535  映画とコンサート

 6月8日(木)関東もついに梅雨入りしました。平年より1日遅い入梅です。今年は台風が早くも襲来して、例年とちょっと様相が違います。梅雨は植物を一気に生長させますので、これからの畑は草取りが大変です。本日は朝早く家を出て上野東天紅へ、「岩手県人の集い」があり、役員は昨日も現地で準備に追われました。

■ 銀河鉄道の父
 久し振りに自転車でイオンシネマに行き、映画を見てきました。「銀河鉄道の父」です。岩手の誇る宮沢賢治は花巻の生まれ、盛岡中学、盛岡高等農林学校時代は度々西へ向かい、小岩井農場や七ツ森の風景をこよなく愛しました。小説家・門井慶喜が「ダメ息子だった」宮沢賢治の父である政次郎を主人公に究極の家族愛をつづった直木賞受賞作「銀河鉄道の父」を、成島出監督のメガホンで映画化した作品、感動しますよ。カンヌ映画祭で男優賞を受賞した役所広司が政次郎役で主演を務め、長男・賢治を菅田将暉、賢治の妹・トシを森七菜、母・イチを坂井真紀、祖父・喜助を田中泯、弟・清六を豊田裕大がそれぞれ演じます。最近のある調査で100人にアンケートした「演技が上手いと思う俳優」調査で、3人が同率首位、役所広司、菅田将暉、阿部寛でした。この映画が面白くないはずがありません。2023年は賢治没後90年、この映画のキャッチは「きっと家族に、会いたくなる」・・・・

 岩手県花巻で質屋を営む宮沢政次郎の長男・賢治は家業を継ぐ立場でありながら、自分はそれに向いていないと思っていました。中学卒業後は高等農林学校への進学や人工宝石の製造、宗教への傾倒と我が道を突き進む賢治に対し、政次郎は厳格な父親であろうと努めるもつい甘やかしてしまいます。この時代、それほどまでに「長男」というものは大事な存在でした。「次男」以降はやがて家を出て、婿に行くか、職が無ければ手っ取り早いのは軍隊に進む事でした。妹・トシは頭脳明晰なだけではなく、自分の意思をはっきりと口に出して言える才女で、賢治は自分と男女が逆だったらと思うほどでした。しかしトシにとってはこの兄は面白いお話を作ってくれる天才的な人でした。トシの病気をきっかけに、その願いに応えて筆を執る賢治でしたが、「風の又三郎」と題した自作の童話をトシに読み聞かせるも、この当時の結核にはなかなか有効な薬も無く「永訣の朝」を迎えてしまいました。打ちひしがれる賢治に、政次郎は物語を書き続けるよう促します。
 宗教も一つのポイントです。宮沢家は代々浄土真宗を信仰していました。浄土真宗の宗派はものすごく分かれていて、浄土真宗本願寺派という西本願寺と、真宗大谷派という東本願寺の他、8派で真宗十派(真宗教団連合)を構成していますが、更に分派した宗派がいっぱいあり、「浄土真宗親鸞会」は、他の浄土真宗の宗派からは異端と目されているようです。賢治は、幼いころから熱心な門徒(浄土真宗)であった父の下で南無阿弥陀仏と念仏を称えるわけですが、あるとき妙法蓮華経(法華経)に触れ、深い感銘を受けました。その後、一時はキリスト教会に出入りしたりもしましたが、最終的には父親の反対をよそに、法華経をより重視する日蓮宗系の、それも田中智学の国柱会という、当時の日本の対外侵略政策を思想的に支えた国粋主義的な宗教の熱心な信者となったのです。しかし、彼の作品から読み取れる宗教観は、全く国粋主義的ではありません。彼の『農民芸術概論綱要』に、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という有名なフレーズがあります。これが、「世界ぜんたいが幸福にならなければ」となっていたら、全体主義そのもので個人は否定されてしまうわけですが、賢治にとって個人は、全体(彼にとっては皇国日本ではなく4次元銀河宇宙)を構成する細胞に過ぎないという意識が濃厚でした。これは、『銀河鉄道の夜』を読んでも感じられることで、キリスト教の自己犠牲にも似ていますが、仏教的な輪廻転生の世界も感じさせるのです。宮澤賢治の世界では戦争なんて有り得ません。

