大井ウエストは2000年2月に三角小学校の大井トライアングルと西原小学校の大井ニッショウが合併して発足しました。2020年2月に満20年を迎え、21年目に入ることから、これを記念して祝賀会を行うことになりました。これまでウエストに関わってくださった皆様と共に大いに盛り上がろうとの趣旨でご案内したところ、百名を越える同窓会となりました。『美可美』で会費5千円、その後コロナ禍でヒトが集まることも出来なくなり、円安で物価がグングン上がったので、後から考えると信じられない会費ですね。
大井ウエスト発足にいたるまで 横森代表は昭和60(1985)年に小暮さんの後を受けて「ジュニアウエスタン」代表となっています。その2年後「電電イーグルス」と合併して「大井トライアングル」となりました。「電電イーグルス」には、「みずほ台ヤンガース」創設者で代表、監督、東入間学童野球連盟初代会長の渡辺純さんがコーチとして在籍されていましたが、その名の通り電電公社(現NTT)の社宅の子どもたちで構成されたチームでした。その後渡辺さんは針ヶ谷地区に転居され、小学校に少年野球チームが無かったので「みずほ台ヤンガース」を創設され、強豪チームに育てられました。ちなみに和光市には昔「和光官舎ユニオンズ」というチームがあり、自衛隊の官舎の子どもたちで構成されたチームでした。その後現在の和光広沢ユニオンズへと繋がっています。このように昔は子どもの数が多く、しかも野球少年が多かったので、社宅や官舎だけでチームが出来る時代、一つの小学校にどこも複数のチームがあり、上のように西原小学校にはナント!4つのチームが有ったので、グラウンド取りが大変でした。
西原ライオンズの佐藤さん、青柿さん、磯ヶ谷さんも懐かしい名前、その後西原クラブを経て大井ホークスとなり、松本健治さん(大井西中の門前で印刷所営業、大井町のスポーツ界の功労者、東入間学童野球連盟事務局→澤藤へ移管→その後水上さんに至る)から平山富雄さんと代表が移り、大井ニッショウへと繋がります。レッドフラワーズの芦野さんも懐かしいですね。蕎麦の名店で知られる「浅野屋」さんの大将でした。その後太陽クラブへと移り、野口さんや上條さんの名が有ります。
大井ウエスト発足の2000年度は、ニッショウ出身の深谷亮太君が主将、トライアングル出身の根本由子さんと6年生二人だけ、女の子だけど素晴らしい身体能力でした。2001年は出塁したら2球で3塁に居る新井祐司主将、鼻っ柱の強い佐藤 将投手、あまりにも強肩なので走者が盗塁を試みない芦野 真捕手ほか、優秀な選手が多く、強いチームでした。ところが2002年は6年生ゼロ、2003年は一転6年生9人など、年によって浮き沈みが多くて、その後は選手数も安定しましたが、近年は少子化とサッカー台頭もあって選手が少なくなっています。
歴代の年度別選手数、主将、成績については各年の「チーム構成」をご覧ください。ウエスト戦績アーカイブでは各年次の戦績がご覧いただけます。
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