木坂46を卒業しました。24歳の誕生日である2017年2月20日に、さいたまスーパーアリーナにて開催された「乃木坂46 5th YEAR BIRTHDAY LIVE〜橋本奈々未 卒業コンサート〜」を以て、グループから卒業・芸能界を引退しました。
 彼女は自らのプロフィールによれば、北海道旭川市で生まれ、家は貧乏でしたが、教育熱心な家庭に育ち、幼稚園生時代から平仮名や掛け算を習い、基礎学力を叩き込まれたそうです。小学4年生の時、全国模試で1位を獲得したというのですから、只者ではありません。北海道旭川西高等学校へ進学し、バスケットボール部のマネージャーを務め、高校2年生の夏、インターハイに出場した際、生まれて初めて北海道を出たそうです。
 高校3年生の夏、バスケットボール部のマネージャーを引退後、居酒屋、焼肉屋のアルバイトをしながら、進路を考え、東京の美術大学へ進学することを決めました。2011年春に上京後、親に頼りたくなかったため、大学の学費や生活費をすべて自己負担としつつ節約して生活していましたが、北海道に比べて東京の美容室の値段が高いのでカットモデルを始めたそうです。奨学金は学費につぎこみ、生活費はアルバイトで稼ぎましたが、それでも生活は厳しく、おにぎり1個の生活が続き、また大学の勉強を通じて自分の居場所や信念に疑問を抱き始めたため、大学1年生の夏、ロケ弁欲しさに、インターネットで乃木坂46の1期生オーディションを見つけて応募、合格したのだそうですよ。エライですね。
 2016年10月20日に芸能界から引退する意向を表明し、その引退理由が話題になりました。家庭の経済状況が変わり、4つ下の弟の大学費用も免除され、母親から「無理しないで好きなことをしてください」と言われたからだというのです。「お金のためにアイドルやって、その目的を果たせたから引退?」ということで、いまどき珍しい話じゃないかと話題になったのです。2016年紅白歌合戦にも出ました。趣味は読書やバスケットボール観戦で、読書は小学4年生の頃にガリレオ・ガリレイや徳川家康などの伝記を読みあさったそうです。地元の北海道旭川市が作品にたびたび登場する村上春樹の作品を好み、なかでも『ノルウェイの森』は何度も読み返したとのこと。
 何故橋本奈々未のことを紹介したかと言いますと、その生き様が素晴らしいと思ったからです。美少女で頭が良い、頑張り屋、単なるアイドルでなく、一定のところでスパッと引退して転進する、彼女にとって貧乏だったというのは何よりの財産になっている気がします。
(2017年2月26日)


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