113  こどもの日

 5月5日は「こどもの日」でした。こどもは社会の宝といわれますが、日本では少子化が進んでいます。少子化による社会保険の担い手の減少や負担の増加、将来の労働力不足などが懸念されており、その対策として、子育てしやすい環境や、子育てを社会全体で支える仕組みづくりが求められている、と日本国政府は言っています。少子化の原因はいろいろ言われています。少子化対策は必要なのでしょうか?人口減は本当に悪いことなのでしょうか?

■ 感動を頂く少年野球
 筆者は少年野球歴24年目です。毎年引退を考えるのですが、この子が卒業するまでは、と思って続けます。しかしこどもは次々に入ってくるので情が移ってしまうのです。毎年代替わりして、ついに現在の小学生の親たちは我が子と同世代、少年野球の選手たちは孫世代になりました。笑い話で、毎年お母さんたちが若返ると言った老練コーチが居ましたが、小学生は毎年小学生なので、その母親たちの年齢も同じぐらいです。自分が毎年高齢化していることを分かって言っているんですね(^-^)
 少年野球のチームもどんどん減っています。少子化で部員数が減り、チームを維持できなくなって合併するからです。日本国政府の言う「子育てを社会全体で支える仕組み」の一つが少年野球です。少年の健全育成は、社会全体で行わなければなりません。我々コーチは、弁当持参でグラウンドに行くボランティアですが、優勝でもしようものならお祝いを出してこども達にごちそうしたりするのです。「好きでなければやってられない」という見方もできますが、自分的にはこどもをダシにしてストレス発散しているのです。純粋なこども達は、言われるままに練習し、努力し、気力を奮って戦います。その結果を喜んだり悲しんだり、親は我が子ですから当然ですが、コーチはこども達に支えられているとも言えます。能力が高い子、低い子、だけど努力すれば結果は着いて来ます。感動をこども達から頂いています。

■ 進む少子化
 総務省統計局では、5月5日の「こどもの日」にちなんで、毎年4月1日現在におけるこどもの数(15歳未満人口)を推計しています。こどもの数は1982年から33年連続の減少で、過去最低となっています。また、総人口に占めるこどもの割合は、1975年から40年連続で低下しています。
 こどもの割合は、1950年には総人口の3分の1を超えていましたが、1997年に65歳以上人口の割合(15.7%)を下回って15.3%となり、2014年には12.8%で過去最低となりました。下記は総務省統計局HPより。
【こどもの数と総人口】
 2014年4月1日   2013年4月1日 
 子どもの数  1,633万人  1,649万人 
 総人口 12,714万人  12,735万人 

【年齢3区分別人口の割合の推移】
   2014年   2010年   1995年   1975年   1950年 
 0〜14歳   12.8%   13.1%   16.0%   24.3%   35.4% 
 15〜64歳   61.6%   63.8%   69.5%   67.7%   59.7% 
 65歳以上   25.6%   23.0%   14.6%   7.9%   4.9% 

子どもは可愛い


泣いても可愛い

■ 出生数の推移
 内閣府「平成26年版少子化社会対策白書」から、年間の出生数を見ますと、第1次ベビーブーム期(1947〜1949年=団塊の世代)には約270万人、第2次ベビーブーム期(1971〜1974年)には約200万人でしたが、1975年に200万人を割り込み、1984年には150万人を割り込みました。1991年以降は増加と減少を繰り返しながら、緩やかな減少傾向となっており、2014年の出生数は、約100万人と推計されています。

■ 少子化社会対策
 こうした状況の中、2015年3月、総合的かつ長期的な少子化に対処するための指針として、「少子化社会対策大綱」が閣議決定されました。大綱では、「少子化は、個人・地域・企業・国家に至るまで、多大な影響を及ぼす」としており、「現在の少子化の状況は、我が国の社会経済の根幹を揺るがしかねない危機的状況にある」としています。
 少子化社会は、個人にとっては「結婚や出産を希望しても、実現が困難な社会」であり、地域・企業・国家にとっては「地域・社会の担い手の減少、現役世代の負担増加、経済や市場の規模の縮小や経済成長率の低下など」を招くという問題意識が提示されています。大綱では、「少子化は、決して解決不可能な課題ではない」として、少子化への対策に直ちに集中して取り組むとしています。主な施策の1つである「男女の働き方改革(ワークライフバランス)」の数値目標をみてみると、男性の配偶者の出産直後の休暇取得率を80%(新規目標)、男性の育児休業取得率を2.03%から13%、第1子出産前後の女性の継続就業率を38%から55%にするとなっています。また、「子育て支援」では、認可保育所等の定員を234万人から267万人として待機児童の解消をめざすことや、地域子育て拠点事業を6,233か所から8,000か所にすることなどが掲げられています。少子化に対して、働く人や企業の意識改革、社会保障や税制の見直しなど、さまざまな場面での取り組みが求められているようです。

