大井ウエスト試合結果  

第37回毛呂山町長杯少年野球大会


 毛呂山町への行き方   鎌倉街道歴史散歩   1回戦   2回戦   熱視線   準決勝・決勝 


組合せと結果

毛呂山町長杯は合宿後の後半戦最初の大会です。3月〜7月の前半戦、8月第1土日の合宿、8月〜12月の後半戦、オフの1〜2月でお別れというのが年間スケジュールです。選抜大会なので、例年強豪とばかり当りますが、ウエストはこの大会には2011年から参加、8年目です。2011年は6年生が2人だけで初戦敗退でしたが、6年生4人の2012年第3位、6年生6人の2013年優勝、6年生3人の2014年第3位、6年生4人の2015年準優勝、6年生7人の2016年は優勝でした。2017年は2011年同様6年生が2人だけで初戦敗退でした。6年生3人の2018年は、2回戦惜敗でした

   鎌倉街道歴史散歩

埼玉県毛呂山町大類ソフトボールパークA面左翼の看板

延慶の板碑
 2018年8月26日(日)の大類グラウンドは、朝から物凄い暑さ、朝8時にして既に直射日光は肌を刺すように痛い、その前日25日(土)の西原小学校のグラウンドも暑かった、さすがに夜は熱中症症状になりました。岐阜県岐阜市の終末期病院で、エアコンが故障して老人5人が立て続けに死亡したぐらいですから、まさに殺人的暑さでした。
 埼玉県毛呂山町というのは森林を背景に、埼玉医科大学病院がデーンと鎮座する町です。豊かな自然に恵まれています。スポーツ選手を多く輩出しており、有名なのは水泳の瀬戸大也選手ですね。町の観光大使でもあります。他にも旭化成陸上部コーチで2000年シドニー五輪男子マラソン日本代表、元東洋大学陸上競技部監督の川嶋伸次さんや、たけし軍団のダンカンなどが居ます。そういえば、女優・歌手の大竹しのぶは東京生まれですが、しのぶが小学校1年のとき、お父さんが結核となり、家族で空気の良い埼玉県入間郡毛呂山町に引っ越し、父は高校の数学教師となりました。しのぶが中学2年のとき、東京に戻り江戸川区の区立中学に編入したそうです。あの天然キャラは毛呂山育ちかもしれませんね。
■大類グラウンド周辺は遺跡だらけ
 大類グラウンドの周辺は苦林の古戦場や古墳群が沢山あり、グラウンドの下には遺跡が埋まっています。隣に毛呂山町歴史民俗資料館があります。その間を「鎌倉街道上道(かみつみち)」が通っています。毛呂山町のホームページ参照


「道・鎌倉街道探索日記」鎌倉街道上道埼玉編(個人ホームページ)より転載

■延慶の板碑
 まむしに注意しながら川角古墳群の林を散策していたら、若い男女が多数、何やら測定しています。「何をされているんですか?」と訊ねたら、女性が「私たちは駒澤大学の者です。毛呂山町歴史民俗資料館の要請で、各古墳の二次元等高線図を作成しています」と丁寧に説明してくれました。彼女は大学院生とのことでした。「延慶の板碑」の案内標識をもとに、またぶらぶら歩いて、舗装道路に出たのですが、それらしいものは見当たりません。大学生の男に「えんぎょうのいたひはどこにあるかわかりますか」と訊ねたら、「えんぎょうのいたびですか、ぼくもワカリマセン」と、隣の女子学生にも聞いてくれましたが首を横に振ります。この若者たち、やたらに親切なので「いいです、自分で探します」と、作業の邪魔にならないようにおいとましました。「延慶の板碑」は、元々は崇徳寺跡に立っていたそうですが、昭和35(1960)年に板碑のすぐ西側に道路を作り、通行者の目につくようになったため、子どもたちなどが板碑に石を投げたりして破損するなどして保護する必要に迫られ、2年後に現在地に移設されたそうです。道路わきに立っていた案内標識の方向へ草を掻き分け入って行ったら、林の中にありました。これは分かりにくいです。「来ないで下さい」と言っているみたいでした。延慶3年(1310)と刻まれた塔婆は、高さ3メートルもある大型板碑です。板碑というのは石の板です。青みがかっています。梵字(種子)の彫りも深くシャープで美しいです。700年経っているとは思えません。大変恥ずかしながら、「いたひ」だと思っていました。野球に負けてもただでは帰れない、グルグル散歩8千歩、お蔭でまた一つ賢くなった歴史散歩でした。

