144  審判

 今冬はエルニーニョの影響で暖冬だそうです。確かに暖かいですね。銀杏の黄葉も遅く、まだ葉が落ちきりません。我が家は川越街道沿いですが、中央分離帯に植えられた街路樹が、ナント6階建てのビルぐらいはあるのです。隣りの4階建てのビルよりはるかに高く、常緑樹と広葉樹がミックスされ、間に銀杏、下には寒椿や藤の花、さらに下にはヒガンバナや水仙、国道ですから国土交通省が手入れしてるのでしょうが、今落ち葉で大変なことになっています。この片付けはどうするのでしょうか?2015年12月11日(金)朝は強い雨で寒い、昼一転青空、グングン気温が上がり、暑い!都内に出かけたのですが、コートなんて皆さん着ていません。風も強く、一気に葉が落ちたのでしょう。
 原油価格が下がり日本としては助かりますが、石炭依存の中国のスモッグは凄まじく、偏西風で風下の日本は他人事ではないですね。文化人が多く住む鎌倉で9月に亡くなった原節子さんは、新聞を毎日隅々まで読んでいて、経済や異常気象、シリア問題などにも関心を持っていたそうですが、隠遁生活には新聞が一番だったのでしょう。経済問題に関心が高かったというのは意外ですが、逆に親しみを感じました。

■ 少年野球の審判について思うこと
 少年野球で審判の判定について最近いろいろ考えるところがありました。審判も完全ではありません。誤審もあります。ただ、誤審は致し方ない面があります。従って複数の審判で見るとか、競技によって様々ですが、いろいろ工夫されてきました。しかし人間の能力には限界がありますし、能力だけの問題ではなく、人間は「意思」を持っているので、あってはならないことですが、「肩入れ」その他不正の余地もあります。

岩手大学工学部のキャンパスで

■ 判定サポートシステム
 人間の能力で無理なところは、写真判定とか、その後ビデオ判定とか、いろいろ導入されてきました。例えばテニス、ラインギリギリの高速サーブ、選手は判定に不服の場合、数に限りはありますが「チャレンジ」できます。コレは「The Hawk-Eye Officiating System」通称ホークアイと呼ばれるものです。「鷹の目」ですね。ボールの位置や軌道を分析し、それらをコンピューターグラフィックスで再現することにより、審判が下す判定の補助を行うコンピューター映像処理システムです。しかしこれはテニスやバレーボールなどでは可能ですが、野球やサッカーなど、選手が自在に動くスポーツでは困難です。

■ プロ野球で誤審謝罪
 日本プロ野球でも2010年からビデオ判定が導入されました。日本野球機構(NPB)は2015年9月12日に甲子園球場で行われた阪神−広島20回戦で三塁打と判定された飛球が本塁打だったと誤審を認め、謝罪したということがありました。ビデオ判定が導入されて以降、初めてのことだそうです。ただし、試合は成立しており記録の訂正は行わわれませんでした。同試合では12回表の広島の攻撃で、1死から田中が放った中越えの飛球がグラウンド内に跳ね返り、審判団はインプレーと判断。広島はホームランではないかと抗議して、ビデオ判定となりましたが、覆ることはなく三塁打とされました。試合後、広島側が「フェンス内のワイヤに当たって戻ったもので、本塁打ではないか」と主張して、審査を求めていました。広島側の@審判団は球場の構造を知っていたのかAビデオ判定でもフェンスを越えていないように見えたのか、とする質問にセ・リーグ側は、@の構造は認識していた、Aについては「ネットに当たったものと思い込み、まさかフェンス内のワイヤに当たることはないと判断した」と説明しました。改めて検証した結果で、ビデオでも打球がフェンスを越えていたことを確認。「今後は先入観なしに検証するよう徹底をはかりたい」として「再発防止策を鋭意進めます。球団、ファンに迷惑をおかけしたことをおわび申し上げます」と謝罪しました。
 この試合は結局田中残塁で無得点、裏の阪神の攻撃でも点が入らず引き分け、広島は結局4位で、3位の阪神に0.5ゲーム差でした。つまり、広島ファンからして見れば、この「誤審」が無かったら広島が勝っていたかもしれない(表の攻撃ですから、もしかして広島が勝ち越したことで阪神が奮起して得点したかもしれません)ので、もしかすると悲願のクライマックスシリーズ進出ができてたかもしれない、ということで口惜しい「誤審」だったわけです。