■ 一貫して男が減少し続けています
 日本国内の人口は、2007年(1億2,777万人)をピークに減少へと転じています。また、男女比率では、男性の比率が徐々に減少しています。問題は、人口の構成比が変化することにあります。ヒトの出生性比は、女児100に対し男児105です。地域や時代にかかわらず、男児の方が多く生まれます。こどもを産めるのは女性だけですから、人口が減っていくので女性を増やそうとする人類の摂理ではありません。誕生する子どもの男女比は一定なのに、総人口に占める女性の比率が増えて行くのは、男性の寿命の伸びより女性の寿命の伸びが大きく、高齢女性が増えているためです。
 右図を見ますと、今後の人口減少は、過去の人口増加よりややペースは遅いようです。

日本国内の人口推移(予測)

■ 人口減少は果たして悪いことか
 将来推計人口でみる50年後の日本(内閣府・平成24年版高齢社会白書)によりますと、日本の総人口は、今後、長期の人口減少過程に入り、2026年に人口1億2,000万人を下回った後も減少を続け、2048年には1億人を割って9,913万人となり、2060年には8,674万人になると推計されています。
 問題は働けない高齢者比率が増し、生産年齢人口が減ることです。高齢者を支えるために現役世代が貧しくなる恐れがあります。
 しかしながら、世界各国で爆発的に人口が増えて、食糧危機が生まれ、エネルギー消費が増えて地球が温暖化し、砂漠化が進行して、ますます食糧生産が困難になりつつありますから、本来人口が減るのは当然なのです。したがって日本の現状は世界を先取りしていると言えるでしょう。アジア、アフリカは日本を見習うべきです。

■ 口減らし「楢山節考」
 日本国政府が少子化対策を叫ぶのは、現役世代の負担が増加し、経済や市場規模が縮小して経済成長率の低下を招くから、という理由です。しかし、食っていけなければ個体数が減少するのは動物界では自然なことです。深沢七郎の短編「楢山節考」は、棄老伝説すなわち「姥捨伝説」を描いた作品ですが、実は肝臓癌を患った作者の実母・さとじが「自分自らの意思で死におもむくために餓死しようとしている」壮絶な死に重ねて書いた作品だとされています。深沢七郎自身が後年語ったように、この小説の舞台は、信州の「姥捨山」すなわち冠着山ではなく、甲州すなわち山梨県の境川村、現在の笛吹市に伝わる伝説なのだそうです。働けなくなった老人が、食い扶持を減らすために自らの意思で死を選ぶ、親孝行の息子が、涙ながらに背負って山へ向かうという話ですが、筆者がこどもの頃は老人が林の中で木の枝にロープを掛けてぶら下がっていたり、冬の冷たい川に身を投げて下流で発見されるということは良くありました。「なじょすて死んだべ?」と語り合っている大人たちの会話を今でも覚えています。食い扶持を減らすためではなく、病気を悲観してということではなかったかと想像します。
 介護施設がある現代では、死ぬに死ねない社会になっています。経済や市場規模が縮小して何が悪いでしょうか?経済成長率が低下して何が悪いでしょうか?大企業の立場から見れば悪いかもしれませんが、個人から見れば、幸せに暮らしていられればそれで十分です。

■ 島国ニッポンのグローバル化?移民受け入れは?
 近年はグローバリゼーションが叫ばれます。大企業はドンドン海外進出し、世界の隅々まで日本人が行っています。この考え方の根幹は米国から到来したものです。これに情報化が密着して、国際の際(キワ)が取り除かれる、ボーダレス社会が出現しつつあります。市場原理主義が蔓延し、急速に格差社会ができつつあります。日本では労働力人口が減り、移民の受け入れが課題となっています。島国ニッポンは海に囲まれているために独特の文化が生まれ、島国根性ではありますが、世界でも稀な協働の社会が形成されました。ここに移民を受け入れたらどうなるでしょう?ヨーロッパの現状を見れば明らかです。移民達は、古くからの現地民族に溶け込めず、差別されていると怒って犯罪の温床になっています。前はトルコ人、今は特にイスラムの人たちです。大陸のヨーロッパでさえそうですから、独特の言葉、独特の文化の日本ではもっと移民たちは溶け込めないでしょう。大東亜戦争の頃の、日本人の朝鮮人差別の歴史を見れば明らかです。民族差別という意味ではなく、社会や文化というものはそういうものです。実際、かなりグローバル化された現代日本はどうなったでしょう?家には鍵をかけるようになりました。殺人事件など日常茶飯事になりました。もっともっとオープンな社会に、というのは間違いです。規模の拡大や成長を求める時代は終わったのです。
(2015年5月6日)


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