■鎌倉街道
 平安時代の後半から室町時代の関東は、様々な武士たちによって支配されていました。彼らは、未開墾地を開発して開発地名を名乗りました。ふじみ野市周辺では、河越氏、仙波氏、大井氏、難波田氏などです。
 彼らは源頼朝の鎌倉幕府創立に貢献し、鎌倉幕府滅亡後の南北朝・室町時代の争乱でも活躍しました。市内にはこれらの武士が鎌倉との往来に利用した鎌倉街道と伝承される古道があり、その近辺から、死後の極楽往生を願う当時の武士・民衆の信仰の一端をうかがわせる板碑(いたび)が出土しています。大井郷土資料館や上福岡歴史民俗資料館に行きますと、これら板碑が展示されています。
 これらの板碑は、埼玉県の長瀞町や小川町などでとれる緑色っぽい石を使っています。トラックも無い時代によく運んだものですね。資料館以外でも、板碑が残っている寺や墓地など(特に新河岸川や川越街道に近いところ)があります。天台宗・徳性寺に行ってみて下さい。
埼玉県内の主な鎌倉街道地図
埼玉県内の主な鎌倉街道
 東原小学校のあたりは、昔から「もとの村」という意味の「本村(ほむら)」とよばれ、鎌倉時代から室町時代にかけて村があり、「大井郷」だと考えられています。江戸時代の初めに川越街道が整備されると、この村が西へ移転して「大井宿(おおいしゅく」になりました。上福岡駅の近くから亀久保を通り、大井弁天の森の近く、復元大井戸から大井分館の前に「古坂(ふるざか)」とよばれている坂がありますが、この道がまさに鎌倉街道と言われています。古坂をのぼって、さらに三芳町藤久保の方へと続く道が鎌倉街道と伝えられます。
三芳町の鎌倉街道  クリック