■ ビデオ判定しても、口惜しい「誤審」
 ビデオ判定したにもかかわらず誤審が起きたというわけですから、難しいですね。ビデオカメラがドーム球場のように天井にもあれば別ですが、右の画像を見てどうですか?ボールが金網の向こうにあるように見えますね?当日の審判は、バックスクリーンからのリプレイビデオを3回見返して、ボールがラバーフェンスに当たってグラウンドに跳ね返ったと判断したそうです。フェンスを越えたら、普通グラウンドに戻ってくるはずがないという先入観念もあったのではないでしょうか?ワイヤに当たれば、まるで弓の弦のように弾き返されるわけです。
 ビデオでもわからない、結局それは、「ビデオを見て判断するのも人間」だからです。つまりどんなに完璧にと考えても、所詮人間には限界がある、ということです。

デイリーニュースの画像から

■ 少年野球の審判は有難い存在
 プロ野球の審判は職業人ですから、誤審があれば、注意、譴責、出場停止などの処分が下されますが、少年野球における審判は完璧なボランティアです。しかもプロ野球の審判と違って上手い人、下手な人、いろいろいます。しかも少年野球連盟の審判部に所属してスキルが高い人の他に、予選などでは「チーム審判」と言って、各チームから審判を出します。ただし自分のチームの試合ではないゲームの審判を務めるのが普通です。
 審判部に所属する審判は、ただ野球が好きということで審判をやってくれるのですからまことに有難い存在で、足を向けては寝られません。我がチームは「審判には逆らわない」ということをチームのモットーとしています。少年野球のために奉仕して下さる審判には感謝こそすれ、逆らって心証悪くしたら、「なんだ、このチームは」と思われてしまいます。ありありと誤審だなと思っても「え〜〜〜?」で止めて、言葉を飲み込むことにしています。完璧な人はいません、誰でも間違いはありますから。

 さて冒頭「最近いろいろ考えるところがあった」と書いた審判の判定ですが、いくつもありました。
■ 【その1】ボーク
 これは我がチームではありませんが、ある5年生大会の準決勝のときのことです。息詰る接戦で、表に1点勝ち越して、時間的にもう次の回には行かないだろうと思われたその裏、1点ビハインドのチームが1死満塁に詰め寄りました。ここまで好投してきたピッチャーが3塁に牽制したところ、サードがベースに入っていなかったため遅延行為と見做されて痛恨のボークを取られ、同点となりました。投手はガックリ、次打者のサードゴロで3塁ランナースタート良く還ってサヨナラという試合でした。このボークが無くても結果は変わらなかったかもしれないし、あるいは後続断って先攻チームが逃げ切ったかもしれません。
 問題はこのときの審判のボーク宣告の是非です。少年野球はピッチャーも未熟なことが多いので、最初は注意して、それでも改まらなければボークを取るということが多いのです。ただ、6年生の試合などで、誰の眼にも明らかなボークなら一発ボーク宣告することもあります。このケースは、準決勝の息詰る試合でのボーク宣告、試合を決定付けるものでした。5年生大会ですから、通常まずは注意です。それも「遅延行為」というのはどうなんでしょう?この投手は何度も対戦して良く知っていますが、好選手で、故意に遅延行為を行うような選手ではありません。少年野球はプロ野球と違って、これでメシ食っているわけではなく、少年の健全育成を目的にしています。ひとつ注意して、それでも改まらなければボークを取るというのが普通です。この審判の判定には誰も文句は言えません。さりながら、明確ボークでもまず注意という優しい審判が多い中で、この審判は際立っています。この場面のこのボークが、少年の心にグサッと刺さって、言い知れぬ傷を負わせるという想像ができないのでしょうか?審判部では、技術的な面だけでなく、少年の健全育成の視点から、メンタルな面でも、こういう場面はどうしたらよいか、話し合って欲しいと思います

