443  ざる中華


愛知のざる中華

 麺通だと思っていた筆者が目からウロコだった。実は大学の後輩から「中華ざる」というものがあると聞いた。コレが世の中に存在すること自体を知らなかった。どこにあるか、調べてみた。すると、いろいろなことが分かってきた。今回はこれまで載せてきた各種メンが総登場のメン特集だ。
 確かに関東ではほとんど食堂のメニューには「中華ざる」は無いようだ。
@「中華ざる」とも「ざる中華」とも言われるこの食べ物は、青森県民なら知らない人がいないそうで、そうめん、冷やし中華、ざる蕎麦と並んで青森の夏の定番メニューとのこと。ルーツは青森か?青森ではラーメン屋さん、大衆食堂、そば屋さんに普通にあるメニューで圧倒的に「ざる中華」という名称だそうだ。青森県民は、それが全国的な食べ物でないと聞いて驚くそうである。
A愛知県にも、ざる中華と呼ばれているものがあり、冷たい中華麺を、冷たい中華スープにつけて食べる。青森県のざる中華のつゆはソバと同じ和風出汁で、ここが違う。

B「中華ざる」という名称は、青森県でも一部あるが、岩手県では冷やし中華と区別するために呼ばれることがある。一般に、後に「容器名」が付くのは「天ざる」「親子丼」「うな重」「中華丼」のような場合で、前は天麩羅や鶏肉と玉葱の卵とじ、鰻、あんかけ肉野菜炒めのような具であって、ここに麺やご飯の名称は入らない。用語的に言えば後に麺がつくものは、麺が主役の食べ物で、スープに麺を付けて食べるものだから、「ざるそば」同様、単に麺をスープにつけて食べるのだから、「ざる中華」というのが正しいだろう。「冷やし中華」はスープが麺にかけられたもので、なると、卵焼き、ハム、きゅうりの細切り、くらげ、紅しょうがなどの具が載っている。
Cざる中華はどうやら北東北3県の食べ物のようだ。この地帯は蕎麦がおいしい地域で、夏の暑い時期はまだ新蕎麦がとれないので、ソバの代りに良く縮れた細い中華麺で代用したようだ。北東北の人たちの味覚の優れたところをあらわしている。秋になれば東北の風物詩は芋煮会、山形、福島、宮城、岩手が本場、なぜか秋田と青森はあまり盛んではない。

■菊水の麺
 さて、その大学の後輩を真似て菊水(北海道江別市)の4玉入りの中華麺を買ってきて、硬めに茹でたその上に刻みのりをかけて食べてみた。確かにこれは行ける。何故これまで知らなかったのだろう?私の60年は何だったのだろうと
(^_^)
 菊水と聞いたら新潟県新発田市のあの「ふなぐち」、一番しぼり、というのが我が常識(→クリック)で、江別にそんな麺の会社があるのも知らなかった。調べたら大きなメーカーである。


■冷しラーメンなら山形
 「冷やし中華」と「冷しラーメン」は違うものだ。これまた日本全国数あると思うが、有名なのは山形である。山形市や天童市は盆地なので、夏はうだるように暑い。したがって冷たい中華そばが食べたいのだろう。この地方は麺に関してはものすごく珍しいメニューが並んでいる。蕎麦、うどん、中華麺、それぞれに温冷取り混ぜて各種メニューが並ぶ。冷し味噌ラーメンなどもある。板そばは新潟のへぎそばのようなものだが、食べてビックリ! 硬い、固過ぎる。もう少し、茹でたら?という感じ。山形と聞いて蕎麦の産地とは思ってもラーメンという感じはしないが、意外にも中華そば好きのようだ。いずれメン食いなのだろう。

■大勝軒のもりそば

 中華スープが温かい「つけめん」では、大勝軒の「もりそば」が有名である。今は無き東池袋の行列のできるラーメン屋、何故これほどまでに並ぶのだろう?と不思議だったが、食べてみても疑問は消えなかった。納得できない、また並んでみる、結局わからなかった。もしかしてこの並んでいる人たちは、同じ思いで、納得できなくて並んでいるのでは?と思えた(^_^) あの白いタオルを頭に巻いた山岸オヤジの元から、今では大変な数の暖簾分け、あちらにもこちらにも大勝軒がある。