 【1回戦】8月19日(日)11時15分〜12時46分 大類ソフトボールパークB面B-2 三塁側

チーム 1 2 3 4 5 6
鶴ヶ島イースト 1 0 0 0 0 0 1
大井ウエスト 0 0 0 2 1 × 3

勝利投手:横山将吾   本塁打:無し

戦況: 鶴ヶ島市には八つの小学校があり、六つの少年野球チームがあります。しかし児童が減ってきたことも有り、鶴二少年野球クラブは藤少年野球クラブや栄少年野球クラブとともに鶴ヶ島イーストというチームを組んで試合に臨むことがあるようです。この日はチームの垂れ幕が鶴二少年野球クラブと藤少年野球クラブでした。この日はイーストとウエストの東西対決です。鶴ヶ島イーストのエースで四番は坂田投手、身体が大きくてゆったりと投げてくる投手です。ゆったり投げるというのは、力が入っていないので高めの球などは伸びて来ることが多いのです。したがって高めは振らないことです。一方のウエストは将吾が投げて颯大が受けます。先頭打者をポンポン2球で追い込んで、ここからボール、ファウル、ボール、ファウル、ボール、そしてボール!歩かせました。2盗して2番サードゴロ、1塁送球を見て三塁へ、良い走者です。3番打者は左中間ライナーの二塁打で1点先制されました。しかしこのランナーはけん制で誘い出してタッチアウト。4番見逃し三振でチェンジ。ウエストはその裏、洸が1ボール2ストライクからの5球目うまくセンター右へヒットして、ピッチャーのけん制悪送球で2塁へ、里紅が送りバント、うまく三塁前に転がしてこれが安打となりました。盗塁して無死2、3塁の願っても無いチャンス、バッターはクリーンアップ、間違っても点が入るでしょう。ところが将吾空振り三振1アウト、蓮スクイズが上がってしまいピッチャー捕ってアウト、3塁送球〜洸戻れず併殺!その後将吾と颯大のバッテリーは投球〜捕球〜返球〜投球・・・のリズムが良くなり、相手に考える時間を与えずポンポンアウトを重ねます。ファーストやセカンドのエラーでランナーは出しますが、けん制アウトが二つあったりで点を与えません。4回裏に将吾が四球で出て、蓮はファーストフライに倒れましたが、2盗、3盗で3塁に進み、大稀が3塁前に転がし、本塁送球セーフの野選となって同点に追いつき、大稀も2盗、3盗から颯大のレフト前タイムリーヒットで生還、2-1逆転しました。5回裏には和哉が四球で出て、洸の投ゴロで2塁へ進み、里紅はショートフライ、しかしコレを落とすエラーで1死1、2塁、ここで将吾が3ボール1ストライクから打った打球は高く上がる、70mのライトフェンス越えたか?と思う当りはフェンス前に落ちる、と、と、2塁ランナーの和哉が打球を見ている、里紅が1塁から走ってくるのを見て慌てて走り出した、将吾も1塁回る、外野から中継して本塁へ球が返って来る、和哉を追い越さないように里紅が直後を走る形で本塁突入、和哉はセーフ、里紅アウト、記録は二塁打、長年スコアラーをやっていても見たことの無いような珍プレーでした。2塁ランナーはコーチャーが近くに居ないので自分の判断の走塁になりますが、ファウルになると思った?しかしどう見てもライトのはるか頭上、ファウルになっても捕れるはずのない大飛球ですから、タッチアップすら考える必要無し、普通走るでしょう。それに2塁ランナーなら打球がどこに落ちるか、近いから見えるはずなのに,,,蓮はショートゴロでチェンジ、最近絶不調なので3番から4番に下げたのですが、相変わらず不調です。将吾は6回まで98球、好投手なら80球ぐらいですが、颯大とのリズムが途中からよくなってポンポン打者を追い込んだので、いつもの100球を越えるピッチングではなくなり、バックに足を引っ張られながら1失点完投。6回裏二死からまた颯大がライト左へヒット、大河四球、打席には6回表から和哉に代えてライトの守備に入っていた舜、最近メキメキ上昇中なので期待しましたが球審は「集合!」、残念時間切れでした。

