70  グループホーム

 またもや少年野球が雨で中止です。23年も小学生と野球をやってますが、コレだけ立て続けに試合が中止になるのは、記憶にありません。単に忘れただけかも(^-^) ずっと雨なわけではなく、休日に雨、それも午前だけ、午後からだけなど、巡り合わせが悪いと言えます。そうしている間に台風が発生しました。
 痛風での右足親指の付け根の腫れはなかなか引きません。痛み止めを飲んでいます。さすがにこのままではダメと考えて、酒を飲まない日々・・・痛みとの天秤で考えれば、仕方ありません。

■ 徘徊する認知症老人
 埼玉県狭山市で1996年10月身元が分からないまま約18年間にわたり狭山市柏原の特別養護老人ホーム「さやま苑」で保護されている男性が、東京都渋谷区で行方不明になった「野村正吉」さんの可能性が高いことが分かったというニュースが報じられました。埼玉県の上田清司知事は定例会見で、「ほぼ家族と思われる方との接触が可能になった」としながら、「(家族から)しばらく伏せておいてほしいという話が出ている」と慎重に対応する方針です。
 男性が生活している狭山市の老人ホームの施設長は「ご家族に会えれば、それはそれでいいが、個人的にはこのままでもいいのかなと思っている。名乗り出た方が親や兄弟だとしたら高齢。男性のことを考えると、生活の拠点はこのままで、定期的に会いに来てもらう方がいいのではないか」と話しているそうです。この男性は認知症で、保護された当時は60歳前後で、「ノムラショウキチ」と名乗っていたそうです。埼玉県の調査により、ノムラさんが保護されていることが報じられた後、県には県内外から31件の問い合わせがあり、そのうち東京都内からの1件がノムラさんの親族を名乗っており、「有力な情報の一つ」と見られています。
 こういう徘徊老人が行方不明になって保護され、施設は家族を探し、家族は行方不明者を警察に届けて探していますがマッチングしないというケースが多いようです。

ノウゼンカズラ

■ ホーム・スイートホーム
 このような認知症老人の問題は、高齢化社会になって大変大きな問題になっています。介護問題がクローズアップされたときに、徘徊老人と家族の苦労は大きな社会問題になりましたが、東京・渋谷の中小企業の経営者達がこれを採り上げた映画を作りました。この映画は、市民による、市民の手造りの映画です。2000年、東京都中小企業家同友会の有志の出資により、製作会社「有限会社シネマエンジェル」が設立されました。スポンサー調達、プロデュース、広報、営業、配給、上映の手配などすべてが、素人の市民によって進められました。製作費については「市民ファンド」により調達、高齢者問題をテーマにしている映画では大手映画会社の配給網に相手にされないことから、全国上映については、「デイ・プロモーター方式」と銘打った、自主配給・自主上映方式が導入されました(一部の大都市圏では単館上映)。もう13年も経っているのですが、まさに時代を先取りした映画だったという感じです。この映画は、いまだに全国各地で上映されています。

■ 痴呆性老人を期間限定「爺捨て」
 この物語は、痴呆性老人となってしまったあるオペラ歌手とその家族をめぐる心温まる「もうひとつの家族の物語」です。主人公の山下宏(75歳・神山繁)はかつて日本屈指のオペラ歌手でしたが、軽い痴呆性老人となってからは、楽しみは隅田川河畔で一人オペラを演じることでした。ある日を境に、「徘徊癖」が始まり家族はてんてこまい。その上、長男の山下太郎(50歳:小林稔侍)の寿司屋の営業中にオペラを歌い出すので、客はびっくり。とうとうキレてしまった太郎は、取っ組み合いの末、階段から突き飛ばされて大怪我を負い、主がいなくなった菊寿司の営業は当然困ったことに・・・。途方にくれる妻・菊子(49歳:風吹ジュン)にとって頼りになるのは長女の松子(28歳:喜多嶋舞)でした。しかしその夫・史郎も銀行のリストラに遭い、親子三人が引越して来る始末・・・。困り果てた松子は宏を、次女でピアニストの和代(22歳:酒井美紀)にたらい回し。しかし宏は和代のピアノ教室の生徒達を怒鳴り散らす事も度々で、コンクールを控えている和代もお手上げ状態。もう勘弁してほしいと菊子に直談判。松子は長女としてある決断をし、深夜、宏を菊寿司のライトバンに乗せ東北自動車道をひた走り、新聞記事にあった岩手県のグループホーム「おばんでがんす」と看板の掛かった民家の前に宏を置き去りにします・・・東北の朝は寒い。宏は一通の手紙を持たされていました。「おじいちゃんを預かってください。おじいちゃんがいると、我が家は全滅、このままでは家族崩壊です」「必ず迎えに来ます。二ヶ月間だけお願いします」・・・「捨てられたんだ、このじさま」、「赤ん坊捨てる話は、昔あったども」・・・「おばんでがんす」は城山昌子(59歳:横山道乃)が所長で、彼女の姪が職員として四人のおばあさん達と一緒に共同生活しているところです。みんなはすっかり呆れ果て「じさまの名前もわかんねえけ?」

