3  領土問題と外交による解決

 アベノミクスで株式市場に活気が戻り始めるなど、日本経済は雰囲気的には好転し始めました。ただ、気がかりなサインも有り、どうも黙ってはいられない気持ちになりました。2013年2月28日(木)の日経平均の終値は前日比305円高の11,559円と節目の11,500円台を回復しました。7ヶ月連騰です。この日は、含み資産関連として倉庫運輸関連や不動産株の上昇が目立ちました。金融緩和強化の思惑からでしょうが、土地の含みで株価が上昇するというのは、80年代後半のバブル期を彷彿とさせる動きで、いやな相場の動きという感じもあります。

■安部総理の米国訪問
 2月は安部総理が米国を訪問してオバマ大統領と会談し、民主党政権時代にやや後退した日米関係を修復して再び蜜月に戻すべく動きました。ほぼ一方的に日本が米国にサービスする内容です。TPPや普天間だけではありません。オバマというのはなかなか計算高い大統領だということが分かりました。
 3月に入り、南関東はボケや梅が咲き始め、春を感じるようになりました。それもそのはず、3月5日は啓蟄です。一方で北東北から北海道にかけてはまだ厳しい冬が続いており、昨年に続いて大雪で、春まだ遠しという状況です。日本経済に春は近いのでしょうか?

■北方領土問題に動きが?
 森元総理とロシアのプーチン大統領の会談は、北方領土問題に灯明をともしました。柔道家であるプーチンは親日家として知られています。日本との関係について、かつて『引き分け』という発言をして、北方領土問題の解決(日本からの見方です、ロシアから見れば「問題」などありません)に意欲を示しました。『引き分け』という意味は、勝負をハッキリさせない、すなわち『歯舞、色丹2島』を日本に返還して、その代わり経済面でスクラム組んで仲良くやろうじゃないか、という意味です。日本では、「4島一括返還」を求める声が主流です。2島返還で幕引きされたのではたまらない、という声が強いのですが、戦後67年、北方領土問題が膠着状態のまま、解決に向けて少しも前進していないという事実は、領土問題の解決がいかに難しいかを示しています。そもそも領土問題とは武力によって奪う、奪われるというのが過去の歴史です。外交によって解決できるなら、こんなに長く問題が決着しないということはありません。北方領土で日本の味方をしているのは米国だけです。欧州などはそもそも関心がありません。

■領土の外交解決は困難
 ロシアは大国であると思っている人が日本ではほとんどでしょう。宇宙開発や軍事面ではそうですが、BRICsと言われるように、経済面では新興国なのです。GDPは、2012年でも日本の3分の1しかありません。寒冷地で、主要な産業はエネルギーです。ところが天然ガスの主要顧客の欧州が、新たな資源の開発や、米国シェールガス開発に伴う国際価格の下落で、ロシアの収入が危うくなってきました。一方、サハリンやシベリアなどの地下資源が開発され、石油や天然ガスなどが見つかったのですが、お客様は???中国や韓国、とりわけ日本が地理的に最も良いお客様です。中国とロシアは、友好国であるかに見えて、本質的には、領土をめぐり、覇権争いを続けてきた国同士です。それはロシアと日本もそうですし、朝鮮半島もそうです。そして、中韓露日のパワーバランスは、過去さまざまに変遷してきました。領土問題を賢く解決して行こうと言うのは大変難しいと言うか、外交による解決は困難と言うのが筆者の感想です。

■大ロシア帝国の領土拡大策
 そもそも論で言えば、北方領土問題は、ロシア(ソ連)の不凍港を求めた南下政策と飽くなき領土拡張政策の帰結の歴史であります。ロシアが、ウラル山脈を越え、シベリアを踏破して極東(カムチャツカ半島から千島列島)まで進出したのは18世紀の半ばから後半です。不凍港を求め、また領土拡張のため東進を続け、ものすごい勢いで沿海州まで侵出しました。大ロシア帝国の時代です。そして、日本海に面した要衝に、軍事・商業の中心都市であり東方政策の拠点となるウラジオストク(港)を開基しました。1860年の北京条約によって沿海州一帯を清国(中国)から獲得したからです。日本は、明治8(1875)年、ロシアとの間で樺太千島交換条約を締結し、千島列島全島が日本領土に、また樺太全島がロシア領土になりました。

■日露戦争とポーツマス条約
 大国ロシアと日本の間で日露戦争が起きたとき、それはいわば英国のような当時世界で最も先進的な国から見れば無謀な戦いのように見えたはずです。しかしロシア東部に海軍の主要な基地を持たないロシアは日本海軍に負けました。アメリカ合衆国第26代大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋によって日本とロシア帝国との間で結ばれた日露戦争の講和条約は、1905年(明治38年)9月4日、アメリカ東部の港湾都市ポーツマス近郊のポーツマス海軍造船所において、日本全権小村寿太郎(外務大臣)とロシア全権セルゲイ・Y・ウィッテの間で調印されました。 ポーツマス条約です。これにより樺太は、北緯50度線を境界に南北に分割され、1945年までは北緯50度線を境にして、南半分(南樺太、南サハリン)を「樺太(カラフト)」として日本国、北半分(北樺太、北サハリン)を「サハリン」としてソビエト連邦が領有していました。

