41  晩秋〜初冬

 12月になりました。今年もあと1ヶ月です。この時期を象徴するのは・・・?そう、紅葉であり、落ち葉ですね。今週はそんな雰囲気の話題から・・・・
      ♪落ち葉の舞い散る停車場は、悲しい女の吹き溜まり、だから今日も1人、明日も1人、過去から逃げてくる♪
奥村チヨのヒット曲で「終着駅」という歌です。世代がわかる(^_^) きれいに色づいた落ち葉が風に舞い、足元に積もった落ち葉がカサカサと乾いた音を立てる。過去に決別して歩き出す女は、乾いた風の中を、うつむきながらコートの襟を立てて、コツコツとヒールの音を残して行くのでしょう。
 イブ・モンタンが歌ったシャンソン「枯葉」が思い浮かびます。世代がわかる(^_^) 街路樹と枯れ葉はパリの代名詞です。パリと言えば花の都。春に街路を花で飾り、夏、涼しい葉陰を落とし、秋、枯れ葉となって道行く恋人たちの足元でさざめく。パリ市内の街路樹は8万9000本。毎年9〜12月の間、枯れ葉が舞います。街中を流れるセーヌ川、芸術の都であり、有名なルーブル美術館があります。「新聞くれ」のようなフランス語を窓口で言って地下鉄の回数券カルネを買って歩き回る・・・・。モンパルナスのカフェでコーヒーを飲んで、フレンチカンカンの発祥の地、ムーラン・ルージュの踊り子を見て、存分にショーを楽しんだときからもう22年、あのころは若かったなぁ。ベルギーのアントワープからベルリン、ミュンヘン、パリ、ロンドンを回ったときはまさに晩秋〜初冬でした。

北海道大学の銀杏並木

■アイソン彗星落つ
 ハレー彗星と異なり、一生一度の大接近、「世紀の彗星」になるのではと注目を集めたアイソン彗星が、太陽に最接近する際に、ばらばらに崩壊して蒸発したとみられると、米航空宇宙局(NASA)が発表しました。12月上旬には長い尾が肉眼で見えるかもしれないと期待され、テレビでは特集が組まれ、ANAは観測の飛行機を飛ばし・・・・、と、まあいろいろビジネスにもなりかかっていましたが、そもそも氷の塊ですから、あのキョウレツ、フレアビンビンの太陽にあんなに近づいて、ビョヨヨヨ〜〜〜ンと去って行くなんて、科学的思考の筆者から見るとアリエナイと思っていました。現実はやはり厳しかったわけですが、核の残存部は小さくなったものの本当にビョヨヨヨ〜〜〜ンと遠い宇宙の彼方に飛んで行ったみたいですよ(>_<)

■堤清二氏逝去
 アイソン彗星は完全消滅しなかったみたいですが、堤清二さんはなくなりました。素晴らしい方でしたが残念です。経営者でありながら文化人でもありました。ひとつの時代が終わった感がありますね。筆者のメインは永久不滅ポイントのセゾンカードです。

■オイル価格は下がる
 これからオイルは安くなって行くでしょう。ただし円安進行で、日本の石油元売は値上げを目論んでいます。円高が進行したときは、それを理由に安くしませんでした。コスモ石油以外は莫大な利益をあげているのに・・・。長い眼で見ればオイルはやや安くなるでしょうが、化石資源ですから大きく下がることはありません。イランの核開発問題を巡り、イランが欧米など6カ国と歴史的な合意に達したことで、中東におけるパワーバランスが、相次ぐ反政府デモで弱体化したアラブ諸国から、イランへと大きく傾く可能性があります。イランへの経済制裁が解除されて、イランからの石油輸出が再開される可能性が出てきました。イランと敵対してきたアラブ諸国、そして自国の存在を脅かす存在とみなすイスラエルにとっては、米国への説得が失敗に終わったことを意味します。サウジアラビアを筆頭とする湾岸諸国の多くは、米国の対イラン関係改善の狙いはビジネスにあると考えているでしょう。それはそうです。イランには英米の石油企業に巨額の利益をもたらす可能性があるインフラ再建需要があります。元来イランもイラクも日本とはとても仲の良い国でした。日本にも以前はイランやイラクから来た人たちがたくさん居ましたよね?今は中国人だらけになりましたが、イランやイラクの人たちは力持ちで、心の優しい人たちというのが日本人から見た印象でした。ところがブッシュ大統領のイラク侵攻、それを支持した小泉純一郎の過ちによってこの中東アジア地域は滅茶苦茶なことになりました。今、オバマ大統領がその修復を図っているというのが真相です。