 【2回戦】8月26日(日)9時00分〜 大類グラウンドB-1

チーム 1 2 3 4 5 6
西埼玉少年野球 1 1 3 0 1 0 6
大井ウエスト 0 2 3 0 0 0 5

敗戦投手:横山将吾   本塁打:横山将吾

戦況: 1回戦でウエストの試合前に上福岡パワーズが対戦していた西埼玉少年野球というチームは、飯能市の精明スワローズという名前でした。飯能市の強豪チームで、かつてはしばしば大井ウエストと対戦していました。この試合では3回表にドドンと4点取りましたが、それ以外はゼロ行進、上福岡パワーズが6回裏に2点とって反撃、しかし7回表裏どちらも0点で試合終了。西埼玉少年野球の投手は背が高い投手でした。パワーズが粘りに粘るのですが負けません。この投手はしぶといなと思いました。しかし全般に小兵で怖さを感じさせないチームとの印象でした。
さて8月26日の大類グラウンドは暑い!まだ朝8時だというのに直射日光がジリジリと熱く肌を突き刺し、ステーキみたいに焼かれそうです。西埼玉少年野球の先発投手は背が高い高野投手、ウエストはお馴染み横山将吾、ヘンな試合でした。お互いにミスしまくり、スッキリしない試合でした。全般には西埼玉少年野球が長打は無いもののコツコツ7安打を放ち、ウエストはと言えば大稀のレフト前と将吾のソロホームランのみ、したがって負けたのは当然ですがどうして1点差かというと、それが・・・
続きを書きます。ウエスト先発は横山、1番打者にショート内野安打からパスボール2個でランナー3塁へ、スクイズ!ヤラレタ〜と思ったら反則打球!ランナー3塁へ戻されラッキーと思ったらワイルドピッチ!何なのコレ?その裏ウエスト10球で三者凡退。2回表は四球から8番打者に1塁頭上、ライトも捕れぬ三塁打で加点されました。2回裏蓮が歩き、大稀がレフトへヒット、ピッチャーの1塁けん制悪送球で1点、コスモが送り、颯大のセカンドゴロの間に大稀ホームインして同点。3回表3安打とファースト野選やキャッチャー悪送球などで3点取られて突き放されました。しかしその裏、洸から始まる上位打線、しかしピッチャーゴロ、諦めてチンタラ走る洸の背後からピッチャーが1塁送球、こういうとき、1塁手は思い切り2塁寄りに手を伸ばし、「さあ、来い」と球を呼ぶ、投手も少し内側に走って送球するのがセオリーですが、モロにランナーの背中に当たらないように投げたらコレがライトへ抜ける、続く里紅も投ゴロ、ピッチャー捕って2塁送球、ところがこれがセンターへ抜ける、2塁バックアップに走ってきたセンターの横をボールが抜ける、さあ、大類グラウンドはプロ野球規格のグラウンドですから球はテンテン
テンテン・・・洸、里紅相次いでホームイン。ピッチャー独り相撲でガックリ、迎えるは3番将吾、2ボール1ストライクからバッシ−ンとセカンド横をライナーが突き抜けて行く、これはもうゆっくりホームラン、同点に追い着きました。4回表西埼玉少年野球三者凡退、流れは完全にウエストへ来ました。その裏7番からの打順、颯大レフトフライ、大河見逃し三振で2アウトになりましたが、和哉がしぶとく歩き、洸も1ストライク後の2球目デッドボール、たまらずピッチャー交替、しかし里紅もフルカウントから四球を選んで2死満塁、ワッショイ!ウエスト、ここで3番将吾、頼むぞ、しかし初球ファーストゴロで三者残塁、しまった〜〜!具体的に指示してなかった!強い年のウエストなら、アレコレ言わなくても選手は分かっていたのですが、昨年からこれが途切れてしまったのを忘れていました。いちいち具体的に指示しないと分かりません。ピッチャー交替していきなり歩かせて満塁にしてしまった、投手心理としては「しまった〜」と考えてドキドキです。当然ストライク取りに来るはずですから初球狙うゾ、それは確かにアリです。ましてや3番打者です。しかしそれは甘い球の場合、それすら野球の打撃は4回に3回は失敗するスポーツ、向かってくる丸い球を丸断面の細長いバットで打つのです。テニスじゃありませんから、芯を食うのは至難の業です。したがって4回に1回安打できれば御の字なのです。打ち気にはやる余り、難しい球に手を出してしまいました。ベンチへ帰ってきた将吾に、「ピッチャーなら分かるだろう?この場面何がイヤか」と言いました。リリーフ登板していきなり満塁としてしまった投手には、球を見極められるのが一番イヤなのです。それも打ち気を見せながら見送られると、いよいよドキドキです。野球は相手の嫌な事をやるイヤラシイスポーツです。メンタルスポーツなのです。この1球で流れが変わってしまいました。次の回ワイルドピッチで決勝点を与えてしまいました。ワイルドピッチで始まり、ワイルドピッチで終わり、間に自らのホームラン、将吾のワンマンショーになってしまいました。