■ 【その2】インターフェア
 これも我がチームではありませんが、ある大会の決勝戦がナイターになりました。我がチームは準決勝で大激戦の末に負けて、閉会式に出るため、選手も指導者もネット裏のスタンドで見ていました。
 同点で迎えた最終7回裏、ランナー1塁、打球がセカンド方向に飛びました、上手い2塁手が捕球体勢に入りました、併殺コースです、その前を1塁ランナーが2塁へ向かって通り、打球がガクッと曲がりました、スタンドから見ていた我がチームのコーチたちから、「インターフェアだ」という声が...2塁手が2塁審判に守備妨害をアピールし、審判4人が集まって協議した結果認められません。「チョット待ってヨ」と守備側ベンチが球審に「打球が走者に当った」と言ってアピールし、審判再度集まって協議し、やはり認められません。守備側を応援するおじいちゃんから激烈なヤジが飛び、スタンド最前列に陣取っていた少年野球連盟の審判員達からたしなめられる一幕がありました。走者1、2塁から再開された試合は、結局0点でタイブレークへ、スタンドから「後味悪くならなくて良かったな」の声、もしこれでサヨナラ勝ちとなっていたら...と思うとさもありなん。スタンドの高い位置、それもネット裏から見ていたので、もしイレギュラーだとしてもあんな曲がり方はしませんから、守備側のアピール通りのことがあったのでしょうが、審判は近くにいるから逆に見えないということがあるのでしょう。ましてや普段やらないナイターですから、動体視力の面からも見え辛いのは間違い有りません。上に跳ねたのではなく横に曲がり、打球の速度も落ちましたから、1塁と3塁の審判は分からなかったかもしれないし、それぞれの審判は自分の持ち場を見ていますから、みんなが同じ場面を見ているということは無いのが本来です。少年野球ではビデオ判定なんてありません。こういうケースは運不運としか言いようがないのです。決勝戦の、それも1-1同点の7回裏ですから、このひとつのセーフ、アウトはとても大事でした。ちなみに、もし打球が走者に当たった場合どうなるかと言いますと、走者は守備妨害でアウト、打った打者走者は1塁で記録はヒットになります。
 この試合は結局先攻チーム、すなわちこのプレーのときの守備側だったチームが、タイブレーク2回やって勝ちました。野球は審判の判定が絶対ですから、1塁ランナーは自分が当たったとしても判断が下されるまでは2塁ベース上で黙っているのが普通です。ただ、我がチームの選手たちは○○正直な選手が多いので、自分から「当たったよ〜」と言ってしまいそうな気がします。自打球が足に当たっても、球審がファウルコールしないので、1塁に走ってアウトになった選手も居ました。これは単なる○○かもしれませんね。さて問題です・・・○○に入る2文字はナンでしょう?当たっても何もあげません。ヒント・・・日本郵便ゆうパックの配達員・・・

■ 【その3】ストライクゾーン
 これは我がチームの試合でのことです。この試合では不審な点がいくつもありました。まず試合開始前に、若い球審が審判団を集めて「勉強させて頂きます。よろしくお願いします」と言いました。見たことの無い球審なので、他連盟から派遣されてきた人でしょう。球審というのは、審判の中でも技量が高い人がやりますから、「勉強させて下さい」なんて、これから試合するチームの前で大声で言うものではありません。昔、手術が始まるという時、麻酔されて移動ベッドに横たわり、手術室に運び込まれる時ですが、執刀医が「いや〜、夕べは飲み過ぎた」と言って、看護師が「センセイ、シッカリね」と言っているのがおぼろに聞こえました。オイオイ、カンベンしてよ、と思ったけれど身動きできません。誰でも知ってる大病院ですよ。患者は麻酔されてて聞こえないだろうと思ったのかもしれませんが、こんな人に切られるのかと思ってゾッとしたことを今でも鮮明に覚えています。これと同じようなものです。
 戦力的には我がチームが圧倒的に上と思いました。ところがそれは野球ならばの話で、どこへ投げればストライク?という感じの球審でした。ストライクゾーンが上下左右、極度に狭いのです。こういう人はたまに居ます。逆の人も居ます。首のところがストライクだったり、1バウンドでキャッチャーが捕球して、打者見送ってストライク!と言われ「ビックリポンや〜」と打者(@,@)だったり、外角ボールひとつ以上でもストライク、という審判など、いろいろいらっしゃいます。ストライクゾーンが広ければピッチャー有利で、まだ野球にはなるのですが、ド真ん中に投げないとストライクでないとなると野球になりません。結局、両チーム合計で21個の四球、野球ではありませんでした。少年野球では変化球は禁じられています。落ちる球ならキャッチャーが1バウンド捕球してもストライクはあるかもしれませんが、少年野球は変化球がダメ、投手も未熟ですから、やや投手に有利なように判定する球審がほとんどです。こういう球審に当たったチームは不運かもしれませんが、もうすこし勉強してから球審やってよ、と思いました。