■ヤルタ秘密協定〜ポツダム宣言受諾〜敗戦
 日本とソ連は、昭和16(1941)年4月、「日ソ中立条約」を締結しました。その上で日本は12月真珠湾を攻撃してアメリカとの間で戦端を開き、大戦はアジア太平洋にまで戦域を拡大しました。1944年12月半ば、第32代米国大統領フランクリン・ルーズベルトはソ連に参戦要請し、これに対しソ連のスターリン首相は、ポーツマス条約で日本領となった南サハリン(樺太)と千島列島を代償として要求しました。このような過程を経てソ連の対日参戦がひそかに決まりました。米英ソの3首脳(フランクリン・ルーズベルト、チャーチル、スターリン)が1945年2月、現ウクライナのクリミア半島の保養地ヤルタに集まって戦後処理を話し合い、ヤルタ秘密協定を結びました。ここで南サハリン(樺太)と千島列島をソ連領とすることが決まりました。ソ連は、このストーリーに沿って、1945年4月5日、日本に対し日ソ中立条約の破棄を通告しました。そして、8月7日、ソ連極東軍最高司令部は軍事行動を命じました。翌8日、ソ連のモロトフ外相は、戦争状態に入ることを日本政府に通告したのです。日本は、昭和20(1945)年8月14日、米英中ソの共同宣言である「ポツダム宣言」を受諾しました。

■サンフランシスコ講和条約と日ソ共同宣言
 ソ連は、日本がポツダム宣言受諾後の8月18日から千島列島へ侵攻し、引き続いて北方4島を占領しました。そしてソ連は、サンフランシスコ講和条約に調印しませんでした。改めて行われた日ソの平和条約締結交渉では、日本の北方4島の全面返還要求とソ連の歯舞群島・色丹島の2島返還論が真っ向から対立し、合意に至らなかったのです。そこで、平和条約に代えて、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定め、平和条約の締結後、ソ連が歯舞群島および色丹島を日本に引き渡すことに同意するという条文を盛り込んだ日ソ共同宣言に1956年10月19日、両国はモスクワで署名しました。国会承認をへて、同年12月12日に発効しました。これにより両国の国交が回復、関係も正常化しましたが、国境確定問題は先送りされました。結局、日ソ平和条約は締結されることなく今日に至っており、日露間における戦後諸問題の最終的な解決には至っておりません。

■終始一貫のロシアの姿勢
 軍事的、地政学的要求を第一義と考えるロシアにとって、歯舞群島と色丹島の2島返還はあり得ても、国後島と択捉島の返還は、現状の経済協力を中心とした外交的アプローチでは極めて難しいと言わざるを得ません。ロシアにとって、国後島と択捉島に軍隊を配置していることは、日本に対し謂わば喉元に匕首を突き付けているようなものであり、過去の長い日露の歴史上、現在ほどロシアが有利だったことはありません。こんなオイシイ状況・・・すなわち日本の言う北方領土の返還については、はなから譲歩する気など毛頭ないのです。しかし、「2島返還」であれば、4島占領によって獲得した軍事的・地政学的利益を失わずに維持できるので、部分的な妥協は可能です。つまり、ロシアの意図は、4島占領当時から、基本的に変わっておらず、終始一貫しています。米国の第34代アイゼンハワー大統領は、ヤルタ秘密協定はフランクリン・ルーズベルトの個人文書で、米国政府としての公式なものではない、という見解を出し、以降これが米国政府の見解となっています。しかし、当時の当事国である英仏などはそうではなく、北方領土問題などには触れようとしません。すなわち、国際的に見れば、日米だけが北方領土と言っているに過ぎないのです。日本は、日ソ共同宣言に戻るしかないような気がします。ロシアにとってはいろいろな意味で日本はお客様です。仲良くしたいと思っているのはロシアのほうがずっと強いのです。

■何故TPPを急ぐのか?
 尖閣問題での日中の対立、竹島での日韓対立、北方領土での日露問題、昔からあった領土に関する問題が、脚光を浴びています。安部総理は米国訪問でオバマ大統領と会談し、TPP加盟協議に向けてアクセルを踏み込みました。国論を2分する問題で、あえて火中の栗を拾おうとするのは何故?これは不思議ではありません。中韓露そして北朝鮮に対抗するには米国の力を借りるしかないからでしょう。経済的に米国に貢いで、安保してもらうわけです。日米の交渉で日本が勝った試しがありません。せいぜい引き分けに持ち込んだのは捕鯨とBSE牛肉規制だけです。半導体、自動車、負けました。敗戦国である以上しょうがありません。米国は長年「世界の警察」として、善くも悪くも他国の内政まで干渉してきました。しかし今や米国は日に日に弱体化し、世界は多極化しているように思います。オバマ大統領は、中東やアジアから米軍を順次引き揚げ、国家の経済状況を改善しようとしています。軍事面ではもっと日本が主体的になって欲しいと思っています。TPPは米国中心の安全保障です。日本がよりしたたかになれるなら、中韓露と米国のパワーバランスの要となることです。大変難しい課題です。

■変わらなければ生き残れない中小企業
 アベノミクスで明るさが見え出したとは言え、日本企業が厳しいグローバル競争にさらされる状況は依然継続しており、今後も一層の競争激化が進むと考えられます。日本の製造業は3年間におよぶ超円高により、輸出コストの競争力を失い、大手メーカーは一挙に海外工場への移転を進め、その結果、中小企業も一部は海外移転を加速させました。しかし移転もままならない多くの中小企業は、国家の金融面での保護によってなんとか食いつないできました。グローバル時代にどう対応すべきか?TPPによって日本の産業も変わります。特に農業や医療において、変化にどう対応するかが問題です。日本の”ものづくり”を支えてきた中小企業は、もはや官や大企業には頼れないようになった、自立せざるを得なくなったということを肝に銘じなければなりません。
(2013年3月4日)


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