19  宮古の今は?


 今もっとも植物にとって生き生きとした時期です。その中でも盛んに咲いているのが紫陽花(アジサイ)とノウゼンカズラです。梅雨の時期に雫と共にキラキラ輝くアジサイ、こぼれるほどに咲きこぼれる朱色のノウゼンカズラ、生命の輝きです

 昨週は6月18日に昨月まで部下だった人が急死して、バタバタしてこのEssayはお休みしました。42歳の早過ぎる死・・・出社しないので様子を見に行った社員が異変に気付いて警察に連絡して発見・・・何と言う悲しい出来事か・・・。会社の人たちがすぐさま動いて、ご両親が翌日熊野古道の実家より駆けつけました。大宮駅で出迎えて、まずは昼食、しかし、食欲などあるわけがありません。火葬して、ご両親が骨壷を抱えて帰られるまでの足掛け3日間、会社として精一杯の対応をしてくれました。退任したばかりですが、故人とはこの前まで一緒でした。逆縁はなんという辛い出来事か、ご両親のお気持ちはいかばかりか、痛いほどその悲しみが伝わってきます。そういうときに言葉は出ません。
 毎日我が家の仏壇に線香を手向けています。心臓に危険があると診断されていて、病院へ行くように言っていました。周りの皆が説得していました。しかし、まさかの出来事が起きてしまいました。
 後から考えると悔やまれてなりません。こんなことなら首に縄つけても引張って行くべきだったか?しかし・・・後悔先に立たず。地元に帰っての葬儀から、アパートの片付け、さまざまな残務処理、会社として出来得る精一杯の対応をしてくれたことに、頭が下がると共に、誠心誠意が心に沁みました。


我が家の仏壇

■宮古市の復興度合やいかに?
 さて6月第3週の週末は、車でぐるっと東北巡り、その翌週末は盛岡市、宮古市、雫石町、盛岡市と回って来ました。2週連続の東北紀行ですが、今度は岩手のみ、新幹線で行きました。盛岡市で車を借りて宮古に向かいました。震災復興で交通手段の整備が急がれて、きたかみ山地の山間を巡る道路は急激に整備が進んでいました。宮古市では、母の生家のみならず、いとこが3人家を流されて仮設住まいとなりました。つぶやき433『宮古』(2011年5月1日)をご覧ください。同年のいとこのヒロシに案内してもらって、子供の頃から毎年夏休みを過ごした宮古の町並みのガレキと化した姿に呆然としました。
 あれから2年と1.5ヶ月、どうなったか見に行きました。ナント!瓦礫が片付いて、電柱は立っていますが、建物は無し。復興なんてほとんど気配がありません。魚市場は取り壊され、仮設の水産加工場が建っています。冷蔵設備のようなものはありました。ところが、広大な空き地にただ1軒、立派な建物が・・・・それがヒロシの工場(こうば)でした。住むことはできません。船鍛冶のヒロシは三陸で残り少ない漁具を作る鍛冶屋です。NHKで今人気の「あまちゃん」の海女が潜ってウニやアワビをとるときに使う道具を作っています。ヒロシ本人ではなく、漁師たちが嘆願して宮古市役所を動かして、この工場が無いと自分達の仕事が立ち行かないと特例を認めさせて建設許可を得たそうです。本人は「もうトシだから、そんなに働かせなくても」と笑っていましたが、三陸で船鍛冶は他に大船渡の1軒だけなので、背中を押されたのです。体が続く限りと言っていましたが、この仕事はふいごで風を送り、炭をおこして、その中で真っ赤になった鉄棒を右写真の台の上でハンマーでトンテンカン、トンテンカンと叩いて、曲げたり尖らせたりして形を作る仕事です。刀鍛冶と基本は同じです。勿論腱鞘炎になる、指は曲がる、塵埃で肺を痛める、職業病だらけの辛い仕事です。ですから後継者はいません。
鍛冶屋の道具
2011年4月29日