■ 【その4】アピールプレー
 これは【その3】と同じ試合でのことです。4回裏ライト前ヒットの走者Kを1塁に置いて打者Iがレフト線の完璧な2ランホームラン、ところが相手ベンチが走者がベースを踏んでいないと抗議したのです。この2選手はベンチに帰ってきて、ちゃんとベースを踏んでると言います。アレだけ完璧に打たれて、普通のチームならシャッポを脱ぎます。ところが延々と11分間の相手監督と審判団との話し合い、少年野球の精神とは何でしょう?少年の健全育成のはずです。まともにやったら勝てないので、これが流れを変える作戦でしょうか?結局2塁審判の「前走者Kがベースを踏んでいない」との結論に他の審判も同意したようです。でも、こういうアピールをして、勝って、嬉しいと思う選手たちが大人になったとき、世渡りどうすれば良いと思うのでしょう?どんな手段を使おうが、勝てば官軍ですか?しかししょうがない、ベンチも応援団も皆、言葉を飲み込んで、脱力感とともに会場を後にしました。とにかくお願いします、私たちは少年の健全育成が目的なんです、コレだけはお互い、審判も含めて、肝に銘じましょう。

■ 柔道で誤審、審判長は謝罪
 2015年12月5日の柔道・グランドスラム東京大会で、男子81キロ級準決勝、日本の永瀬が韓国の李スンスを攻め立てて、右の大内刈りから内またへ、李は、はね上げられた左足で永瀬の上半身をまたぎ、危機を逃れようとしました。永瀬は攻めの手を緩めず、畳にはいつくばる相手をすくい投げのように裏返したのです。一本勝ちでもおかしくないのに、審判団は永瀬に「足取り」の反則負けを宣告しました。国際柔道連盟(IJF)は2年前から立ち技の攻防での足取りを禁じました。レスリングのタックルのような技を繰り返す選手が増え、組み合って投げ合うという柔道らしい決着が減ったためです。
 だが永瀬は判定直後に自身の上着の裾をつかみ、「足を取っていない」と訴えました。一連の攻撃で左手は常に相手の上着の裾を握っていましたが、相手が永瀬の体をまたいだことで裾でなく下半身をつかんでいるように見えて、審判団が間違ったようです。競技終了後、IJFのバルコス審判委員長は誤審を認め、日本男子の井上監督に謝罪しました。
 永瀬は「足を持ったと思われたのでアピールした」と試合後、語りました。その上で、「これが、五輪じゃなくてよかった」と言いました。憤りや悔しさよりも「これが、五輪じゃなくてよかった」と思ったようです。この背景には、過去柔道でたびたび誤審が起きているからです。不可解な反則負けは逆に、世界王者の圧倒的な地力の高さを際だたせたようです。

