畑の状況        



2023年4月21日(金)
この日はナント!たった二人、女1人、男1人でした



【畑の作業】

畑北側のお茶の木のところには、アザミ、麦、タンポポほか、各種野草が繁茂

一面に小さな花を咲かせているのはオランダミミナグサですね
名の通りヨーロッパからの帰化植物、越年草で春に白色の5弁花を密に咲かせます

H野さんがきれいに除草、残っている緑は「ニラ」です


S藤宅で何故か発芽したこの苗は何瓜か?分からないけど移植してみました


でも日照り・乾燥続きですから育たないかも?


畑入口の状況・・・以前H野さんがノビル(野蒜)など抜きましたがまだこの状況


綺麗にしてカンナだけ残しました


入り口部分だけ除草



 ページトップへ【畑の状況】

まだ苗は大きくならないので、畑は一面薄茶色の状況です


畑南側にミョウガが出てきたので周りを除草しました


キクイモにテントウムシが・・・



 ページトップへ【畑の花】

イチハツが咲きました


ムシトリナデシコ(小町草)が咲き出しました 何故かカラシナがいっぱい出ています


H野さんが丹精込めて育てているマーガレットが花盛り


オダマキ開花、淡黄色に挟まれて紫の花も小さく



 ページトップへ【余談】

この日はおやつにおいなりさんを持参したのですが・・・


休憩時に柿の木カフェで皆さんに召し上がっていただくためです。ところがなんと、この日は男女二人だけ、いつも7人ぐらい集まるのに...キツネにつままれた思いでした(>_<)
団塊の世代は稲荷寿司というと遠足、運動会などがすぐ頭に浮かんで、なんとなくウキウキするのです。「いなりずし」は、甘辛く煮た油揚げの中に、酢飯を詰めたもので、お稲荷さん、いなりなどとも呼ばれます。酢飯に紅生姜は北東北のいなりの特徴です


畑に持って行った稲荷寿司 淡いキツネ色でしょう?

 西日本ではニンジンやシイタケなどの具材を煮込んで混ぜる五目いなりが多いみたいです。稲荷神社が祀る神は五穀を司る神様で、商売繁盛と共に豊作の神様であり、米を使用した俵型の稲荷寿司は、見ただけで有難い神様の贈り物につながるわけですね。全国各地にそれぞれ特徴的ないなりずしがあり、青森のシンプルいなり、埼玉の妻沼いなり、茨城の笠間いなり、ほかに沖縄まで、各地の名物いなりがあります


五目いなり



笠間いなり寿司

 日本三大稲荷の一つといわれる「笠間稲荷神社」の門前町として栄える茨城県笠間市の「笠間いなり寿司」の特徴は「そば」「くるみ」「舞茸」など様々な素材を使った“変り種いなり寿司”という点です

■ 太子食品の味付いなり
 以前盛岡でご馳走になったいなりずしが綺麗な色で、とても上品で、頬張ってみたらこれはウマイ!聞いたら太子食品製だとのこと。そうか!ヤッパリ。実は北東北の人間にとって太子納豆の太子食品工業株式会社は有名なのです。納豆と言ったら水戸納豆と言われますが、本来納豆は寒い地域の発酵食品です
 食品スーパー「ヤオコー」や、「生鮮市場Top!」には太子食品の味付いなりが置いてあります。太子食品の味付いなりは他のメーカーの製品より高価です。一番売れているのは長野県のみすずコーポレーションの製品ですが、お店で見比べて下さい。みすずに比べて太子は色が薄い、いわゆる「ほんのりキツネ色」です。
 太子食品は青森県三戸郡三戸町に本社があります。1940年に納豆を看板として創業しましたが、近くの聖徳太子を奉った神社にちなんで、太子納豆と命名したそうです。1978年味付きの油揚げ「おいなりくん」を発売し、主婦から人気を得て、全国的に販売展開するようになりました。三戸町は岩手県との境で南が岩手県二戸市、東が南部町〜八戸市、西がにんにくで有名な青森県の田子町、そして十和田湖です。青森県南部や秋田県北部は岩手県北部とともに南部藩、岩手県南部は宮城県と共に伊達藩でした。太子食品の味付いなりは十和田工場で製造しています。この会社はおいしい水の湧き出る地にしか工場を持たない、それは大豆と水が命の商品を作っているからです。そのこだわりが商品の美味しさに顕れます。ちなみに岩手県雫石町にはもやし工場があります。水芭蕉の繁茂する森林の中にそれとわからぬようにひっそりとたたずむ工場は、自然環境に溶け込むように目立たぬように、配慮されています。岩手山からの伏流水が豊富に湧き出るので、もやしにはピッタリなのです


太子食品の味付いなり
 
みすずのいなり名人

■ 駅弁「いなりずし」東西の雄
 各地に名物いなりがありますが、駅弁で有名な「いなりずし」と言えばJR東日本では伊豆・伊東の「祇園寿し」です。ここは東京・浅草の映画街で弁士をやっていた守谷定一さんという人が、終戦後焼け野原の東京から伊東に移り、ここで店を開いたのが始まりだそうです。戦争で男たちは兵隊に行き、当然ながら農林水産業は働き手を失って衰退、敗戦で外地から生き残った兵隊さんや、満州始め各地へ開拓で移住していた人たちも続々帰ってきましたが、食べるものが無いうえに、海外から出戻りの人たちが帰ってきてますます食糧難です。そんな当時、白米を使った寿し飯を甘く濃い味付けをした油揚げに詰めたいなり寿し(祇園寿し)は大変な評判となりました。その後1959年に観光客で沸く国鉄(当時)伊東駅での構内営業が開始され、祇園のいなり寿しが伊東で初の駅弁となりました。
 駅弁「いなりずし」では、東の伊東、西の豊橋と言われるそうです。豊橋駅のいなりずしなら「壺屋」です。非常に甘い味付けで、東日本の人の口には合わないかもしれません。明治時代からだそうですから、もう百年の歴史を誇る老舗です


伊東名物祇園のいなり寿司

豊橋駅・壺屋のいなり寿司

畑に持って行った稲荷寿司と比べてみれば色の濃さの違いに気付かれると思います
色が濃いいなりもそれはそれで良いですが、ほんのりキツネ色がやっぱりイイですね


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