27  蕎麦

   岩手県盛岡市の名物のひとつに「わんこそば」がある。ひとくち分のそばがお椀に入れられ、店員の女性と客が掛け合い漫才よろしくそば食い競争する。客が食う、店員が入れる、食う、入れる、「もうたくさん!」という客はお椀を空にして蓋をする。ところが空にしたと思ったソバからそばが飛んできてお椀に入る。つゆも飛ぶからエプロンをして食べる。「勘弁して!」と客の悲鳴、「ダメ!」と女性店員。決して地獄ではないのだが、なんとも楽しい光景だ。およそお椀15個でざる1枚に相当する。大人の男性で70杯ぐらい食べるだろうか?

埼玉県入間郡三芳町のそば畑(6月)

岩手県盛岡市のわんこそば

   そばは冷えたそば、熱いそば、どちらもおいしい。そばは日本固有の食品のように思いがちだが、これがとんでもないことに、イギリスやフランス、ドイツをはじめ中北欧諸国では、つい二、三百年前まで蕎麦を常食としていたそうだ。当時のヨーロッパではまだ開墾作業が進んでいなかったうえに土壌がやせ地または荒地で、さらに気候が寒冷という厳しい状況であった。蕎麦の特徴「どんなやせ地でも育つ」は、中世ヨーロッパでもすでに知られていたことになる。そういえば日本でも蕎麦の有名なところは信州や北東北、北海道である。蕎麦の原産地は、東アジアの北部、アムール州の上流沿岸から中国東北部のダウリ、バイ'カル湖にわたる広い地域という説と、中国西南部の山岳地帯・雲南省という説とがあるそうだ。またこの一方で、エジプトのナイル河流域をはじめ、バビロニアのチグリス・ユーフラテス両河川域、インドのインダス河流域、中国の黄河流域などには、はるか古代、そばが栽培されていたとみられる跡や、そばの種子などが発見されている。日本では、元正天皇養老六年(七二ニ年)のころ、そばは救荒作物として植えつけを勧めたことが古文書に記されている。そばは中国から朝鮮半島を経て導入されたと推測できる。そばの栽培自体は少なくとも、約三千年前の縄文晩期に始まったとみられ、静岡の『登呂遺跡』は、この新石器時代から金属時代に移行する弥生式文化の中期ころのものだが、ここから出土した土器のなかにも、大麦や小麦、そば、しろえんどうまめ、まくわなどの畑作物が発見されている。つまりそばは、石器時代の人びとにも愛用され、食糧の一部として食べられていたことが確実であるということになる。

   それではそばにまつわる勉強をしよう。下記は「蕎麦らんどどっとこむ」から主として引用した。

そばは健康食品

腹一杯食べても胃にもたれる感じがなく、すぐに消化吸収されるのが蕎麦。良質のタンパク質を豊富に含んでいる。タンパク価は米65に対し、そば92と、鶏卵100に匹敵する高さを示している。多くのビタミン類が含まれていて、特にビタミンB群が豊富、心臓病予防の効果、食欲不振の解消効果があると言われているビタミンB1が米の4倍、小麦粉の2倍、高血圧、動脈硬化の予防効果、皮膚や粘膜を健康に保つのに欠くことのできないビタミンB2でも米の4倍含まれている。また、これもビタミンの一種であるコリンを含んでおり、これは肝臓を保護し強化する効果があると言われている。そばにはポリフェノールの一種であるルチンが豊富に含まれていて、これが毛細血管の強化や膵臓機能の活性化、記憶力の強化などの効果があるとされている。そば粉のカロリーは100c当たりで約360`カロリー、白米100cのご飯は340`カロリーで、ほぼ同じ、ちなみにパン100c当たりのカロリーは、食パンで260`カロリー。つまりそば、ご飯、パンとも、それだけを食べる分にはカロリーに大きな違いはないが、ご飯やパンは栄養成分の組成バランスがあまり良くないため、それだけ食べるのでは栄養的にかなり偏りのある食事になるのに対して、そばはタンパク質含有量が多いだけでなく、アミノ酸スコアが非常に高く、しかも、ミネラル、ビタミンも程良く含んだ栄養バランスの良い食品である。主食とおかずの組み合わせを基本とする他の食事パターンと比較した場合、そばが低カロリーでヘルシーな食べ物であることは明らかである。また、そば粉には4〜7%の食物繊維が含まれており(小麦粉の約2倍、白米の8倍以上)、よく知られるように、食物繊維は便秘の予防や解消に効果がある。