■ 世紀の大誤審、シドニー五輪の篠原信一
 シドニー五輪男子柔道の銀メダリスト・篠原信一が、ここ最近バラエティ番組で引っ張りだこです。篠原といえば、避けて通れないのが、いわゆる“世紀の大誤審”です。2000年の同五輪男子柔道100キロ超級決勝で、篠原の「内股すかし」が決まった瞬間、目の前の副審が右手を挙げて「一本」と判定したのを見て、篠原は思わずガッツポーズをし、ドゥイエ(フランス)は落胆の表情を浮かべました。ところが、主審はドゥイエの「有効」と判定し、もう一人の副審もそれを認めたのです。ポイントをリードされて焦った篠原はその後、技をかけきれず、結局判定で敗れました。山下泰裕監督や斉藤仁コーチが猛抗議しました。山下監督は審判委員から審判団の再協議を申し出られたにもかかわらず、フランス語が分からないので試合の継続を許してしまいました。試合場から審判が離れた後は判定は覆らないという国際柔道連盟のルールがあります。試合終了後篠原はドゥイエと眼を合わさず、表彰台でも銀メダルをかけてうなだれる姿に、日本中が言い知れぬ虚脱感に覆われ、怒りの声が沸騰しました。実況していたNHKテレビアナウンサー・有働由美子は「今のは間違いなく篠原の一本。誤審です」と涙ながらに実況しました。
 試合終了後、篠原は「弱いから負けた」と言いました。その後、男子柔道日本代表監督も経験した篠原は、なぜそう言ったのか?と聞かれて、「あの時は、『よし、一本や』って思ったんです。でも、審判は有効のジェスチャーやった。その後、相手と組みながら思うんですよ。“なんで今のが一本やないんや”、“あれ、なんで相手のポイントになってるんや”、“いやいや、俺の一本でしょ”って。リードされて焦りました。でも、シドニーで金を取った野村忠宏や井上康生やったら、それでも気持ちの切り替えができて、絶対もう一回投げてるんですよ。でも自分はできなかった。そこに弱さがあったんじゃないかなって」ということだそうです。
 五輪終了後、国際柔道連盟理事会は、この試合の映像を分析しました。その結果、問題の場面では篠原もドゥイエも技が完全ではなく、両者にポイントを与えるべきではなかったと結論付け、ドゥイエに有効を与えたことが誤審であったことは認めたものの、「篠原の一本」という見方は示しませんでした。バツが悪いからあいまいにしたのでしょう。この事件以後、国際柔道連盟では、誤審防止や判定の難しいケースに備えてビデオ判定を導入し、ルールの徹底と試合判定の明確化に力を入れるようになりました。実はこの試合のとき、審判委員の1人だった川口孝夫は、篠原に有効ポイントが与えられたものだと勘違いしており、ドゥイエに有効が与えられていたことに終盤になってからようやく気付いたのだそうです。
 柔道では不審な判定がたびたび起こり、後日審判が2年間出場禁止とかになったりします。

■ 粋
 こういう誤審問題が起きるたび思い出すのが、以前少年野球の試合で、ふがいない4番バッターに、わざとやや高い球を「ストライク!」とコールした球審のことです。「カツを入れたな?」と思いました。目が覚めたバッターは次の球、ガツーンと逆転ホームラン、こういう球審はいけないのでしょうか?いえいえ、そうは思いません。肩入れしたわけではなく、カツ入れしたのです。こういう審判を「粋な審判」と言うのです。

■ 野坂昭如さん逝く
 時節柄か 訃報が多いですね このエッセイで採り上げる訃報は 筆者の 特に親しみを感じた人だけです
 「焼け跡闇市派」で 本業の作家以外にも作詞や政治など多彩な活動で話題を集めた直木賞作家の野坂昭如(のさか・あきゆき)さんが2015年12月9日 心不全のため85歳で亡くなりました 1945年神戸大空襲で家を焼かれ養父が死亡 疎開先の福井県では 戦後の食糧難で 目の前の義妹の食べ物を その頭を叩いて奪い そのせいで栄養失調で死んだんじゃないか オレはなんて悪いやつなんだ という自責の念を生涯胸に抱え続けました 1990年には友人の大島渚監督のパーティーで テレビカメラの前で 大島さんを殴り 逆に殴り返されて・・・面白いヒトでした 「黒の舟歌」は決して上手くないけれど 心に響くものがありました 毎日新聞のコラム「七転び八起き」は筆者が最も愛読するものでした ご冥福を祈ります  合掌 野坂昭如さん
(2015年12月12日)


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