■蕎麦〜日本のファストフード:立ち食いそば

 そばという名前からは中華麺ではなく蕎麦を思い浮かべる。蕎麦も温かい蕎麦、冷やした蕎麦、季節によっていずれもおいしいが、原料粉はほとんど中国製


大勝軒ではスープに太麺をつけ
て食べる、「もりそば」が有名

駅の立ち食い天ぷらそば

■黄そば・・・由来は姫路えきそばから
 黄そば(きぃそば)は、ラーメンのような黄色い中華そばで、スープは和風という組み合わせ。黄そばはかん水を加えて練った黄色みを帯びた麺の、近畿地方での呼び名である。かん水を小麦粉に加えて練ると、小麦のタンパク質であるグルテンが結びつく。グルテンが結びつくことによってコシがあり、かつ伸びるような食感をもった麺に仕上がる。これをあっさりした和風だしで食べると、中華と和の良いとこ取りとなって美味しく食べられるという。もともとは兵庫県姫路市のまねき食品がJR姫路駅構内の立ち食いそばで「えきそば」と名付けて販売を始めたことに由来する。姫路ではスーパーなどで黄そばと和風スープをえきそばセットとして販売している。関西地方を中心に支持者を増やしながら、徐々に全国各地にこの和風だし中華麺の味が広がっている。そう言えば新潟の直江津駅の前にも和風ラーメンという同じメニューがあった。
 姫路えきそばは、太平洋戦争の終戦後、姫路駅で麺類を販売しようと計画し、うどんを試作したことに始まる。しかし、当時うどんはいたみが早く、長持ちさせるには?と考えた末、うどんをあきらめ、試作を重ねた結果「黄色いそば」ができた。出汁は評判が良かったため、そのままにして、「黄色いそば」に和風だしという、一見ミスマッチの商品が生まれた。昭和24年10月19日、姫路駅ホームにおいて、それを「えきそば」と名付けて売り出した。その当時の販売価格はせともの容器付き50円だったという。

■沖縄そば
 中華麺なのにそばという名前を付けているものに「沖縄そば」もある。地元では「うちなーすば」と言ったりするそうだが、そばという呼称なのに蕎麦粉は用いず、麺は小麦粉100%で、かんすい(かん水)またはガジュマルの灰汁を加えて打つ。製法的には中華麺の一種であり、麺は一般に太めで、和風のだしを用いることもあって、その味や食感はラーメンというよりむしろ肉うどんなどに類する。ソーキというあばら肉の載ったうどんという感じ。

姫路えきそば


那覇のソーキそば

■バーミヤンラーメン
 筆者は安い中華そばなら「バーミヤンラーメン」が好きだと以前もつぶやいた。最近関東で伸しているのは「餃子の王将」、「幸楽苑」、「日高屋」、「天下一ラーメン」などだが、バーミヤンの玉葱の微塵切り入り魚介スープ、チョット人工調味料を感じるが。

■めん都・盛岡四大麺

岩手県の県庁所在地、盛岡市は「めん都」と呼ばれ、盛岡ならではの麺文化がある。「おもてなしの心」を形にした「わんこそば」、朝鮮半島生まれの冷麺を盛岡風にアレンジした「盛岡冷麺」、中国東北部の家庭料理「炸醤麺(ザージャンミェン)」の味を盛岡に根付かせた「じゃじゃ麺」、南部鉄器の鍋に三陸の海の幸や南部小麦の手打ち麺を入れた「南部はっと鍋」を「盛岡四大麺」と称する。ひっつみ(すいとん)も有名だ。


