30 航空機産業に期待
日本の製造業はどんどん国内生産を諦め、海外へと移転しています。そのために海外の生産拠点へと転勤したり出張する日本人社員が増加し、いまや製造業経営者の最大のテーマは「グローバル化対応」となっています。社員にTOEIC点数アップを義務付けたり、外国語教育に投資したり、現在の経営者たちがあまり経験してこなかった分野での対応を迫られている状況です。グローバルと言えば、国の際を超えることです。そのときに重要になるのが、@移動手段、A貿易するときの通貨の為替レート、Bコミュニケーションするときの言語です。 ■政府債務残高の推移 毎日新聞の2013年9月11日朝刊に出ていたこと、@主要5ヶ国の政府債務残高の推移、A新興国通貨が対米ドルで安くなっていること、の2点です。
■国民が悪い、国民の意識が低い・・・だから リーマンショック以降の伸びは、日本と英国が同じような傾向でしたが、英国は2011年以降抑えています。ドイツは完全に頭打ちさせています。日本はまことにヤバイ状況です。しかも現在の国策は、まったく緊縮を考えておりません。破綻の滝へまっしぐら、ハッと気付いたときには真っ逆さまに滝つぼへ落ちて行く、というところです。こんなにヤバイ状況なのに、相変わらず国民は国に依存する体質が変わっておりません。ニッポンが破綻した時、最大の債務国である米国は借金がドンと減ります。NHKなどはたびたび特集で警告の番組を組んでいますが、その他のマスコミはあまり騒ぎません。ドイツのように、国民に状況を開示して、理解を求めるようなデータのオープン化を政府が進めるべきです。米国のように、借金が一定以上になることを法律で抑える仕組みも必要です。日本のような全く縛りの無い青天井/底なしバケツのシステムは、国民が悪い、国民の意識が低いと言うしかありません。 ■新興国通貨安が進行
■もういちど国産航空機を 日本製造業は川下の加工組立産業では、今自動車産業が隆盛ですが、家電や半導体は見る影も無く衰微してしまいました。今後の有望分野は航空機産業だと見ています。何故なら、冒頭述べたようなグローバル化に当たり、移動手段は航空機だからです。もともと日本は戦争のための航空機製造技術を持っていました。三菱重工業、川崎重工業、富士重工業などの祖先は航空機を作っていました。戦後日本は米国によって航空機の製造を禁止され、解禁されてから「輸送機設計研究協会」という戦中の設計者の集まりで双発ターボプロップ機を開発、製造しました。ゼロ戦の設計者・堀越二郎(三菱重工業)や隼の太田稔(富士重工業)、紫電改の菊原静男(新明和工業)、飛燕の土井武夫(川崎重工業)など、そうそうたるメンバーが集まりました。堀越二郎は、群馬県藤岡市の生まれで、今話題の宮崎駿監督の『風立ちぬ』の主人公です。 ■YS-11の登場と挫折 輸送機設計の頭文字をとって、YS-11というプロペラ機が開発されました。ところが戦闘用の飛行機を作った人たちですから、騒音と振動にはあまり頓着せず、旅客機に必須の静粛性で大問題、操縦性も悪く、大改修を余儀なくされて、世に出るまでには計画より大幅遅延の有様でした。1964年9月に2号機が東京オリンピックの聖火を全国に空輸して、日本の航空機製造復活を国民に印象付けました。 しかし、日本航空機製造株式会社は国内各社の寄せ集めだったことや、役人の天下りが増えて、販売面やコスト面で様々な失態、例えば原価割れ販売やずさんな契約、リベートなどで、経営は行き詰まり、遂に解散となりました。 ■YSXも挫折 YS-11の後継機として期待されたYSXも、ボーイングとの関係や、日本のバブル崩壊などもあって二転三転、結局挫折しました。この間ボーイングや欧州エアバス等の大型機の下位で需要が高まったリージョナル機でカナダのボンバルディアやブラジルのエンブラエルが大きく伸びてきました。日本では遂にYSXが挫折し、民間主体のMRJの開発が始まりました。2008年3月末に事業化が発表され、2011年に初飛行、2012年に運行開始と発表されました。 ■三菱リージョナルジェット(MRJ)納入に遅れ
■先行する競合会社がMRJの前に立ちはだかる
■ボーイング787生産拡大 一方、中型ジェット旅客機ボーイング787は、やはり省エネ性能が世界各国の航空会社の人気を集めて、受注が殺到していましたが、機体の軽量化などのために炭素繊維を採用した他、随所に革新的な技術を採用したために、思いも寄らぬトラブルが続出し、これまた大幅な計画遅延を余儀なくされました。やっと就航したと思ったら、リチウム電池のバッテリーユニットから出火、それが日本のGSユアサ製だったものだから大騒ぎ、やっと改良が終わって運航再開しましたが、そしたらまた早く納入してくれと大騒ぎ、日本では三菱重工業、川崎重工業、富士重工業が機体の一部を生産しているほか、数十社が部品を納入しています。なにしろ日本の分担割合は35%、ボーイング社本体と同じぐらいです。中部国際空港には機体を受け取り、最終組み立て地に運ぶための専用機が連日飛来しています。先の重工3社も、増産に向けて工場整備に大わらわです。こんなに受注が多いのは、燃料価格が高騰して、どうやらもう下がりそうにないため、現在保有している航空機を1日も早く更新したいという航空各社のニーズがあるからです。 ■HondaJet量産機初飛行成功
■本田宗一郎の夢 筆者が乗っているホンダのオートバイのウイングマークは、創業者の本田宗一郎が抱いていた、「いつかは空へ羽ばたきたい」という願いを込めて採用されたものだそうです。ホンダは、1962年(昭和37年)に本田宗一郎が航空機事業への参入を宣言し、40年後の2003年には小型ビジネスジェット機HondaJetの試験飛行に成功しています。HondaJetの特徴は右下写真のように、エンジンが主翼の上に飛び出て載っている独特の形です。これによって車室空間が広く取れます。そしてデザインの美しさ、高速で飛べる鳥を思わせる機体、やはり美しいものは人気が出ます。400万ドルを越える価格なのに予約が殺到するわけです。しかし、航空機は何より安全第一ですから、規定されたすべての試験で合格する必要があります。加えてサービス体制の整備・充実が求められます。したがって試験飛行から10年たった今でもまだこれらの作業が続いているわけです。 ■HondaJet各種試験〜型式認定〜アフターサービス体制整備
|
(2013年9月16日) |