岩手大学人文社会科学部宮沢賢治いわて学センターが出版した冊子
 やがて賢治も結核に侵されます。賢治を介抱する父、母、弟、妹、その家族愛はスゴイ!みんな「ダメ息子だ」と自虐する賢治をこよなく愛していました。賢治はお父さんに褒められる息子になりたいと念願していました。しかしいよいよ力尽きようとしたとき父・政次郎は大きな声で、賢治の手帳に書きなぐってあった詩を読むのです。
  雨ニモマケズ
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
  丈夫ナカラダヲモチ
  慾ハナク
  決シテ瞋ラズ
  イツモシヅカニワラッテヰル
  一日ニ玄米四合ト
  味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ
  ジブンヲカンジョウニ入レズニ
  ヨクミキキシワカリ
  ソシテワスレズ
  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
  小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
  東ニ病気ノコドモアレバ
  行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ
  行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ
  行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバ
  ツマラナイカラヤメロトイヒ
  ヒドリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
  ミンナニデクノボートヨバレ
  ホメラレモセズ
  クニモサレズ
  サウイフモノニ
  ワタシハナリタイ
 賢治の一番のファンだったのは父・政次郎であり、弟・清六でした。彼らは賢治の死後、その文学を知ってもらおうと必死になってPR活動に励みました。賢治より8歳年下の弟・清六も盛岡中学出身ですが、この人が97歳で2001年6月12日亡くなるまで終生賢治の遺稿の保存整理に尽力し、あらゆる版の全集の編纂校訂に携わったことで、やがて宮沢賢治はその名を知られるどころか、年を追って人気が高まる人となりました。褒められもせず、苦にもされないどころか、日本文学界の巨星となりました。清六は、83歳と長生きした父宮澤政次郎と共に、故郷花巻で宮澤商会を開業し、金物・建材・電導材・自動車部品を扱う仕事を始めました。これにより賢治の幼少時より課題となっていた「質・古着商からの家業の転換」がようやく実現したのです。賢治が農学校を退職して独居自炊の生活を始めることができたのは、清六によるこの転業のお蔭でもあり、賢治が病臥してからはその看病にも当たるなど、献身的に兄を支えました。なお宮沢トシの妹シゲは岩田家に嫁ぎ男子を産みましたが、賢治にとって初めての甥っ子を賢治は可愛がり、八戸旅行にも連れて行っています。この男の子はやがて岩手大学の電気工学の教授となり、伯父さんさながらに温厚な先生として慕われました。1945年4月の東京大空襲で駒込のアトリエを消失し、翌月宮沢清六を頼って花巻に疎開した高村光太郎でしたが、宮沢家も8月の花巻空襲で焼け、10月に高村光太郎は近くに粗末な小屋を建てて独居自炊生活を7年間送りました。近隣の村人たちが、東京から来たこのお偉い先生のために建築用の丸太を持ち寄り、食べ物なども持ってきてくれて、高村光太郎は、この地の人たちはなんて親切なんだろうと回想しています。この甥っ子は宮沢家から高村光太郎への届け物のお使いをしたという逸話が残っています。
 映画「銀河鉄道の父」のエンディングは「銀河鉄道の夜」を連想させるSLの疾走・・・煙を吐きながら橋の上を走る勇壮な姿でした。

「めがね橋」を走る「SL銀河」
 2014年4月から、観光面からの復興支援として運行していたSL銀河ですが、2023年6月に最終運行を迎えます。基本土日のみの運行で、2023年6月11日(日)のラストランは、釜石駅発14時40分、花巻駅に向います。沿線住民が手を振って、SL銀河をお見送りしてくれるはずです。上写真はJR釜石線で運行する「SL銀河」が、一夜限りの夜間運行を行ったときのものです。ライトアップされた「めがね橋」(宮守川橋梁(きょうりょう))をSLの車両が通過すると、宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」を連想させるような風景が広がり、集まった数百人の鉄道ファンが一斉にシャッターを切ったそうです。この撮影スポットは「道の駅みやもり」に隣接していますので、駐車場もあり、休憩、食事もできます。

■ 大沢桃子20周年記念コンサート
 大船渡市出身の歌手;大沢桃子さんの20周年記念コンサートが6月9日(金)「ティアラこうとう」で開催されました。在京盛岡広域産業人会顧問で葛巻ふるさと会会長だった落宰房夫さんは2023年1月にご逝去されました。517『喜多方ラーメン』(2023年2月5日)に訃報掲載しております。奥様が大船渡市出身であることもあり、熱心な大沢桃子ファンで、追っかけされる姿が実に微笑ましく、懐かしく思い出されます。船橋での落宰房夫さんの通夜・告別式には大沢桃子さんから供された花が飾られていました。大沢桃子さんは「仲村つばき(なかむら椿)」という名前で作詞・作曲もする、女性演歌歌手ではめずらしいシンガーソングライターです。椿はふるさと岩手県大船渡の市の花です。「希望郷いわて文化大使」 「さんりく・大船渡ふるさと大使」 「平泉町観光大使」 「花巻イーハトーブ大使」「長野県松川町ふるさと大使」「くずまき高原牧場まきば大使」という6つもの大使を務めています。したがってこのコンサートにもいろいろなふるさと会の人たちがつめかけて、プレゼントタイムの時には大沢桃子さんにお祝いを渡そうという人たちが大行列でした。
 真後ろの席にやけに綺麗な女性たちが来たなと思って振り返ったら、「竹川美子です」「水田竜子です」と言われてビックリ、え〜こんなテレビでしか見たことのない歌手の皆さんもコンサートを観に来るんだ!と驚きました。

