82  戦争の記憶
 八月になった。毎年この時期になると、新聞、テレビを始めとする日本ジャーナリズムの世界では、突然戦争が語られ、論じられる。8月6日の広島原爆忌、8月9日の長崎原爆忌、8月15日の終戦記念日、そう言えば今年は終戦59周年だ。戦争がいかに悲惨か、平和が大事かが語られて、15日を過ぎると潮が引くようにこの話題は消えて行く。まさに「年中行事」だ。
 「お国のため」と戦争で散って行った多くの若者、民間人、その犠牲を思うとき、鎮魂の思いを禁じ得ない。しかしながら従軍した親や親戚の生々しい話を聞き、戦後、敵であったはずの米国の庇護のもと、未曾有の繁栄を謳歌してきた我々団塊の世代は、あの戦争は何だったのかとの思いを抱きつつ、有難い平和の中でぬくぬくと生きてきた。幸せなことである。それでも世界では第2次世界大戦の後も各地で内戦が続き、今もイラク問題があって、心安まるときが無い。
『戦争の記憶』という本が出版された。副題は「問われているのは何か」・・・文教ひろば共著集(市井社) 編集主幹:山田武秋氏(団塊の世代) 『ハチマキ』にある文章は下記の通り。
この書は、戦争の是非を論じたものではない。
戦争を論じる前に読む本である。
今、いちばん恐ろしいのは、戦闘地域よりも机上で戦争を論じる感性・了見の狭さである。
大切なことは、憲法を読む前に戦争とは何か、その真実を知ることだ。
法の前に、生きることはなにか、人間とはなにかを深く問うことだ。
真実は、歴史ではなく、人間の記憶の中にある。
再び過ちを繰り返さないために、本書を読んで記憶を蘇らせて欲しい。
 序章の中村敏子さんの体験は豊川海軍工廠での学徒動員時、広島原爆投下の翌日、1945年8月7日、終戦の1週間前の大空襲。5万6千人が働き、約6千人の動員学徒が居た。124機のB29が飛来して26分間に250kg爆弾を3256発、814d投下して2544名死亡、戦没学徒452名、負傷者1万人、うち重傷者3千人という大惨事になった。同じ家から通い、同工廠に勤めていた従姉も同級生も先輩も後輩も死んだ。その悲惨な有様を改めて文章で突きつけられると戦争と言うものの恐ろしさ、米軍の容赦無い攻撃の凄まじさが戦慄とともに迫ってくる。
 この本は68編の戦争体験の集大成であり、今は名士となった様々な人がそれぞれの立場で戦争の体験を書いている。したがって反戦のための本ではない。事実を伝えて読者に当時の模様を知ってもらいたいというものだが、読めば読むほど恐ろしくて、何故こんな戦争をしたのだろうと否応無しに考えてしまう。スイトンや芋ご飯を戦時下の食物としてTVで紹介しているのを見て、「配給下でそんな結構なものを口にできることなどなかった」という話もあった。戦時下で、産めよ殖やせよの国策のため学校は生徒で溢れ、栄養失調で餓死する子もいたという。
 我が亡き伯父は戦後しばらくシベリアに抑留されて帰ってきた。温厚な人だったが、誰一人として戦争の話を聞いたことがないままに長生きの人生を終えた。話したくない経験だったのだろう。亡き父は筆者が小学生の頃、学校から帰ると家の横壁に蛙や蛇をぶら下げて干していた。気持ち悪いと言うと、「何を言うんだ、フィリピンではこういうものを食べないと生きていけなかったんだ。有難い。ねずみやトカゲは大ごちそうだったんだ」と言われた記憶がある。自分が生きているのは何のお蔭かと思うとき、こうやって忘却の歯止めをかけていたのだろう。父は師団の中で数少ない生き残りだった。99%は死んだ。70歳を過ぎるまで蛙や蛇のような食べ物の話し以外はやはり重い口を開かなかった。兵は皆、おおっぴらには言わなかったが、この戦争は勝てないと思っていたそうだ。船を沈められて死んだり、行軍途中マラリアで死んだり、食べられなくて餓死したり、最初は粗末でも墓標代りの木の枝など立てていたが、しまいにはそれすらできなくなった。わずかの仲間の兵士と精も根も尽き果てて洞穴にいたとき米軍に発見された。洞窟への火炎放射で焼き殺されたり、問答無用で撃たれたりした仲間が多い中、殺されなかったのは幸運としか言いようがなかったと言っていた。米兵にもいろいろなタイプの兵士がいたのだろう。捕虜になって最初の食事を与えられたときビックリしたそうだ。缶詰の肉が入った大御馳走で、捕虜の食事でさえこうなのか・・・・、骨と皮だけの体で目だけがギョロギョロしていた日本兵達は、こういうものを食べてる兵隊達と戦っていたのかとため息が出たという。床屋だった父は米兵の頭を刈ってやったら喜ばれて甘いお菓子をもらい、それを捕虜達に分け与えて人気者になったそうだ。収容所生活の間、父の床屋は大繁盛したそうだ。戦争をしていなければこうして仲良くなれたのに。
 NHKが「正義の戦争はあるか」という番組を制作したことがあった。その中で一人のアメリカ人女性が「人権」を守るためには戦争も必要だと強く主張していた。「人権」のために戦争をする、戦死する人には「人権」が無いのか?今は退官した元自衛隊の友人が言った。自衛隊は国を守る組織だから、相手から攻撃されれば反撃する。言わばぶん殴られなけりゃ殴り返さないのだから、決して怖い組織ではないのだ、と。
(2004年8月1日)


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