バーミヤンラーメン

岩手県雫石町の「三千里」の盛岡冷麺セット

南部はっと鍋、山梨ならほうとうだ
盛岡冷麺は「辛い」というイメージがあるかもしれないが、本場では自分で辛さを調節するので、辛いのが喉につらいと思う方でも問題ない。特に暑い夏にピッタリの食べ物で、メンのコシがたまらない。ところで盛岡四大麺には中華麺が入っていない。中華麺の1人あたり消費が日本一の県民は山形県だが、市民レベルでは消費量・金額ともに盛岡市が日本一だそうだ。家庭で1年間に中華麺を1万3778グラム、6733円も消費している。そういえばスーパーでも中華麺だけ4、5玉入った物や、12玉入りの大袋があり、麺だけ各種普通に売っているのは、関東のスーパーには見られない光景である。家庭でスープを作ってラーメンを食べたり、やはりざる中華にして食べたりするのだろうか?盛岡と言えば麺だが、全国の麺を食べ歩いている筆者としては、盛岡の蕎麦、いわゆる日本そばが日本一おいしい麺だと思う。
じゃじゃ麺…うどん風の平麺にキュウリやネギの細切り、肉味噌、紅生姜が載る

■他にも日本一が・・・
 ところで盛岡市は「豆腐消費量日本一」(※総務庁統計局「家計調査」)でもある。1988(昭和63)年から2004(平成16)年まで、消費量が日本一から外れた年は2001(平成13)年だけだそうだ。どれくらいの豆腐を食べているのかというと…平成16年の1年間に消費した量は一人当たり100.29丁。全国唯一3桁の消費量、一丁は約300グラムなので、盛岡市民は1年に約30キロの豆腐を食べていることになる。盛岡市民は納豆も良く食べるので、大豆の消費量も多い地域だと思う。筆者が他に日本一と思うのは、盛岡のお隣、宮古の南部鼻曲がり鮭、そこに行かなければ食べられないおいしいものが、日本にはたくさんある。うどんの消費量日本一は、言わずと知れた讃岐・・・香川県である。日本三大うどんと言えば讃岐うどん、稲庭うどん(秋田)、水沢うどん(群馬県伊香保)であるが、埼玉県もうどんが名物になっている地域がいくつもあり、農家ではお客様をもてなすのにうどんを打ったらしい。農家のうどんはコシがあって実に美味い。
盛岡の風土に合わせて進化し、盛岡の人に愛されて育った独特の麺文化。盛岡を語る上で麺は欠かせない魅力であり続けることは間違いない。「じゃじゃ麺」は盛岡ではそんなに有名な食べ物ではなかった。NHK朝の連続テレビ小説『どんど晴れ』が驚きの高視聴率を維持し、その中で紹介されて一気に有名になった。塩辛く、単調な味付けに感じられるので、まだわんこそばや盛岡冷麺のような全国区となってはいない。

■はい、じゃんじゃん、のわんこそば

 「はい、じゃんじゃん」と給仕の掛け声とともに、おわん(椀コ)に入れられる一口ほどのそば。おかわりをすると、どんどんお椀が重なって行く。最初はお刺身やお新香などとともに食べているが、途中から「じゃんじゃん」のペースが速まって来ると戦いになってくる。この地方ではご飯にしても、食べると「ハイ、お代わり」と次々と出してくれるので、知らない土地から来た人は、「もう結構です」とも言い辛く、つい食べ過ぎてしまうことがある。これがこの辺りの「おもてなしの心」なのだ。「ハア、おいしがんした、もうおなかいっぱいです」と言って、それ以上のおもてなしを断てば良い。それで「お粗末様でがんした」とお開きになるのだ。 この地域では大勢の客が集まる宴席などでは、そばを振る舞う風習があった。一度に大勢の人が茹でたてのそばを食べられるように、小分けにしたそばをお椀に盛り、満足できるまでおかわりを勧めたことが「わんこそば」の由来といわれている。わんこそばは、もてなしの心を伝える食文化なのだ。
わんこそばも最初のうちはこの写真のように余裕綽々、笑顔もあり、手も差し出すが、徐々に顔が引きつってくる

