180  美空ひばり

 「あなたは誰が最も歌がうまい歌手と思うか?」と聞かれたら、美空ひばりと即答する。本日は、“永遠の歌姫”、“歌謡界の女王”と称されるひばりの命日だ。そのイメージは、女性として初めてとなる国民栄誉賞に輝くなどの事実よりも悲劇のイメージがつきまとう。

 6月21日は夏至であった。英語ではSummer solsticeと言うがFirst day of summerとも言う。東京では朝顔市、ほおずき市、七夕と言った夏の風物詩が始まる季節で、確かにこれから夏という雰囲気だ。北半球では太陽高度角が一番高く、昼が一番長くて夜が短い日、南半球はちょうどこれが逆になる。北緯66.6度以北の北極圏全域で白夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で極夜となる。太陽高度が高くなる夏至を過ぎると熱い夏が訪れ、太陽高度が低くなる冬至を過ぎると寒い冬がやってくるのだが、日本の暦でも常に季節の先取りをしているように思える。太陽高度の変化と気温の変化のズレは、空気の熱伝導性、蓄熱性による。空気断熱という言葉があるくらいだ。地球を取り巻く大気が暖まりにくく、冷めにくい性質を持っているためズレが生じるのだ。特に暗い季節と明るい季節の変化の大きい北ヨーロッパでは、キリスト教がやってくる前の時代から夏至の日に祝う夏祭りが大切な祭りだった。今でもクリスマスに次ぐ祭りである。フィンランドでは夏至祭は都会を離れた田園の中で祝われる祭りなので、この日には町や都市にはすっかり人がいなくなってしまうという。

 さて本題、美空ひばりだ。本名は加藤 和枝(かとう かずえ)、横浜市磯子区の出身、愛称御嬢(おじょう)、血液型はO型、平成元(1989)年6月24日、52歳でその短い生涯を閉じた。歌のジャンルが幅広い、何を歌わせてもうまい、音域が広いなど数々の特徴があったが、何よりすごいのは若いときの歌を歌っても若いときのままの歌い方であり、声が年取らない感じだったこと。またどんな場面でもプロを感じさせるという面で他の歌手には無い凄みがあった。美空ひばりの公式サイト→クリック

 その生涯は波乱に満ちていたが、特に母兼マネージャーの加藤喜美枝を中心とした一家の結束がしばしばマスコミに語られた。本人はプロとして私生活を見せることを嫌ったが、母がいつも盾になっていたように思う。小林 旭との結婚は結局未入籍だったというが、加藤一家は結局和枝(ひばり)抜きには有り得なかったのだろう。実弟だったかとう哲也と香山武彦は偉大なる姉の恩恵にあずかったが、二人とも長生きはできなかった。かとう哲也が起こした事件によってトリの常連だった紅白歌合戦への出場が止まり、NHKとの関係は冷え冷えとしたものになって行った。その背景は山口組三代目組長田岡一雄のバックアップを受けた加藤一家の興行が、特にNHKの体質と相容れないものだったからだろう。ひばりの歌の中で筆者に印象深いものとしては、リンゴ追分(1952)、港町十三番地(1957)、柔(1964)、悲しい酒(1966)、真赤な太陽(1967)、愛燦燦(1986)、乱れ髪(1987)、最後のシングル:川の流れのように(1989)、この選曲は筆者が物心ついた後のものが多く、それ以前のものには日常的に接しなかったので、現在60代、70代の方はまた別の曲を挙げるだろう。小林 旭との離婚直後の「柔」以降の立て続けのヒット、事件によりTV出演が激減した1970年代は流石にヒットは出なかったが、小椋 佳が提供した「愛燦燦」以降、やはり日本最高の歌手はひばりだという評価が定着したものの、1987年公演中に倒れて入院、退院してすぐ「乱れ髪」のレコーディングで復帰、東京ドームでの「不死鳥コンサート」は鬼気迫る如くの印象であった。

 美空ひばりには子供がいなかったので、弟・かとう哲也の子、和也を貰い受け、養子とした。和也に対する母としての愛情は有名である。しかし和也17歳のとき思いを残してひばりは逝った。加藤和也は現在、株式会社ひばりプロダクション、藤和エンタープライズ代表取締役社長として、美空ひばりの息子であることを実業の種にしている。さすがに加藤一家、美空ひばりの肖像権もすべてビジネスにしている。

 「川の流れのように」は秋元 康の作詞である。美空ひばりの最後の曲にふさわしい歌詞である。

♪知らず知らず 歩いてきた 細く長い この道
♪振り返れば 遥か遠く 故郷が見える
♪でこぼこ道や 曲がりくねった道
♪地図さえない それもまた人生

♪ああ 川の流れのように ゆるやかに
♪いくつも 時代は過ぎて
♪ああ 川の流れのように とめどなく
♪空が黄昏に 染まるだけ

 ワールドカップ 

 やはりブラジルは強かった。奇跡は起きなかった。ロナウドは前回ほどの迫力は無かったが、ロナウジーニョはいつもながら素晴らしいテクニックだ。ブラジルはロベルトカルロスもアドリアーノも出場しなかったのに、4点も取られてしまった。格が違い過ぎる。日本の課題はディフェンス、オフェンス両方にあったが、特にフォワードだ。体のデカイ、スタミナのある選手が欲しい。玉田のシュートは素晴らしかったが、ブラジルのミドルシュート、ロングシュートの素晴らしさを見せられると、確率面からも日本は苦しい。試合前に中田が笑顔でロナウドと話している画像を見て、なるほどヨーロッパでプレィしているだけに国際的な選手なんだなと認識した。しかし中田も相手がロナウジーニョだと見劣りする。中村と加地は通用すると思った。

6月18日は『父の日』だった。母の日に息子から高級ワインが届いたが、父の日には何事もなかった。妻はきっと何か来るよと言っていたが、多分そうならないと思っていた。父とはそういうものだ。しかしあと数年経てば事態は変わる。自分がそうだったから(^_^) さて父に絡んだ話をメルマガから。

○夕食を食べていたら、父あてに電話があった。電話に出た後、父は「しまった」と言い、急いで出かけた。どうしたのかと思ったら、自分の送別会をすっかり忘れていて、時間になっても来ないので、呼び出されたそうだ(まひる)

○お母さんが安いアジをたった1枚買って来た。父曰く、「これはどいつんだ?」息子「おらんだ!」 この家族の会話は常にグローバルだ。産地表示が義務付けられて、魚も遠い国からやってきていることを実感する。鯖や鮭もノルウェー産などが多い。蛸はモロッコ、海老はペルー、鮪は太平洋だって!(あじな家族)

(2006年6月24日)

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