流されてきた家1軒分ぐらいの防波堤コンクリートブロック(ケーソン)
2013年6月14日

ケーソンも無くなり空き地ばかりです。緑の尾根裏が浄土ヶ浜です

船大工の従兄宅を眺める船鍛冶のいとこ、自衛隊が片付けて道路確保

誰かが建てたバラックの倉庫がポツリ、山の向こうは宮古市中心街

船鍛冶のいとこ宅の機械とコンクリート基礎は重いので残っていた

ヒロシの工場が唯一立派な建物でした。奥は津波で流されなかった住宅

観光船の左奥に残った菱屋酒造店の土蔵と醸造所が見える

菱屋酒造店の他に残ったのは観光船で見えなかった鍬ヶ崎小学校

中央奥が浄土ヶ浜大橋。この橋の上からヒロシは津波の襲来を見ていた

奥には流されずに残った家も見える。復興しようと機材を持ち込む人も

ヒロシ宅から宮古港を望む。中央に白い仮設水産加工場

水産加工場の前にただ1軒「魚正」という新築寿司屋、ここで昼食
 暮らせなくても仕事はできる。津波が来たら逃げれば良い。ここ宮古はすぐ近くに尾根があり、昔から大地震があったら山に逃げろと子供の頃から言い聞かされてきたヒロシは、30分以上時間があったのに逃げずに死んだ人がいたことが信じられない。割り切って考えれば、職住分離で復興はできるが、戻ってこない人が多いだろうとつぶやきました。

■宮古市魚菜市場
 前の週は盛岡市の神子田朝市に行きましたが、宮古では宮古市魚菜市場に行きました。宮古への観光バスが必ず立ち寄るという名物の場所です。ここで土産を買いました。
春夏秋冬 新鮮な三陸の海の幸・山の幸。本州最東端 岩手県宮古市魚菜市場のホームページ→クリック
宮古市の紹介ホームページ→クリック
「こちらナチュラルいわて百貨店」いわての旅ホームページ→クリック
 三陸沖から水揚げされた新鮮な魚介類や海産物加工品、地元農家が育てた野菜がずらりと並ぶ市場です。魚屋さんはプロですが、乾物屋では小さな子供を抱えた若いお母さんや、野菜を販売しているのはいかにも農家のお母さんたちです。販売のプロではない人たちが、心を込めて接客している姿が微笑ましく感じます。宮古市民の台所とも言われ、人情にあふれた交流市場です。お土産用に梱包、発送もしてくれます。
 おなかが空いたら「まんぷく食堂」もありますよ。
浄土ヶ浜 宮古市魚菜市場

■網張温泉
 この後、盛岡を経由してふるさと雫石の国民宿舎網張温泉(ホームページ)に宿泊しました。犬倉山麓標高760mの高原にある宿で、源泉掛け流しの公共の宿です。小岩井農場から20分 十和田八幡平 百名山岩手山 眼下に拡がる雫石盆地 ポコポコ見える七ツ森は平成17年3月に「イーハトーブの風景地」として国の名勝指定 宮澤賢治の文学作品に数多く登場した風景群展望 七ツ森の国道46号線に面して、ローソンの向かいが我が実家です(2010年12月に取り壊し、今は更地です)



雫石町の国民宿舎網張温泉

高原の温泉だけあって雲の中です

内風呂:白泉の湯、犬倉山から湧き出た硫黄の匂いのする温泉らしい温泉

露天風呂:見晴らしの湯は最高ですよ!(注:混浴ではありません)

筆者が泊まったツインルーム

ツインルームに一人で泊まり、部屋の窓から朝にパチリ、雲上の宿ですね

我が家の墓です。草取りして花を添えました

■福田こうへいが・・・
 翌朝、朝食後また朝風呂に浸かり(露天風呂)、国民宿舎網張温泉を出発して盛岡へ向かう途中、雫石町七ツ森の墓参りをしました。その前に雫石町観光大使としては一応休日ながら雫石町役場と野菊ホールという町民ホールに寄って見ました。なんと福田こうへいのショーをやっていました。ゲストは美川憲一でした。

 ヒットしています・・・南部蝉しぐれ ♪南部 盛岡 雫石・・・♪ 雫石町生まれ、盛岡市玉山区在住 公式ホームページ

紅白歌合戦出場

第55回輝け!日本レコード大賞 新人賞

第46回 日本有線大賞 新人賞

12月22日(日)「福田こうへい」クリスマスディナーショー
(私たち夫婦も行きますよ)


(2013年6月30日)


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