171  東京大空襲

 靖国神社春の例大祭が4月21日(金)から23日(日)まで3日間執り行われている。22日の「当日祭」は、全国から集った遺族他が多数参列のもと、思いも新たに戦歿者246万6千余柱の「御霊」のご冥福と、平和を祈念する。小泉首相の参拝をめぐり中韓両国との軋轢が続き、今また竹島問題が日韓両国のきしみを生じさせている。戦歿者を供養することは当然のことであり、小沢一郎民主党代表がA級戦犯が合祀されていることを「戦没者とは言えない者を祀るのはおかしい」と言うこともまた然りである。かつての日本が戦争を起こしたことは誤りであり、周辺の国々に陳謝するという日本国政府の見解が厳然として存在する。敗者は戦争犯罪を追及されるが、果たして戦争犯罪は敗戦国のみが負うべき罪であろうか?
 昨週ある人と飲んでいて「東京大空襲のときは子供なので疎開していたが、親戚など多数亡くなった」という話を聞いた。その翌日災害の研究会で東大名誉教授が当時の生々しい話をされ、いかに悲惨なものであったかを聞かされた。

靖国神社の大鳥居
自然災害ではなく、計画された人為的災害であり、しかも軍隊を攻撃するのではなく民間人を無差別殺戮する、これを戦争犯罪と言わずして何と言うべきか?かつて日本国民はアメリカをもっとも好きな国として挙げ、迷惑をかけた中韓両国にはあまり良い印象を持っていなかったが、最近ではこれが逆転している。ところが国民感情とは裏腹に日本国小泉純一郎首相は米国追従を掲げ、中韓両国とは首脳の相互訪問もできない状態にあって、経済界もやきもきしているというのが現状である。米軍の庇護のもと、経済発展にいそしんできた日本とはいえ、近隣諸国こそが仲良くする第一の相手ではなかろうか。
 東京都区内を歩いていると随所に東京大空襲の被災(害)者を追悼する碑や地蔵を見かける。夫や父を戦場に送り、銃後では女性たちが勤労奉仕にかり出された。昭和19年、日本の敗色が濃くなってくると、毎日のように東京をはじめとする大都市を中心にB29による空襲があった。子供たちは親元を離れ、集団疎開で一家がバラバラになり、正常な生活を送ることができなかったという。1945年3月10日午前0時8分、東京の下町上空に侵入した米軍B29爆撃機が、大量の焼夷弾による爆撃を開始。マリアナ諸島を発進したB29は300機を超え、高度約2千メートルから日本の家屋用に開発したM69焼夷弾でじゅうたん爆撃した。現在の墨田、江東、台東区などにあたる当時の本所、深川、城東、浅草の各区などで大火が発生、2時間余りの爆撃で、死者は約10万人、負傷者約4万人、被災家屋約27万戸。米軍調査によると、焼失面積は41平方キロに上り、米軍機の損失は14機に過ぎなかった。この模様は東京大空襲というホームページに詳しいが、衣服を焼かれた黒焦げの死体の中に幼いこどももある。疎開できなかった親子であろう。
 読売新聞の社説[東京大空襲]「明らかに『戦争犯罪』だった」(2005/03/10)には「東京大空襲は、初めから一般市民を主目標とした大量虐殺作戦だった。明らかな国際法違反である。軍事関連施設に目標を絞った爆撃で戦果を上げることができなかった米軍は、焼夷弾を使って市街地を焼き払い日本国民の戦意をそぐ作戦に転じていた。東京大空襲で“成功”した米国は、3月12日に名古屋、13、14日には大阪へと軍民無差別爆撃の対象を広げて行く。終戦までに150前後の都市が空襲され、犠牲者は50万人に上った」として米国の戦争犯罪を追及している。
 また産経新聞の社説「東京大空襲 勝者の非人道性も検証を」(2005/03/10)では「この空襲を指揮したカーチス・ルメイ少将が戦後、『航空自衛隊の育成に貢献した』として日本政府から勲一等旭日大綬章を受けたのは、皮肉なめぐりあわせである。無差別爆撃と広島、長崎の原爆を合わせると、犠牲者総数は五十万人を超える。戦争とはいえ、これだけの民間人を組織的、計画的に殺害した行為は、あまりにも非人道的である。米軍の無差別爆撃、原爆投下とともに忘れてならないのは、終戦直前、旧ソ連軍が日ソ中立条約を破って満州に侵入した行為である。関東軍将兵ら六十万人がシベリアなどに抑留され、うち六万人が強制労働で死亡した。満州や朝鮮半島から引き揚げる途中、ソ連兵の暴行などで死亡した日本人は二十万人を超える。・・・(中略)・・・ 戦争はいつの時代も、勝者の側から見た歴史だけが語られがちである。戦後六十年を機に、敗戦国日本の側からも冷静に戦争を見つめ直したい」としている。これらいわゆる保守系新聞が米ソの戦争犯罪を糾弾していることは、日本国民の感情がここに凝縮していることを物語る。
 この残虐な焼夷弾投下作戦を指揮したカーチス・ルメイ少将に勲章授与を決定したのは池田勇人内閣で、そのときの防衛庁長官が小泉純也(小泉純一郎の父親)である。米国はその後もベトナムで大量の焼夷弾や枯草弾を投下し、続いてアフガニスタン、最近ではイラクでも同様の行為をしている。米国民も今でこそイラク戦争反対の世論が過半数となったが、欧州と異なり、本土を爆撃されたことの無い米国民にとって2001年9月11日の同時多発テロの衝撃が仏独露中の反対を押し切ってイラク侵攻の引き金となる世論の後押しになったのであろう。しかし、歴史上米国による最大の被災者は日本である。それが米国を支持したことは、靖国に祀られる英霊に対し申し訳ないと思えてならない。
(2006年4月22日)

次週へ  先週へ  最新ページへ    続編