■ 人の命はやさしく、人の絆はあたたかい・・・
 とりあえず、グループホームに居候することになった宏ですが、正体不明の老人への対応がかなり冷たいのは当然です。数日後、意識不明となった入院中の安子(68歳)のベッド脇で宏が朗々と歌い出します。その美声を聞いた一同はびっくり。ただ者ではない老人の正体が、実は日本を代表するオペラ歌手と分かり、大さわぎとなります。
 穏やかだった女たちの園に変化が現れてきます。期間限定付で、「爺捨て」されてしまった宏ですが、頼まれるままに歌の指導をやっているうちに、驚くことに呆けが治りはじめたではありませんか!壮麗な岩手山、岩手の自然もその一助になったと思われます。
 ある日、「おばんでがんす」の玄関に和代が一人で現れます。事の顛末を聞き、引き取りにきたのですが、和代は老人達に罵倒されます。「コノ罰当たり」、「親不孝モノ」、「人でなし」・・・心無い言葉を全身に浴びるしかない和代。「おじいちゃんは返さないよ」、「岩手山にも登って、だんだん呆けも治ってきた」、「もう少しうちで預かります」・・・そこには皆から愛されて、のびのびと暮らす宏の姿がありました。

■ 誰にでも帰りたい家がある
 すっかり打ちのめされて戻ってきた和代から宏の様子を知らされた山下家の一同は、和代の意外な一言に慌てます。「私、ピアノをやめる。グループホームを作ることに決めた」。和代は、グループホームのすばらしさに感動し、自分も「おばんでがんす」の隣に「おはようさん」というおじいさんのグループホームを作ろうと決心したのです。彼女は所長さんにたずねました。「どうやったら作ることができるんですか?」所長さんは何事もないかのようにこういいます。「なんも難しいことはない」、「ただ、ちょこっとじいさん、ばあさんが好きなだけ」、「世話をするって考えちゃ駄目、みんな自立してるんだから、その手助けをしているだけ」、その言葉が印象的でした。怪我で車椅子生活となった太郎も障害者になって初めて人の痛みや、一本の手のありがたさがわかり 一緒にグループホームを作ることを決心します。
 しかし、うまくいきかけた「おばんでがんす」の人間関係も、宏がいきなりピアノを買い込んだあたりからギクシャクし始めます。「老いらくの恋」と嫉妬もからみ、事態は思わぬ方向に進んで行くのです・・・。ラストシーンはそのグループホーム「おばんでがんす」のテラスにピアノを置き、 ピアニストである孫の和代が伴奏し、おじいさんが朗々とオペラを歌います。ホームの人たちは拍手喝采します。映画の中で何度となく流れ、感動のラストを飾るオペラ曲は、♪オンブラ・マイ・フ です。

孫です

■ 新しい家族像が・・・
 グループホーム「おばんでがんす」を舞台に心やさしき日本人たちとのふれあいと再生のドラマが展開します。そして感動のラスト、新しい家族像が私たちの前に示されるのです。グループホーム(高齢者共同生活型住宅)と言うのは、身の回りの事が自分で出来る、おおむね60歳以上の人たちが、各自のプライバシーを守りながら協力し合い、助け合い、孤独にならず、寝たきりにならない老後を目指しながら共同生活する住居です。「老人は孫や子どもに囲まれて暮らすのが幸せ」というのは過去の話、この映画の中に出てくるおばあさんたちは元気いっぱいで、共同で畑を耕し、野菜を作り、炊事、洗濯、掃除をし、余暇は歌を歌い、本当に楽しそうです。子供や孫と暮らせない寂しさとか、わびしさは微塵も伝わってはきません。気の合った仲間と、わいわい言いながら何の気兼ねもせずに暮らしています。これって良いな〜、楽しそうだな〜と思いました。子供と一緒でも厄介がられるような老後はいやですよね。新しい家族のあり方と言う点でも興味がつきません。

■ 雄大な岩手山を仰ぐ自然・・・岩手県岩手郡岩手町
 昭和30年代当時を生きた人々にとっては、まだまだ貧しさの残る中で、都市は過密、公害、地方は過疎と、急速に社会環境が悪化した時代であり、決してすべてがバラ色の時代ではありませんでした。今この映画を見ると高度経済成長の過程で日本人が失ってきた、日本人らしい濃密な人情や温かさ、生真面目さに溢れています。集団就職で都会に向かった次男坊、三男坊たちが、結婚してアパートや公団住宅に住んで、核家族を構成しました。田舎での3世代同居のような大家族は失われました。でも、ヒトは共同生活することで、新しい家族になれるのです。
 パンフレットの岩手山は、筆者のふるさと雫石町の小岩井農場からの岩手山ですが、グループホーム「おばんでがんす」のある岩手県岩手郡岩手町は岩手山の北なので、雫石町とは岩手山を挟んで反対側です。岩手町から見た岩手山は逆に見えます。左側が富士山と同じ形なのです。岩手県岩手郡岩手町は日本で唯一、県郡町村に同じ地名を冠した町です。以前は群馬県群馬郡群馬町もありましたが、市町村合併で無くなりました。岩手町役場も、この映画の制作に協力しました。2000年5月に現地ロケが行われました。

(2014年7月5日)


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