■イスラムの宗派対立
 イスラム教を信仰する人たちは、決まった時間になるとゴザみたいなものを敷いて、磁石を取り出し、エルサレムの方角に向かって何やら祈ります。信仰のために自爆テロも厭わない人たちはスゴイ。神様を自分のご利益(りやく)のために利用する日本人には考えられないことですし、キリスト教やイスラム教の信者から見ればそんな日本人は侮蔑の目で見られます。その代わり日本では宗派による対立がそんなにありません。ところでイランはシーア派が多く、湾岸諸国はスンニ派と言われます。イスラム世界で「スンニ派とシーア派の対立」というニュースがよくありますよね。なぜ対立するようになったのでしょうか?

■スンニ派とシーア派って?
 ムハンマドが亡くなった後、信者たちは集団の中で一番信頼できる人物を後継者として選びました。これを「カリフ」と呼びます。カリフは「預言者の代理人」という意味です。2代目カリフ、3代目カリフと続いていったのですが、「『従弟で娘婿のアリーこそが後継者だ』とムハンマドは言っていた」と言う人たちが現れます。そこから対立が始まるのですが、4代目カリフにアリーが選ばれて、ひとまず対立は収まります。
 しかし、「ムハンマドの血筋を引く者こそがカリフにふさわしい」と考える人たちは、アリーの息子たちにつき従うようになります。そしてアリーを初代の「イマーム」と呼ぶようになります。イマームとは「きちんとした教えを伝えていく指導者」という意味です。そして、アリーの息子たちが2代目イマーム、3代目イマームとなっていきます。この信者たちが「アリーのシーア」と呼ばれるようになります。シーアは「党派」という意味ですから、「シーア派」と呼ぶのは間違いで、本来は「アリー派」なのですが、日本のマスコミは何故か「シーア派」と名付けました。
 一方、「血筋に関係なく、コーランやハディース(ムハンマドの言行録)に書いてあることや、イスラムの慣習(これをスンナと言います)を守っていくことが大事だ」と考える人たちは、別のカリフを選びます。この人たちが「スンナ派」と呼ばれるようになります。なぜか日本のマスコミは、スンナの形容詞形のスンニを使って「スンニ派」と呼んでいますが、本来は「スンナ派」と言うべきなんですね。

■シリア内戦の裏にあるもの
 アラブ世界はスンニ派の人が多い(9割)のですが、イランはシーア派が主流です。しかもイランはアラブ人ではなく、ペルシャ人で、母語もペルシャ語です。しかし民族が違ってもシーア派は広がっていったため、イラクの東半分ぐらいもシーア派が主流ですし、サウジアラビアの南の一部やバーレーンにもシーア派が多数います。シリアのアサド大統領にとっては、イランの台頭は心強いはずです。スンニ派の反政府勢力のバックに湾岸諸国が居て、ここから武器が供与されています。日本の報道ではアサド大統領が悪者になっていて、そのバックに中国やロシアが居て、反政府側をアメリカやフランスが支援しているかのように言われていますが、そんな単純なものではありません。英国議会が介入に待ったをかけたのは、どちらに味方しても血が流れるだけだからです。ブッシュの過ちを過去支持した愚を再び犯すな、というイギリス人の良識は流石です。一方アメリカやフランスの本音は経済的な権益です。ニュースは裏を読まなければなりません。