    熱視線

二回戦の西埼玉少年野球−大井ウエスト戦は双方ミス合戦の接戦でしたが、東入間学童野球連盟の「他大会の模様」で分かるように、第17回池山隆寛杯準優勝の高尾アローズ(北本市)と、第22回富士見市親善大会及び第5回松本旗大会の優勝チーム;鳩山野球スポーツ少年団の戦いは見応えのある熱戦でした。7-2優勢の高尾アローズでしたが、最終回鳩山野球スポーツ少年団が反撃して4点GETして7-6、なおチャンスが続き、勝敗の行方が分からない緊迫した場面から高尾アローズが逃げ切りました。
準々決勝は西埼玉少年野球−越生グローイングス戦だけが接戦、他は大差のゲームでした。西埼玉少年野球が4-3リードして7回表、3点入れて7-3、勝負あったと思いました。しかしその裏、越生グローイングスは、四球2個からホームランで3点返し7-6、なお無死です。ここで越生キャプテン歩いてすぐさま2盗、ところがピッチャーの2塁けん制、タッチ、判定はアウト〜〜〜!ランナー無くなりピッチャーゴロ、ショートゴロでゲームセット!
準決勝は大井亀少クラブ−西埼玉少年野球、上福岡第五クラブ−高尾アローズとなりました。引き続き、決勝です。ふじみ野市の2チーム、頑張って欲しいです。高尾アローズはちょっとベンチの怒声がうるさいチーム、子どもたちに恐怖を与えるような大声、ただこういうチームは概ね強いのです。最近は「パワハラ」という言葉が出てきて、あまり怒鳴るとたしなめられる傾向にもありますが、人間どうすれば頑張るかと考えると、やや複雑な思いもありますね(^-^)

 【準決勝・決勝】9月1日(土) 大類ソフトボールパークA、B面で同時準決勝、その後決勝の予定でしたが、雨でグラウンド状態が悪く、川角グラウンドで縦三つで実施されることになりました
準決勝第一試合 9時00分〜

チーム 1 2 3 4 5
上福岡第五クラブ 0 0 0 3 3 6
高尾アローズ 0 0 2 0 0 2

準決勝第二試合 11時00分〜

チーム 1 2 3 4 5
西埼玉少年野球 1 3 0 1 0 5
大井亀少クラブ 2 0 0 1 0 3

決勝 13時15分〜

チーム 1 2 3 4 5
西埼玉少年野球 0 0 0 0 0 0
上福岡第五クラブ 4 0 0 4 × 8

昨年は1回戦で西埼玉少年野球に2-7敗れた上福岡第五クラブ、結局西埼玉少年野球がその後5-1大井ブルーウィングス、6-2上福岡イーグルス、1-0鶴ヶ岡少年野球クラブとふじみ野勢を撃破し、決勝で3-0霞ヶ関イーグルスに完封勝利して優勝しました。2016年までは精明スワローズでしたが、いろいろあってチーム名を昨年から西埼玉少年野球と変えました。今年の上福岡第五クラブは頭脳的ピッチングで試合を作る山根投手−笹尾捕手のバッテリーで先発し、リードして最後にバッテリー交換して締めるという勝利の方程式を持ち、女の子ながらチームをまとめる斎木梨花主将のもと、圧倒的な強さで決勝まで危なげなく勝ち進む快心の優勝でした。おめでとうございます。ナント!今年初優勝だそうです

一昨年のウエストは、埼玉南部春季大会1回戦で北原ウィングスにまさかの4-2負け、富士見市親善大会準決勝で新所沢ライノーズにタイブレーク4-3負け、川合ランバー旗の予選第1戦で清瀬旭丘にタイブレーク1-0負け、東入間春季大会準々決勝で勝瀬キッズにタイブレーク1-0負け、その後も肝心なところで勝瀬キッズ丹羽投手の前に西部夏季大会4回戦1-0負け、松本旗大会準々決勝1-0負けと三連敗、厄落としのため合宿で東松山の箭弓(やきゅう)稲荷神社に参詣して後半戦必勝祈願、その後の毛呂山町長杯大会で優勝するや、東入間秋季大会優勝、埼玉南部秋季大会第三位、川合ランバー旗初優勝、埼玉西部秋季選抜大会では決勝タイブレーク引分抽選負けですが実質優勝も同じ、ふじみ野市秋季大会優勝で有終の美を飾りました。実に7月31日に富士見エンゼルスに勝利して以降、南部秋季大会準決勝でガッツナインに負けるまで怒涛の21連勝、年間トータル公式戦41勝9敗(抽選負け1敗含む)でした。上福岡第五クラブに対しては3勝0敗でした。今年の上福岡第五クラブが、もし一昨年の大井ウエストのように毛呂山町長杯を機に大ブレイクするようだと怖いですね。

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