コンサートの中で大沢桃子さんと桃ちゃんずが「恋する銀座」を歌って踊るシーンのみ写真撮影OK、動画はNG
バックバンドはスーパーピンクパンサーの人たちです
 会場には外国人の姿も見えていて、演歌歌手のコンサートに何故?と思ったら、「日本ウクライナ音楽協会」の方たちでした。楽器を銃に持ち替えて戦わなければならないウクライナの人たち、コンサート会場で支援金や寄付金を集めてウクライナに届ける活動をしている人たちでした。道理でウクライナ女性のような人たちが居るわけだ、ましてやダム爆破〜決壊で大変な目に合ってる・・・これは黙ってはいられない、ウクライナ女性が持つ募金箱に紙幣を入れました。

「かもめの玉子」の齊藤製菓の社長や作詞家、歌手仲間などからのお祝いの花

「ダム」の第一興商や、所属の徳間ジャパンからの花

WOWWOWプラス 歌謡ポップチャンネルからの花・・・この日は録画中継のカメラが入っていました
 スペシャルゲストの新沼謙治さんが、「この前まで市長だった戸田市長から言われていたことがあります。全国をコンサートで回られるでしょうから、大船渡が皆様から頂いた支援への感謝を伝えて下さいね、ということです。皆さん、戸田市長に成り代わりまして、厚く御礼申し上げます」という挨拶をされました。これを戸田公明君のフェイスブックに投稿すると、「そうでしたか!そのような話を新沼謙治さんがされるとは!大船渡市にとってはとても有難いことです。新沼謙治さんに感謝です。新沼謙治さんは同じ大船渡市立第一中学校卒で、同窓では一番の著名人です」と返答がありました。

■ドラゴンアイ
 6月の八幡平市は山開きがあったり、ツツジが見ごろとなる一方で、直径約50メートルの鏡沼の中心部に雪解け水が輪のようにたまる「ドラゴンアイ」・・・今の時期しか見られない自然現象のシーズンを迎えています。2023年は大きな亀裂が入っていますが、雪や沼の色はここ数年にない美しいエメラルドグリーンとなっていて、その目が完全に開く「開眼」も間近、最近は全国に紹介されるようになって、ドラゴンアイを見ようとするお客様が八幡平を訪れるようになりました。また八幡平市の安比高原にある「ハロウインターナショナルスクール安比ジャパン」は、イギリスの名門パブリックスクールと提携して2022年8月に開校した県内初のインターナショナルスクールです。学校は、大自然を生かした課外活動が特長で、日本を含むアジアを中心とした13の国と地域の180人が学んでいて、日本人はおよそ4割を占めます。安比高原と言えばリクルートが開発したリゾート地として有名でしたが、今では様々な施設が展開されています。中でも2タイプのホテルで構成されるANAクラウンプラザリゾート安比高原が開業し、スキーやゴルフを楽しめるほか、温水プール、アスレチックジム、大浴場、プラベートスパなどの館内施設があって、雄大なマウンテンステイを満喫できます。どうぞお出掛け下さい  八幡平市観光協会

2023年6月6日のドラゴンアイ


ANAクラウンプラザリゾート安比高原

■ チャグチャグ馬コ
 2023年6月10日(土) 滝沢市鬼越蒼前神社から盛岡市盛岡八幡宮までの約14キロメートルの道のりをパレードするチャグチャグ馬コ行進行事が開催されます。どうぞお出掛け下さい  盛岡市の案内 滝沢市の案内

■ シモツケ
 余熱利用施設エコパの道路とバーデプールの間の縁にピンクの綺麗な花が咲いています。もう1ヶ月以上咲いているので終わりに近づいていますが、何の花だろうと「グーグル・レンズ」で調べたら「シモツケ」だそうです。バラ科/シモツケ属で、ユキヤナギやコデマリも同属です。和名は下野(しもつけ)の国(現在の栃木県)にちなみ、大きくならず、観賞期間もとても長い花木です。初夏に、紅色の小さな花を枝先にたくさんつけます。花色や葉色が変化した園芸品種が多数あり、花のない時期でも、春から秋まで葉色の変化を楽しむことができるそうです。

■ 今にも崩れそうな家
 我が家の近所に、今にも崩れ落ちそうな家があります。以前はおばあちゃんが住んでいたと思いますが、亡くなられたのでしょうか?まだLPガスボンベがあり、自転車もありますね。二階の床がじわりじわりと落ちて来ています。もう崩壊寸前と思いますが、隣家の人は気が気でないでしょう。もちろん市役所は持ち主または縁者に連絡取ろうとしてるでしょうが、もし地震や台風などの災害が有れば、隣の家に被害が及ぶと思われ、一刻の猶予も無いと思われますが、いったいどうなっているのでしょう?
(2023年6月11日)


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