■石油があるところにシーア派
 イスラムの世界ではスンニ派が圧倒的多数です。例えば今、日本企業が最も進出したがっている国はインドネシアですが、この日本の2倍の人口を持つ火山国もスンニ派の国です。ただ彼らはスンニとかシーアとかまるで意識していないでしょう。なぜかシーア派の人たちは、石油資源が豊富なところに大勢います。これをシーア派の人たちは、「神様が我々のために石油をくださったのだ」という言い方をしますが、この石油のために、スンニ派とシーア派の対立が生まれやすくなっているのです。実はイスラム世界のスンニ派とシーア派の対立というのは、宗教的な対立というよりは、「この土地は誰のものか」「この石油は誰のものか」という争いが多いのです。単純な宗教対立とは違います。ニュースは裏を読まなければなりません。

■きなくさくなってきた東シナ海
 中国の防空識別圏設定で日米との対立がニュースとなってきています。日本も米国も毅然とした態度をとっているために中国もあまり強く出られないというのが現状ですが、近年の尖閣問題から日中の対立が鮮明になり、中国国内での反日暴動などで、お互いの国民の感情が対立的になってきているのを憂慮します。
 政経分離とはいうものの、日本の企業も対中進出には慎重になり、今や日本企業の関心度は1位:インドネシア、2位:インド、3位:タイで、中国は4位まで下がってきました。すでに日中経済関係は切っても切れないほど深くなっており、お互いに相手無しではいられない状態にあります。更に本音を言えば、縮小一方の日本国内市場に比べ、巨大な中国市場は日本企業にとっては魅力なのです。だからこそきなくさくなっては困るのですが、九州、韓国、中国東岸、台湾、沖縄に囲まれた東シナ海(日本での呼称)で領土争いが起きるようになったのはガス田が見つかって以来です。もともとこの海は豊富な漁場でしたが、日本漁船による乱獲で資源が激減しました。今や争いの種は魚ではなくガスです。問題となっているガス田は、両国の排他的経済水域内にあり、日本はその権益の範囲を現在国際的に一般的な日中中間線(ちょうどガス田がコレに沿って存在)とするのに対し、中国は1970年代頃までの国際法上の解釈に基づく大陸棚の先端・・・沖縄トラフまでを主張しています。参考→東シナ海ガス田問題(Wikipedia) 今回の防空識別圏はまさにこの沖縄トラフまでなのです。中国海軍と日本の海上自衛隊、海上保安庁艦船のにらみ合いが続いて、一触即発の状態になっています。
杜の都・仙台の銀杏並木

■ヤバイ南シナ海のにらみあい
 「シナ」という言い方は、過去の大日本帝国時代を想起させるということで、日本では右翼が好んで使います。筆者などは、シナそばが旨かったなぁ〜という程度の食いしん坊ですが(^_^) 韓国では済州島の南を東中国海と呼びます。今回の防空識別圏設定に関しては韓国も中国に抗議していますが、中国はこれを一蹴しています。韓国は昔から中国に侵略されてきた歴史の国ですから、地続きの中国に対しては強く出られないのですが、四方を海に囲まれた日本は、元寇でピンチもありましたが、神風によって救われて、基本的に中国何するものぞ、という気概があります。これが日韓の明確な違いです。
 近年の中国海軍の武力による領海拡充姿勢は目に余るものがあります。いずれ触れますが、中国の南シナ海支配構想は、フィリピン、インドネシア、ブルネイ、ベトナムのすぐ近くまで、みんなオレのもの、といった感じ、大中華圏という意味からすればそうなんでしょう。1974年1月に、西沙諸島の領有権を巡って中華人民共和国とベトナム共和国(南ベトナム)が交戦し、西沙諸島の戦いが勃発しました。この戦争に勝利した中国は西沙諸島を領有しました。更に中国は、ベトナムが実効支配していたスプラトリー諸島(中国名:南沙諸島)に侵攻し、1988年3月の海戦により中華人民共和国がこれの一部を武力奪取しました。ミスチーフ礁(英:Mischief Reef)はフィリピンの排他的経済水域(EEZ)内でフィリピンが実効支配していましたが、1995年にフィリピン海軍がモンスーン期でパトロールをしていない時に中華人民共和国が浅瀬に建築物を建造し、そのまま実効支配しています。今や中国海軍は、北部ルソン島沖、南シナ海のスカボロー礁(中国名:黄岩島、三角形の輪の形をしています)に、コンクリートブロックを設置して、フィリピン国防省とのにらみあいが続いています。フィリピンはかつてのスービック米軍基地などから米軍を追い出してしまったために、米軍は沖縄に集結しました。これを見て中国海軍が出てきたのです。アキノ大統領は、日米に助けてもらいたいと言っています。ベトナムもインドネシアも願いは同じで、日米と組んで中国に対抗したいと思っています。