黙っているとドンドンお椀の中に蕎麦が溜まる。思い切り口の中にそばを入れて、口からお椀を離さず、給仕が蕎麦を入れられない状況にして素早く蓋をすれば「ごちそうさま」だ。一瞬のスキを衝いて蕎麦がお椀に入ってくる、この愉快なゲーム感覚の駆け引きが、わんこそばの楽しさである。ちなみにおよそお椀15杯でもりそば1枚だから、男性で70以上は食べるから、皆さんもりそば5枚くらいは食べることになる。どうりで、動けないほどの満腹感を感じるし、価格もリーズナブル(\2500、\3000、\3500などコースあり、薬味の差、まずは\2500で挑戦しよう)に思える。もりそばなら、5枚注文する人はいないだろう。途中からは「美味しい」などというものではなく、眼が釣り上がり、お寺の門の仁王像のような表情で食うことになる。このそばは意外なことに「温かいそば」なのだ。そして薬味が、「なめこおろし」「マグロの刺身」「とりそぼろ」「のり」「ごま」「香の物」と付いてくるのが不思議な感じだ。写真のように若い女性が「はい、じゃんじゃん」とか、「ハ〜ドンドン」とか、「サ〜まだまだ」と言ってお代わりを入れてくれるので、メイドカフェならぬめいどわんこみたいなものだ。客3人に給仕1人、客の連帯と団結が大事であり、脱落者が出たところから一気に集中攻撃が始まる。

■原発問題
 政治状況はますます混迷状況に陥り、松本龍復興大臣はたったの9日で辞任、部落解放同盟のお偉方かなにか知らぬが、その不遜な態度は、被災者から猛反発を受けて、不本意ながら辞めた。「博多弁で、言葉も荒いもんで・・・」という釈明は九州人に失礼だ。いったい自分を何様だと思っているのか。玄海原発再稼働問題では閣内不一致が露呈した。海江田大臣の梯子を見事に外した菅総理は、民主党の執行部からも反発を食らい、四面楚歌どころか孤軍奮闘の体である。元来反原発の菅総理、反原発の世論に乗って切り抜けようとしている。冷静であるべきマスコミも、いささか感情的になっているように見える。日本製造業は電気を求めて海外へ脱出するという、とんでもない事態が進んでいる。原発の問題で、日本の安定した電気事情が覆る事態は、由々しきことだという危機感が現総理には無い。国民も情報を正しく認識していない。すでに日本国民の貧困率は米国に次いで2位である。貧富の格差が急拡大している。このままでは自分たちがドンドン貧しくなるのに、反原発のために我慢しようと考えている。昨年よりずいぶん早く梅雨が明けて、猛暑がやってきた。被災地石巻では7月の最高気温記録を更新した。高層マンションに移り住む人が増えて、もはや電気無しでは生活自体が成り立たない社会を作ってしまったのに、これまで15%節電でなんとかなると思っていただろう。しかし定期点検で停止した原発の再稼動が無理なら、東北電力、東京電力のみならず、中部電力も関西電力も四国電力も九州電力も深刻な電力不足に陥る。計画停電は再び現実味を帯びてきた。中国、インド、アジア諸国は原発を次々建設しようとしており、その運用も日本や韓国にノウハウを求めている。原子力にも火力にも頼らぬ自然エネルギー発電が理想だが、これは相当未来でなければ実現しない。日本だけが反原発と言っても、西方の国々が、なべて原発だらけになって行くのだから、もっと現実的にならなければならない。

■手付かずの現場復興
 7月9日(土)に、ある同窓会(土木関係)会合に来賓で出席した。ここに福島第一原発の冷却水工事のため5月連休から1日の休みも無く現場で働いて、やっと帰ってきたばかりの人が居た。またすぐ現場に引き返すそうだ。詳しく状況を聞いた。辛い作業だそうだ。もう10ミリシーベルト以上被爆している。頑張れ!と励ました。一方で別の人は東京電力の新しい火力発電所建設でおおわらわという人もいた。津波被災地の復興・復旧に協力しようと海岸線を北から南までずーっと回った人は、政府の無策のために全く工事が手付かずの現状に唖然としたと言う。現場からゼネコンは続々引き揚げている。復興と言いながら、仮設住宅以外は何も決まらず、このままでは事態は年末までたなざらしだろうと・・・
 解散・総選挙でも良い。とにかく一刻も早くこの事態をなんとかしないと、日本はとんでもないことになる。
(2011年7月10日)

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