生蕎麦

そば店の看板に「生蕎麦」と書かれているのをよく見かける。これは「きそば」と読み、本来の意味は、つなぎをまったく使わないでそば粉だけで打ったそば(10割そば)である。なぜこのような言葉が生まれたのかと いうと、江戸時代中期以降に高級品の小麦粉をつなぎとして使うようになる。当初は麺のつながりをよくするために用いられていた小麦粉の量が徐々に増えていき、そばの品質の低下を招き、二八そばが粗悪なそばの代名詞になったため、高級店が格の違いを強調するために「生蕎麦」や「手打ち」を看板に掲げるようになったのである。しかし、この時代には製麺機が無かったので、どちらも手打ちであった。ところが幕末頃になると、二八そばまでもが「手打ち」や「御膳生蕎麦」を看板にするようになったため、その区別が なくなったしまった。現在では、「生蕎麦」や「御膳」と看板、暖簾に書かれているのは、そのなごりであって生粉打ちそばの意味ではない。

そば湯

そば湯とは、そばを茹で上げたお湯のことで、これにはそばを打つときに用いられるうち粉が溶け込んでいたり、そばを茄でている時にそばから抜け落ちてしまう栄養分が十分に含まれている。そのために、そば湯を飲むのには、ただつゆをうすめて飲むと いう事のほかに、そばから溶け出た栄養分を補うという目的も含まれている。

せいろとざるの違い

江戸の元禄の頃からぶっかけそばが流行るにつれて、それと区別するため、汁につけて食べるそばを『もり』と呼ぶようになった。これはそばを高く盛りあげる形から生まれた呼び名だが、その盛りつける器から『せいろ』『皿そば』など、器の名前が転じて呼ばれる場合もある。せいろとは蒸し器のことで蒸篭と書く。昔は、そばを茹でずに蒸し器で蒸して食べたので『せいろ』と呼ばれた。『ざるそば』は江戸中期、深川洲崎にあった「伊勢屋」でそばを竹ざるに盛って出したのが始まりという。

引越そばの由来

引越そばは、現在では利用されることが少なくなったが、生活行事として残っている。引越の後、家主や差配、向こう三軒両隣に挨拶のため、そばを配る習慣は江戸末期から始まった。江戸末期、二八そばが主流になると、そばが長く切れないことから、「おそばに末長く、細く長いおつきあいを」という縁起を担いで、そばが珍重され始めたといわれる。

年越しそばの由来

大晦日にそばを食べる風習は、江戸中期には民間に根づいていたようだ。しかし、なぜ大晦日にということになると、@そばのように細く長く生きて寿命を全うし、家運も末永く続くようにとの願いから、そばを食べるようになったという説、Aそばは切れやすいので良いという説。そばのようにさっぱりと一年の苦労や災いと縁を切ろうとの願いから、そばを食べるようになったというもの。

薬味=葱

関東では、白ねぎ、根深ねぎが、関西では青ねぎ、葉ねぎが好まれている。白ねぎとしては群馬の下仁田ねぎ、埼玉の深谷ねぎ 、戦前までは、千住ねぎ、現在は草加ねぎが最上とされている。関西では、京都の九条ねぎ、大阪の難波ねぎが有名だが、今はほとんど作られていない。

薬味=大根

江戸時代には、辛味ダイコンのおろし汁で蕎麦を食べるのが普通であった。今はほとんど使われていないが、福井県では越前そば、からみそばとよばれ、だいこんの汁をかけたり、生醤油を加えたりといった独特のそばを食べさせたりしている。ダイコンにはジアスターゼという消化酵素が多く含まれているので、蕎麦屋で天麩羅や鴨を食べる時には、薬味として多く使われる。

薬味=山葵

ワサビの生産地としては信州安曇野、伊豆、宮崎が有名である。しかし昔からワサビは高価であったため、一般にはあまり使われなかった。ワサビは熱に弱いので、冷たい蕎麦を食するのに合う。戦後になって広く普及した粉ワサビは、西洋ワサビ 、ホースラディッシュ、ワサビ大根を乾燥、粉末化した後、ワサビにちかいフレーバーをつけ、洋辛子で辛味を補ったものである。

薬味=七味唐辛子

七味(しちみ)というのは関西の言葉であり、関東では七味なないろ唐辛子と呼ぶ。七味に使われる原料は辛味種の粉末唐辛子、陳皮みかんの皮、ゴマ、ケシの実、サンショウの粉、アサの実、シソの実、菜種、青海苔 などが配合されており、味の傾向としては、関東では辛味が強く、香りと味はあっさりしているのに対して、関西では、この逆である。特に日本産の鷹の爪は、品質が良く辛味が非常に強いため、この実を乾燥させ粉末にしたものが一味唐辛子として珍重されている。七色唐辛子の老舗は、東京は浅草、京都は三年坂上、長野の善光寺前にある三店が有名である。

(2003年7月12日)

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