岩手大学工学部の銀杏

■特定秘密を保護することが何故ヤバイのか?
 特定秘密保護法案の国会審議はヤバイですね。民主党衆院議員の岡田克也氏が「ズバリ直球」というブログに書いていたことに共感しました。「特定秘密」が存在することや秘密保護強化の必要性は否定しないが、秘密の範囲や期間は極力限定すべきだというのです。政府は放っておくと、どんどん秘密を増やし、最後には民主的統制が及ばなくなってしまう。だからこそ、「情報公開」「公文書管理」「一定期間経過後の公開」が重要であり、秘密の厳密な定義や第三者機関による権限あるチェックの仕組みが不可欠なのだ、という主張です。あまり好きな政治家でもありませんが、菅とか鳩山は論外として、枝野とか安住に比べればまともだし、前原みたいにパフォーマンスもしませんから、民主党ではもっともまともな人です。何より、民主党政権時代に外相として、外交密約の問題に取り組んで、歴代首相が都合の悪いことには国会でもウソをついてきたことを明らかにした上、西山事件の本質を暴いたのを見て、この人は信念の政治家だな、と大いに感服したものです。

京都のもみじ
 みんなの党もこの法案に対する対応で、滑稽なばかりに本質を露呈しました。何よりこの法案は、国民の視点が欠如していて、国家の視点ばかりが強調されています。ヤバイということのエッセンスをあなたはわかっていますか?
 世界中で争いが勃発してきな臭くなってきました。それは第2次世界大戦終結からおよそ70年、当時を知る人がほぼ亡くなって、抑止力が失われてきているからでしょう。したがって憲法を改定して国防を強化しよう、そうなったときに機密を漏洩したりするやからは取り締まらなければならない、それが安部政権の現在進めていることです。国民はアベノミクスに期待して、第3の矢の成功を願っていたのに、今やそれはどこかに行ってしまいました。安部首相が今やるべきことは経済の建て直しです。このままで行くと国民の失望売りを浴びせかけられてアイソン彗星になってしまいます。

■天皇・皇后両陛下のインドご訪問
 天皇、皇后両陛下はインド公式訪問のため政府専用機で羽田空港を出発し、11月30日午後(日本時間同日夜)、ニューデリーのパラム空軍基地に到着されました。2012年、日印国交樹立60周年を迎えたことを記念し、インド側が国賓として招待しました。両陛下の公式訪問は皇太子夫妻時代の1960年以来、53年ぶりで、歴代天皇の訪問は初めてとのことです。12月6日に帰国されます。基地ではシン首相らが出迎えましたが、外務省によりますと、首相の出迎えは異例で、インドにとって今年最大の歓迎だそうです。インドも中国との紛争があり、日本と仲良くしたい国です。天皇陛下が果たされる役割はきわめて重いものです。ご苦労様です。
(2013年12月1日)


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